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これまでの放送内容 -テレビ宮崎(UMK)-

2026年9月27日(日)

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ひなた育ちのアスリート

「なんで僕は耳が聞こえないんだ」そうぶつけてしまった相手は1番の理解者、母だった。聴覚に障がいがあるデフバスケットボール選手の挑戦と、彼を支え続けた家族の物語。

聴覚に障がいがある選手で行うバスケ競技、デフバスケットボールの日本代表、井上和(なごむ)さん。31歳。宮崎県日南市で4人兄弟の末っ子として誕生。兄弟で唯一生まれつき音が聞こえなかったが、両親は「聞こえないのは個性」として前向きに子育てをしてきた。小学2年生の時バスケに出会い、次第にプロのバスケ選手を夢見るように。しかし、いじめが原因でそんな日常が崩壊し始める。「なんで僕は耳が聞こえないんだ」とぶつけてしまったのは、幼い時から1番の味方でいてくれた母だった。

ここまで支えてくれた両親に恩返しがしたい。現役ラストの大舞台・デフリンピックにかけた彼の想いと家族に密着した。

制作局:テレビ宮崎(UMK)

2026年8月30日(日)

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海がつなぐ

右腕を失い、生きがいも家族も失った男性がサーフィンを一から始めるため宮崎に移住。海で出会った多くの人とのつながりでどん底の日々から第二の人生が始まっていった。

仕事中の事故で右腕を失った男性。右腕、生きがい、家族…多くのものを失い、「人生のドン底」だった彼がサーフィンを一から始めるために神奈川から宮崎に一人で移住。片腕でのサーフィンは多くの困難があり、悪戦苦闘の日々だったが、宮崎での多くの人たちとの出会いが彼を助けていく。彼の第二の人生が始まった、宮崎の海がつないだ出会いとは…

制作局:テレビ宮崎(UMK)

2026年4月12日(日)

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Re:Start~台風に消えた冬 スキー場復活の軌跡~

FNS九州8局が一丸となって取り組むドキュメント番組です。

1990年のオープン以来30年以上五ヶ瀬町のシンボルとして人々に親しまれてきた「五ヶ瀬ハイランドスキー場」。オープン後しばらくはスキーブームにより多くのスキー客を呼び込んでいたが、年々来場者は減り続け近年では苦しい経営が続いていた。そんな中2022年9月、台風14号が九州南部に上陸。五ヶ瀬町にも被害は及び、スキー場に続く唯一のアクセス道路が寸断。2年連続の営業中止となった。営業中止がスキー場の未来に影を落とす中、営業再開を信じ1人でスキー場に通い続ける従業員に密着しました。

制作局:テレビ宮崎(UMK)

2026年1月25日(日)

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ひなた育ちのアスリート

「なんで僕は耳が聞こえないんだ」そうぶつけてしまった相手は1番の理解者、母だった。聴覚に障がいがあるデフバスケットボール選手の挑戦と、彼を支え続けた家族の物語。

聴覚に障がいがある選手で行うバスケ競技、デフバスケットボールの日本代表、井上和(なごむ)さん。31歳。宮崎県日南市で4人兄弟の末っ子として誕生。兄弟で唯一生まれつき音が聞こえなかったが、両親は「聞こえないのは個性」として前向きに子育てをしてきた。小学2年生の時バスケに出会い、次第にプロのバスケ選手を夢見るように。しかし、いじめが原因でそんな日常が崩壊し始める。「なんで僕は耳が聞こえないんだ」とぶつけてしまったのは、幼い時から1番の味方でいてくれた母だった。

ここまで支えてくれた両親に恩返しがしたい。現役ラストの大舞台・デフリンピックにかけた彼の想いと家族に密着した。

制作局:テレビ宮崎(UMK)

2025年10月12日(日)

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陽だまりからあなたへ

宮崎市にあるクリーニング屋の店主・吉永さんは“ぬいぐるみのクリーニング師”。全国からやってくるぬいぐるみを通して、「顔の見えない」お客さんの思い出を蘇らせる。

【ぬいぐるみを洗う「思い出の蘇らせ人」】宮崎県宮崎市加江田にある一軒のお店に、全国からたくさんのぬいぐるみがやってくる。そこは「ぬいぐるみのクリーニング屋」。店主の吉永定晴さんは年間800個ものぬいぐるみを洗う。集まるぬいぐるみは誰かの思い出の詰まった宝物ばかり。吉永さんは真心込めて丁寧に洗い、ぬいぐるみと出会った頃の思い出を蘇らせ、持ち主を笑顔にしている。まさに「思い出の蘇らせ人」だ。だが、吉永さんが持ち主の笑顔を見ることはほとんどない。吉永さんの波乱万丈な人生、そして、「顔の見えない」お客さんと、「思い出の蘇らせ人」吉永さんの物語。

出演者:吉永定晴さん/吉永美幸さん

制作局:テレビ宮崎(UMK)

次回放送内容

OA:2026.10.11(日)

100 年前の1926年、現在の熊本県山鹿市鹿本町で、15歳の芹川文彰( せりかわ・ぶんしょう) さんが無声映画『実録 忠臣蔵』(1926 年公開) を鑑賞。その記憶を頼りに3 年をかけて、映画を丸ごと絵で再現したペン画集を作った。迫力あふれるタッチ、フキダシの中のセリフ、スピード感の描写などはまるでマンガのようだ。約500 コマ、160 ページにも及ぶ。しかし、それは家族以外の誰の目にふれることもなく、実家に眠っていた。芹川さんは東京の美術学校に進学し、病気のために中退。熊本に帰り、人付き合いはほとんどせず、実家で絵を描いて暮らした。最後の4年間は入院し、そこで描いた絵を病院のスタッフに全て譲り、73歳で亡くなった。2020年、伯父・文彰の遺品であるペン画集を芹川英治( えいじ) さんに見せてもらった元新聞記者の松尾 正一( まつお・しょういち) さんは驚き、京都の『おもちゃ映画ミュージアム』に見てもらった。偶然にもそこには、元の映画の66分短縮版フィルムが寄贈されていた。文彰さんのペン画集はそれを補完する映画史の資料として、また、マンガ史を語る上で貴重な資料とされている。ペン画集は「キネマ画」と名付けられ、2021年と2024年にそれぞれ京都で活動写真弁士・坂本頼光さんとピアニストの天宮遥さんによって上演され、絶賛された。そして、熊本市でも2025年12月14日、赤穂浪士討ち入りの日に活弁上演会を開催。300 席の会場は満席となり、90分に及ぶ大迫力の活弁と情感あふれるピアノ演奏で大成功を収めた。番組では芹川文彰さんが描いたキネマ画『忠臣蔵』の魅力を伝え、それをよみがえらせるために奔走する人々の思いを見つめる。

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