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これまでの放送内容 -2018年-

2018年12月25日(火)

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つながる生命(いのち)~地域でしか救えない命のために~

阪神淡路大震災での被災経験から救命科専門医を志した塚本菜穂さん。救命のためドクターヘリで患者のもとに駆けつけるフライトドクターとして活動する塚本さんの姿を追う。

救命科専門医を目指し大分大学医学部へ入学した塚本菜穂さん。彼女の実家は大阪府。阪神淡路大震災を経験して救命科専門医の道を志した。大阪で救急をしたいと考えていた彼女は、大分で救急を学んでいくうちに、病院が近いかどうかだけで左右される命を見て、本当に救急が必要なのは田舎なのではと考え大分に残ることを決意。そして救える命を救うにはいち早く患者のもとへ駆けつけるドクターヘリで活動する医師、フライトドクター、その中でも一番の責任者1stドクターの道を選んだ塚本さんの姿を追った。

制作局テレビ大分(TOS)

2018年12月18日(火)

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明日を向いて歌おう~熊本地震 仮設団地の500日~

熊本地震被災者による合唱部。歌を心の支えに復興を目指す部員の思いに迫る。

震度7を2度観測した熊本地震。特に被害の大きかった益城町は、町民の多くが住む家を失った。仮設団地での生活を余儀なくされた被災者たちが、これからの生活への不安を乗り越えるため、歌って元気になろうと合唱部を結成。自ら歌うことで復興への勇気を得た被災者たちは、町の復興と共に自宅再建、仕事再開を果たすが、その結果合唱部は衰退する。しかし新たな目標を掲げ、再度志をひとつに集結、皆でコンサートに出演し元気になった姿と、支えてくれた皆さんへ感謝の歌を発信する。

出演者:益城テクノ仮設団地のみなさん・そがみまこ(歌手・合唱部指導)・寺尾仁志(ヒューマンノート代表)

制作局テレビ熊本(TKU)

2018年12月11日(火)

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海をつなぐ

豊かな海『有明海』を守りたい。海苔漁師として半世紀、ベテラン漁師が後世に伝えたいものは。残したいものは。

佐賀市の杉町省次郎さん(69)はノリ漁師だ。有明海ではノリ漁師のことを敬意を表して「海苔師」と呼ぶ。省次郎さんは海苔師となって51年、今季から一線を退き息子に託した。有明海でノリ養殖が始まったのは1953年(昭和28年)のこと。このノリ養殖が軌道にのり始めた1966年(昭和41年)、省次郎さんも父の後を継いで海苔師となった。近年有明海の環境の悪化がさけばれ、またノリ養殖従事者の高齢化と後継者不足が深刻な問題となっている。課題が山積している。そんな中、省次郎さんは17年前から植林活動を始めた。そして6年前からは、昔ながらの伝統技法「手すき」による天日干し乾ノリを若手後継者へ伝授している。半世紀にわたって有明海とともに人生を送ってきた省次郎さんが今何を思うのか?ノリ養殖の現場に密着し、有明海に生きる男の姿を追います。

出演者:海苔漁師:杉町省次郎 【ナレーション】 田邉有沙

制作局サガテレビ(STS)

2018年12月4日(火)

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KARATE わが愛

沖縄空手に魅せられたフランス人ミゲール・ダルーズ。東京オリンピックで「空手」が注目される今こそ、発祥の地で紡がれる精神を伝えたい。

沖縄から世界に広がった武術「空手」。沖縄県などによると世界に1億3千万人の空手愛好家がいるとされ、2020年の東京オリンピックの種目に正式採用された。空手発祥の地沖縄には毎年多くの外国人空手愛好家が訪れる。彼らが求めるのは自分の空手のルーツだ。その外国人をサポートしている1人が「沖縄空手案内センター」で働くフランス人のミゲール・ダルーズさん。沖縄で稽古を希望する外国人に町の道場を紹介したり、稽古の通訳も行っている。「空手に先手無し」という先人たちの言葉に代表されるように勝ち負けよりも争いを避ける為に体を鍛えるのが沖縄空手。その精神に魅せられて25年前にこの島にやってきた男は、空手家達と交流し、その魅力を国内外に発信してきた。東京オリンピックで「空手」が注目される今こそ、この島で生まれた「平和の武術」について広めたい。空手に魅せられたフランス人の情熱を追う。

出演者:ミゲール・ダルーズ(沖縄空手案内センター広報担当)

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

2018年11月27日(火)

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大舞台 中洲に裏方あり~不動産営業マン奮闘記~

九州最大の歓楽街中洲。毎年150軒前後の店が開店、閉店する不動産激戦区を舞台に、裏方として奮闘する不動産営業マンの姿を追った

 九州最大の歓楽街・中洲。福岡市を流れる那珂川と博多川に挟まれたエリアには約2800店のクラブやバーなどが集まっています。ネオンが輝く夜が印象的な街中洲、実は年に150軒前後の店が出店、そして閉店していく『不動産激戦区』でもあるんです。
 そんな激戦区で、若手ママたちの出店を裏方としてサポートし、契約を重ねる不動産の女性営業マンがいます。常にトップの売り上げを誇る彼女、その営業のやり方とは。

出演者:ナレーション 橋本真衣(TNCアナウンサー)

制作局テレビ西日本(TNC)

次回放送内容

OA:2026.09.13(日)

 菊池恵楓園所者自治会の太田明副会長は今年1月、園内にかつて存在した野球チーム『オール恵楓』のユニホームを復刻した。それは園の憧れの的だった若者たちが着ていたものだった。園内で野球が盛んになったのは1930年で、居住区別の3チームと職員チームによる対抗戦が始まった。国による強制隔離が進み、いわゆる「患者狩り」に拍車がかかった結果、比較的症状の軽い高校生やノンプロ選手が入所したからといわれている。園内選抜チーム『オール恵楓』は1952(昭和27)年9月、トラックで初の県外遠征試合に出発。無断外出は厳しく処分されるおそれがあったが、患者たちは「園外で試合がしたい」と秘かに鹿児島県鹿屋市にある国立療養所星塚敬愛園の自治会と手紙をやり取りして、試合をする段取りをつけていた。トラックの荷台に布団を敷いて揺れに耐え、途中の道で警官に見つかった。運転手が「らい患者を輸送中だ」と偽ったところ、警官は「この道を通ったらいかん。山の中を通って行け」と蔑んだという。一行は約12時間かけて、星塚敬愛園に到着。1週間滞在して4試合を行い、2勝2敗だった。メンバーで一番若く補欠だった田中照幸さんは当時を懐かしく振り返った。一方、入所者自治会の太田明副会長は『オール恵楓』鹿児島初遠征の1952年、小学2年生のときに入所し、大いに野球を楽しんだ。そして、岡山県の国立療養所長島愛生園にかつて存在した『邑久高校 新良田教室』に進学し、野球部に所属。1960(昭和35)年夏、野球部は「俺達には修学旅行がないから、高校時代の思い出をつくろう」と園に「里帰りする」と偽って外出し、東日本5カ所の療養所を列車で巡る遠征試合を敢行した。園からの帰還命令を無視した大冒険に、太田さんは「あんな痛快で、開放感を味わったことはない」と振り返る。太田さんは恵楓園で野球が盛んだったことをを知ってもらおうと、恵楓園の一部施設跡地に2021年に開校した合志市立合志楓の森中学校野球部の部員と『オール恵楓』復刻ユニホームを着て、キャッチボールを楽しんだ。番組では、ハンセン病患者たちがいわれなき差別の中で見出した希望と情熱の日々を見つめる。

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