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これまでの放送内容 -2011年-

2011年12月25日(日)

ピーマン農家 DJ JOE

1973年、宮崎市の片田舎にあるピーマン農家に1人の男が誕生した

彼の名は「日髙陽一」

将来の夢は「プロ野球選手」朝から夕方まで野球にあけくれ、たまに近所の英語塾で勉強したりもした
3兄弟の長男として真面目に育った彼はなんとか無事に地元の高校を卒業し両親は実家のピーマン農家を継いでくれるものとばかり思っていた
ところが「農業なんか格好悪くてやってられるか」「大金持ちになってデカい車に乗ってブロンドの美女をはべらせてやる」彼はアメリカンドリームを求めて渡米した

渡米した彼はサウスダコタの大学に4年間通いロスでツアコンや通訳として4年間勤め沢山の異国人と、また異国にいる邦人と触れ合ううちにあることに気付いた「金持ちイコール幸せじゃない」
そして海外での農業従事者の世間的ステイタスの高さに驚いた
そのとき、彼の人生は変わった
「宮崎に帰って農家を継ごう」「日本の農業の価値を変えてやろう」28歳で帰郷した彼は実家のピーマン農家を継ぎ、まもなく10年が経とうとしている
農業に従事するかたわら、軟式野球連盟の理事や、地元消防団員
地区の評議会委員などを務め、さらには地元の神社の氏子として神楽まで舞ってしまう
いくつもの顔を持つ「エンターテイナー ピーマン農家」
2年ほど前にはラジオDJも始め担当する番組では地元の若手農家をゲストに招き「農業のステイタス向上」に努めている

しかし彼は今後一体どこへ向かっていくのか?

制作局テレビ宮崎(UMK)

2011年12月18日(日)

人間力 ~東龍バレー 日本一への挑戦~

2011年から1月開催となり、新しく生まれ変わった春の高校バレーで初代女王に輝いた東九州龍谷高校女子バレー部。

1月5日に開幕する大会でも、春高バレーとしては5連覇、選手権大会としては4大会連続優勝に挑む。チームを率いて7年目の相原昇監督が選手たちを指導する上でこだわっているのは「人間力」をどう鍛えるかということだ。監督は、「人間力が高い人こそが日本一になれる」と言う。

「人間力が高い」とは、どんな状況においても逃げ出さずに立ち向かう強さがあること。1人の教育者として選手たちには技術面よりも人間力を鍛えることに重点を置いている。監督の考えを通して、チームの強さの理由を探る。

制作局テレビ大分(TOS)

2011年12月11日(日)

日本の美竹 日本人の技で世界へ

フライフィッシングは、ほとんど重さが無い毛バリを糸の重さを使って狙い通りのところに投げ、魚をかける釣りです。その釣りに重要な役割を果たすのが竿です。

バンブーロッドビルダーと呼ばれるフライフィッシングに使用する竹竿職人秋丸修一さん。

日本での評判はもちろん、フライフィッシングの本場アメリカでも高い評価を受けはじめています。秋丸さんは、釣り好きが高じて脱サラし、単身アメリカに渡り、竿作りを習得。その後、試行錯誤を繰り返し、築き上げた技術で家族を養ってきました。そんな秋丸さんの職人人生を紹介します。

番組は、筑後川流れる福岡市久留米市田主丸町にある秋丸さんの自宅兼工房を訪ね、1本の竿が出来上がるまで4~6カ月を要し、1年におよそ30本しか作ることができないという竿作りの工程を、九州の美しいヤマメ釣り風景とともに追いました。そんな完全オーダーメイド、メイドインジャパンこだわりの竿は、日本でさらに海を渡ってアメリカでも高い評価を受け始めています。6月にはフライフィッシングの本場、アメリカ・アイダホ州ヘンリーズフォークで行われたバンブーロッドのイベントに招待され、世界のトップバンブーロッドビルダーやバンブーロッド愛好家から絶賛の声を浴びました。そのアメリカ・アイダホ州でのイベント風景と大自然。自ら作った竹竿でアメリカの野生ニジマスと渡り合う秋丸さんの姿。

美しく投げることができ、魚をかけ、魚の動きに竿が反応し、スムーズに3分以内で取り込む素早く魚を流れに戻すことができる。それを秋丸さんが自ら実践して見せたのです。今年の夏からは、アメリカのショップでの受注販売が開始され、秋丸さんの竿は世界へ羽ばたこうとしています。

制作局テレビ西日本(TNC)

2011年12月4日(日)

開店!!居酒屋診療所 店長は町のお医者さん

宮崎県の北部、延岡市。 人口の約3割が65歳以上と高齢化がすすみ、公立病院で医師の数が足りず休診科が出るなど深刻な医師不足問題も抱えている。

そんな街に昨年誕生した「大貫診療所」。院長で唯一の医師、榎本雄介さん(37)は「街を元気に。住む人を幸せに」という目標の元、医療以外の面でも地域活性化のために駆け回る日々。その活動の一つが、診療所の2階で月一回開催する「診療所居酒屋」。院長から店長へと変身し、地域住民との交流の場として一年半続けている。「徹底した地域密着医療」を目指す青年医師の姿を追った。

制作局テレビ宮崎(UMK)

2011年11月27日(日)

田んぼに学ぶ ~元警察官の生きる道~

長崎市西海町で無農薬にこだわった米づくりに励む男がいます。甲田哲美さん(68)。実は、彼、以前の職業は警察官。定年を前に退職し、農業へ転身しました。美味しい米を作る立役者は、合鴨たち。合鴨農法で、安全・安心な米を作ることにこだわっています。

農業を始めて6年目。鍬を持つこともほとんど無かった甲田さんが、どうして農業の道へ進んだのか…。これまでの生き方に疑問を持つようになったからです。組織に身を置くことへの価値が見出せなくなり、自分を見つめ直す時間を求めた結果の選択でした。地域の人々との交流や、食のありかたなど、甲田さんが見つけた理想の生き方を描きます。

制作局テレビ長崎(KTN)

次回放送内容

OA:2024.11.24(日)

八代市坂本町の鮎帰(あゆがえり)地区にある日光(にちこう)棚田。標高420メートル、里山に囲まれ階段状に連なる田畑の景色はどこか懐かしく安らぎを覚えます。1999年『日本の棚田百選』にも選ばれました。しかし、今は過疎化と相次ぐ離農で耕作放棄地が目立ち、田んぼは畑に切り替わり棚田の風情は過去のものとなろうとしています。この日光棚田で僅かに残った数枚の田んぼで唯一米作りに取り組んでいるのが、野口修さんです。年齢は87歳、農業の経験も無ければ地主でもありません。 野口さんは、2016年広島から坂本町に単身移住、79歳の時でした。数年後日光棚田に出会います。それは素人目線の安易な発想だったかもしれません。廃れていく棚田に想いを募らせ景観を維持できないかと…、野口さんは2020年元米農家の田んぼを借りて米作りを始めます。春は田起こし、苗ができれば田植え、収穫の秋まで水の管理や田の草取り、厄介なシカの防除に至るまで片時も目が離せません。野口さんは苦労をものともせず、四度目の秋を迎えることができました。 野口さんは収穫の喜びとは別に、新たな目標に向かって歩き出していました。本人曰く“僧侶”になると、坂本町へ移住を世話してくれたお寺の住職の力になければと話します。住職の体調を案じた末の決断でした。僧侶の資格を取るため、野口さんはこれまで通信教育でお寺の宗派に関する作法やお経を学んできました。最終課程は京都、得度(とくど)習礼(しゅらい)と呼ばれる修行に入ります。 80歳を目前に単身移住。棚田の景観を守ろうと挑む米作り。そして、今度は僧侶になろうと一念発起。野口さんは、鮎帰の里に新しい風を起こそうとする革命児なのかも!? 何が自身をそうさせるのか!?世の中を憂い立ち上がった青春期に答えは有るようです。 荊(いばら)の道を怯まず自らを進化させ続ける野口さんは間もなく米寿。人生100年時代を迎え、余生を謳歌する今はまだ旅の途中かも知れません。番組では、自らの信念と向き合う野口さんが何を求め何処へ向かおうとしているのか、終の棲み家に選んだ里の日々を追います。

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