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これまでの放送内容 -2012年-

2012年12月30日(日)

沖縄を返せ

日本への復帰を目指す沖縄で、熱狂的に歌われた歌「沖縄を返せ」。その伝説の歌の背景を探っていくと、日本と沖縄の複雑な関係と「復帰」の真の姿が見えてきた。

日本への復帰を目指す沖縄で、熱狂的に歌われた歌がありました。「沖縄を返せ」。その伝説の歌は、「復帰運動」という時代のうねりの中で、人々の思いをひとつに束ねる、そんな強い力をもっていました。40年前、その歌と共に、悲願の本土復帰を果たした沖縄。しかし、それは望んでいた「復帰」ではなかったのです。復帰後の沖縄では、あれほど人々から愛された「沖縄を返せ」は、急に歌われなくなり、時の彼方へと消え去ってしまいました。なぜあの歌は、あんなにも熱烈に愛され、憎まれたのか…。そして「沖縄を返せ」が生まれた背景を探っていくと、日本と沖縄の複雑に交差する想いと、「復帰」の真の姿が見えてきたのです。

出演者:【構成・演出】 山里孫存 【取材】 沖縄テレビ報道部「復帰を知る」取材班 【プロデューサー】 山里孫存 (沖縄テレビ) 正木伸一郎(テレビ西日本)

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

2012年12月23日(日)

自給自足人~年収20万円 お金に頼らない暮らしがしたい~

世界自然遺産の島・屋久島で自給自足の暮らしをしている人がいる。京都府出身の陶芸家の菊池亨さん(59)。20万円が菊池さんの全収入。島での自給自足ぶりを追った。

 菊池さんの実家は石炭販売業を営み、なに不自由のない暮らしだった。小学生のとき、父が多額の負債をかかえ、まるで地獄のような日々が続いた。この時の出来事が菊池少年の人生観を変え、「お金の無い暮らし、お金に頼らない暮らしがしたい」と34年前に屋久島に住み着いた。野菜類は100パーセント自給自足、陶芸家として自分の器の売り上げが20万円。この20万円が菊池さんの全収入。今の私たちの生活は、原発事故、自然災害、人間の欲望と名誉に翻弄され未来が描き出せない人々が増えているが、菊池さんの生き方は全く別世界だ。自然とともに生活し自分に合った暮らしをしている。番組では、菊池さんの自給自足ぶりを描くことで、今の私たちの暮らしが本当にこれでいいのか問う。

出演者:陶芸家 菊池亨さん(59) 【ナレーター】 タマリ

制作局鹿児島テレビ放送(KTS)

2012年12月16日(日)

簗師~伝統の鮎漁を守る男~

秋、産卵期を迎えた鮎を一気に落とす巨大な仕掛け「鮎簗(やな)」。300年以上受け継がれてきた伝統の技を今に受け継ぐ簗師の秋に密着した。

宮崎県の北部、延岡市。この街の秋の風物詩といえば薫り高い秋の味覚「鮎」を幅120mの巨大な仕掛けに落とす伝統的な鮎漁「鮎簗( やな) 」だ。300年以上も前から延岡市ではこの鮎漁が行われ、取れた鮎を川辺で楽しむ様子が街を彩ってきた。しかし近年まで数ヶ所架かっていた鮎簗も現在は鮎の数が激減したことで1ヶ所だけになり存続が危ぶまれている。石と竹と木を組み合わせて作る伝統の簗作りにこだわり、その技を今に受け継ぐを男、簗師・高橋生矢。番組では簗師が挑んだ2012年シーズンに密着した。

出演者:高橋生矢 【ナレーター】 西田優史

制作局テレビ宮崎(UMK)

2012年12月9日(日)

国境の島で生きる~家具職人になった夫婦と最後の鍛冶屋~

国境の島、対馬で、登山に使うピッケルを作る80歳の鍛冶屋の夫婦。地元の木材を使った家具を作る、30歳の家具職人。2組の匠を追いました。

長崎県対馬市。朝鮮半島までおよそ50キロの国境島で、登山に使うピッケルを作る鍛冶屋の夫婦がいます。小島進さんと、妻のキイさん共に80歳。23歳で独立して鍛冶屋を続けてきました。世界に一つしかないオリジナルのピッケルは、2人の想いが込められています。一方、地元の木材を使って家具作りに励む若い夫婦。阿比留恭二さん・優子さん。木目が表情豊かな対馬のひのきで、暖かな雰囲気の家具を作っています。国境の島で、自分の技を信じ、生きていく匠の姿を追いました。

出演者:【ナレーター】 長岡千夏(テレビ長崎)

制作局テレビ長崎(KTN)

2012年12月2日(日)

協同農園の理想と現実~土といのちとくらし~

農業の担い手不足対策が急務な中、熊本独自のJA農業インターン事業で今年3月まで指導員として「新規就農事業」に携わっていた内田敬介さん64歳…

農業の担い手不足対策が急務な中、熊本独自のJA農業インターン事業で今年3月まで指導員として「新規就農事業」に携わっていた内田敬介さん64歳。4月からは中山間地の地元美里町で自ら農業を始めました。そんな内田さんが、様々な新規就農者を指導するなか行きついたのは去年10月に設立した『協同農園』でした。しかし待っていたのは、農業を実践する難しさ、目指した「協同」の壁。『土といのちとくらしを協同で守る』取り組みを追います。

出演者:美里ゆうき協同農園 内田敬介さん(64) ほか協同農園の皆さん 【ナレーション】 熊本竜太(TKU)

制作局テレビ熊本(TKU)

次回放送内容

OA:2024.11.24(日)

八代市坂本町の鮎帰(あゆがえり)地区にある日光(にちこう)棚田。標高420メートル、里山に囲まれ階段状に連なる田畑の景色はどこか懐かしく安らぎを覚えます。1999年『日本の棚田百選』にも選ばれました。しかし、今は過疎化と相次ぐ離農で耕作放棄地が目立ち、田んぼは畑に切り替わり棚田の風情は過去のものとなろうとしています。この日光棚田で僅かに残った数枚の田んぼで唯一米作りに取り組んでいるのが、野口修さんです。年齢は87歳、農業の経験も無ければ地主でもありません。 野口さんは、2016年広島から坂本町に単身移住、79歳の時でした。数年後日光棚田に出会います。それは素人目線の安易な発想だったかもしれません。廃れていく棚田に想いを募らせ景観を維持できないかと…、野口さんは2020年元米農家の田んぼを借りて米作りを始めます。春は田起こし、苗ができれば田植え、収穫の秋まで水の管理や田の草取り、厄介なシカの防除に至るまで片時も目が離せません。野口さんは苦労をものともせず、四度目の秋を迎えることができました。 野口さんは収穫の喜びとは別に、新たな目標に向かって歩き出していました。本人曰く“僧侶”になると、坂本町へ移住を世話してくれたお寺の住職の力になければと話します。住職の体調を案じた末の決断でした。僧侶の資格を取るため、野口さんはこれまで通信教育でお寺の宗派に関する作法やお経を学んできました。最終課程は京都、得度(とくど)習礼(しゅらい)と呼ばれる修行に入ります。 80歳を目前に単身移住。棚田の景観を守ろうと挑む米作り。そして、今度は僧侶になろうと一念発起。野口さんは、鮎帰の里に新しい風を起こそうとする革命児なのかも!? 何が自身をそうさせるのか!?世の中を憂い立ち上がった青春期に答えは有るようです。 荊(いばら)の道を怯まず自らを進化させ続ける野口さんは間もなく米寿。人生100年時代を迎え、余生を謳歌する今はまだ旅の途中かも知れません。番組では、自らの信念と向き合う野口さんが何を求め何処へ向かおうとしているのか、終の棲み家に選んだ里の日々を追います。

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