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これまでの放送内容 -2010年-

2010年4月18日(日)

命かがやけ ~その小さき手のぬくもり~

未熟児や病気を持って産まれた赤ちゃんに、高度で専門的な治療を行う新生児集中治療室、NICU。未熟児などの増加によりNICUの需要が高まる一方で医療機関では医師や看護師などスタッフ不足という課題が生じている。

佐賀市にある国立病院機構佐賀病院は、佐賀県の周産期医療の中枢として多くの新生児を受け入れている。ここで働く看護師、陣内枝里子さんは勤務2年目。先輩のアドバイスを受け、日々勉強しながら小さな命を守っている。一方、佐賀病院で2人の息子を422グラム、421グラムで出産した唐津市に住む天野緑さん。6歳になる長男はこの春小学校に入学。3歳の次男は気管切開で24時間酸素吸入しているため、入園可能な保育園が見つからない。緑さんの介護休暇のリミットも迫り苦悩が続く。NICUを退院した子供たちの行き場は?そして年が明けた佐賀病院は新病棟に引越し。これまでより3床多い12床のNICUが整備された。引越し当日に新たな命が誕生した。陣内さんが適切な処置を施す。小さな命を守る現場の「今」に密着した。

制作局サガテレビ(STS)

2010年4月11日(日)

終わらない日々 ~薬物依存女性の挑戦~

鹿児島市の雑居ビルに、去年3月、ある施設が開所した。薬物依存症のリハビリ施設、「鹿児島ダルク」だ。ダルクは全国に40カ所以上あるが、スタッフは全員、薬物使用経験者。鹿児島ダルクの代表を務めるのは、戸山実香さん(27)。

戸山さんは、小学生のときに睡眠薬を乱用し、その後、大麻やシンナーに手を出し、高校生のときに覚せい剤を使い始めた。最初は、気持ち良かったが、覚せい剤をやめたくてもやめられないようになり、やがて食事もとれず、水も飲めない状態なってしまった。ただ水を吸うことしかできなくなった戸山さんは、17歳のとき、宮崎ダルクに入り、薬物をやめ続けている。宮崎ダルクでスタッフになり、社会に恩返しをと考えた戸山さんは、鹿児島にもダルクの必要性を感じ、去年3月に鹿児島ダルクの開所にこぎつけた。一度でも使ったら、再び使いたくなってしまうという薬物。薬物依存症になると、薬物を一生、使わない状態を続けることでしか完治できない。戸山さんも、現在、およそ10年間、薬物を使っていないが、今でも薬物を使いたくなったり、使っているような感覚に襲われたりすることがあるという。
番組では、戸山さん自身が薬物依存症と闘いながら、薬物依存者のために活動する姿を追う。

制作局鹿児島テレビ放送(KTS)

2010年4月4日(日)

カントクは中学生

沖縄で今話題の天才映画少年、その名は「仲村颯悟くん」。なんと颯悟くんは、13歳にしてプロの映画監督としてデビューすることになったのだ!

颯悟くんにとって初めての長編映画は、彼の大好きな「沖縄」が凝縮された「ヤギ」と「少年」の物語。

なんとカンヌ映画祭出品を目指し、颯悟くんの冬休みを利用して超過密スケジュールでロケが行われた。人間に食べられてしまう宿命を背負った「やぎ」。「命」について悩む「少年」。映画の中の少年とシンクロするように、撮影現場で、颯悟くんも大きな成長を遂げた!

一生忘れない、颯悟くん13歳の冬休みに密着します。

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

2010年3月28日(日)

ノーリミット ~1型糖尿病のエアロビックチャンピオン~

熊本大学大学院2年の大村詠一さん(23)は一昨年、1分45秒の演技で芸術・技術・難度を競う表現スポーツ・エアロビックで日本チャンピオンになりました。

8歳の時に1型糖尿病を発症し、現在も1日5回のインスリン注射が欠かせません。
そして、日本各地で啓発活動を行い、「病気は個性です」と語り続けています。

今年春、大村さんは大学院を修了します。
一時は教師と決めていた進路を変え、選手生活を続けながら、啓発活動に専念することに決めました。主治医の南昌江医師は「病気だからといって、出来ないことはないんです。限界なんてないんです。『ノーリミット』という言葉を胸に生きてほしい」と語ります。
大村さんは多くの人たちに影響を与えています。

阪神タイガースの期待の左腕・岩田稔投手(26)は高校2年生の時に1型糖尿病を発症。プロ野球選手という夢をあきらめかけた時に大村さんと会い、野球を続け、スター選手の仲間入りを果たしました。番組では大村さんの全日本選手権大会や1型糖尿病の啓発活動に密着し、病気とともに生きる姿を見つめます。

制作局テレビ熊本(TKU)

2010年3月21日(日)

前へ!前へ! ~車いすマラソンがつなぐ親子の絆~

宮崎県日南市出身の池田泰允さん、23歳。高校時代はHIPHOPダンス部に所属し、全国制覇を果たすほど活発な青年だった。

しかし4年前の夏、人生が一変。仲間とキャンプに出かけ川へ飛び込み、頚髄を損傷。首から下が完全に麻痺した。その後大分県別府市でリハビリを続け、自立への道を歩み始めた池田さん。ハンディキャップを持ちながら社会の中で生きていくことは容易いことではない。池田さんは己の限界を知るために、自らに「車いすマラソン完走」という目標を掲げた。

多くの壁にぶち当たりながらも前進し続ける青年と家族との絆を描く。

制作局テレビ宮崎(UMK)

次回放送内容

OA:2024.07.20(土)

長崎県五島市福江島から東南東およそ35キロの海底に「潜水艦の墓場」と呼ばれる場所がある。太平洋戦争終結の翌年、アメリカ軍が世襲した旧日本海軍の潜水艦は佐世保に集められ、五島列島沖合でアメリカ軍によって沈められた。旧日本海軍の潜水艦24艦は、今もその海底に眠っている。この海域を大学教授らが無人潜水機などを使い調査。様々な資料と照合し、全24艦の名前を特定した。その中には広島原爆の運命を変えたかもしれない潜水艦が存在した。それら潜水艦の多くは実戦でも使われた特攻兵器、人間魚雷「回天」を搭載していた。そしてもうひとつ実戦で使われた特攻兵器が存在する。旧日本海軍の水上特攻艇「震洋」。かつて「震洋」の訓練所が長崎県東彼杵郡川棚町にあった。極秘の特攻作戦だったため、資料はほとんど残されていなかった。しかし2021年、新たな写真が発見された。旧日本海軍の潜水艦、そして水上特攻艇「震洋」。それぞれの関係者は今、何を思うのか。戦争遺構が私たちに伝えようとしているものとは。

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