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これまでの放送内容 -鹿児島テレビ放送(KTS)-

2026年8月16日(日)

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あの日の記憶-なでしこ隊を語り継ぐ-

戦後80年、特攻隊を見送り“なでしこ隊”と呼ばれた少女たちの多くがこの世を去った。仲間の分まで語り継いできた女性は、知覧に帰ってきた息子へ記憶を託そうとする。

2020年、1人の女性と出会った。桑代チノさん(当時91歳)。チノさんが生まれ育ったのは鹿児島県南九州市知覧町。かつて本土最南端の特攻基地があった場所だ。1945年3月特攻隊が次々と編成された当時、知覧高等女学校の女学生だったチノさんは命令で特攻隊員の奉仕活動にあたった。隊員の世話にあたった女学生は約100人。校章の「なでしこの花」から“なでしこ隊”と呼ばれた。チノさんには忘れられない日があった。4月12日第二次総攻撃が行われた日。次々と飛び立つ特攻隊員を、八重桜を振って見送った。当時を語り出すチノさんの目は涙で濡れる。チノさんは、入退院を繰り返す様になった。そして、話を聴くことさえできなくなる。チノさんの長男の照明さんが戦争を語り継ぐ活動を始めた。“なでしこ隊”だった母の仲間たちに話を聴く。“なでしこ隊”の思いに胸を打たれ、やがて多くの人々へ母の経験した“なでしこ隊”の記憶を語り始めた。日本人の88.8%が戦後生まれになった今、チノさんたち“なでしこ隊”が語ってくれた言葉から改めて80年前の戦争について考える。

出演者:語り:田上晃吉

制作局:鹿児島テレビ放送(KTS)

2026年8月9日(日)

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80年前の私 昭和20年、鹿児島

太平洋戦争末期の鹿児島で起こったことを、3人の戦争体験者のインタビューを通して語り継ぐ。

約310万人に及ぶ日本人が命を失った太平洋戦争は80年前の8月15日、終戦を迎えた。中学4年で終戦を迎えた立元良三さん(96)は、「国のために命をささげることが当たり前と思っていた」と少年時代を振り返る。自らを「軍国少女だった」と振り返る吉峯睦子さん(99)は、空襲で変わり果てた故郷の様子を絶望の思いとともに日記に記した。鹿児島空襲で7人の家族を失った春成幸男さんは、今年百歳。「自分も一緒に死ねば良かった」と語る。戦争体験者の高齢化に伴い、戦争の「記憶」は「歴史」へと変わりつつある。80年前の鹿児島で何があったのか。当事者の記憶と、その記憶に基づく「思い」を語り継ぐ。

出演者:ナレーター:美川愛実(KTSアナウンサー)

制作局:鹿児島テレビ放送(KTS)

2026年7月19日(日)

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監督の教え

奄美大島の鹿児島県立大島高等学校野球部。2022年3月の選抜甲子園の出場権を勝ち取った。様々な壁にぶつかりながら、夢へと向かう大島高校野球部の9カ月に密着した。

鹿児島市から南へ380キロ、世界自然遺産の島、奄美大島。島の公立高校の野球部が注目を集めていた。鹿児島県立大島高等学校野球部。2021年秋、離島勢として初の鹿児島県大会優勝。続く九州大会でも準優勝。2022年3月の選抜甲子園の出場権を勝ち取った。
注目を集めたのは、その戦いぶり。先発選手はもちろんのこと、ベンチ組もそしてベンチ外の選手達も心一つに進む“全員野球”。秋の県大会では6試合中4試合がサヨナラ勝ちだった。劇的な試合運びで選手たちが躍動する大島高校野球部には、一体どんな「教え」があるのかー。
「野球も人生も大切なことは同じ」だと語る赴任9年目の塗木哲哉監督。様々な壁にぶつかりながら、夢へと向かう大島高校野球部の9カ月に密着した。

出演者:【語り】川崎宗則(鹿児島県出身)

制作局:鹿児島テレビ放送(KTS)

2026年3月15日(日)

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あの日の記憶-なでしこ隊を語り継ぐ-

戦後80年、特攻隊を見送り“なでしこ隊”と呼ばれた少女たちの多くがこの世を去った。仲間の分まで語り継いできた女性は、知覧に帰ってきた息子へ記憶を託そうとする。

2020年、1人の女性と出会った。桑代チノさん(当時91歳)。チノさんが生まれ育ったのは鹿児島県南九州市知覧町。かつて本土最南端の特攻基地があった場所だ。1945年3月特攻隊が次々と編成された当時、知覧高等女学校の女学生だったチノさんは命令で特攻隊員の奉仕活動にあたった。隊員の世話にあたった女学生は約100人。校章の「なでしこの花」から“なでしこ隊”と呼ばれた。チノさんには忘れられない日があった。4月12日第二次総攻撃が行われた日。次々と飛び立つ特攻隊員を、八重桜を振って見送った。当時を語り出すチノさんの目は涙で濡れる。チノさんは、入退院を繰り返す様になった。そして、話を聴くことさえできなくなる。チノさんの長男の照明さんが戦争を語り継ぐ活動を始めた。“なでしこ隊”だった母の仲間たちに話を聴く。“なでしこ隊”の思いに胸を打たれ、やがて多くの人々へ母の経験した“なでしこ隊”の記憶を語り始めた。日本人の88.8%が戦後生まれになった今、チノさんたち“なでしこ隊”が語ってくれた言葉から改めて80年前の戦争について考える。

出演者:語り:田上晃吉

制作局:鹿児島テレビ放送(KTS)

2026年2月22日(日)

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80年前の私 昭和20年、鹿児島

太平洋戦争末期の鹿児島で起こったことを、3人の戦争体験者のインタビューを通して語り継ぐ。

約310万人に及ぶ日本人が命を失った太平洋戦争は80年前の8月15日、終戦を迎えた。中学4年で終戦を迎えた立元良三さん(96)は、「国のために命をささげることが当たり前と思っていた」と少年時代を振り返る。自らを「軍国少女だった」と振り返る吉峯睦子さん(99)は、空襲で変わり果てた故郷の様子を絶望の思いとともに日記に記した。鹿児島空襲で7人の家族を失った春成幸男さんは、今年百歳。「自分も一緒に死ねば良かった」と語る。戦争体験者の高齢化に伴い、戦争の「記憶」は「歴史」へと変わりつつある。80年前の鹿児島で何があったのか。当事者の記憶と、その記憶に基づく「思い」を語り継ぐ。

出演者:ナレーター:美川愛実(KTSアナウンサー)

制作局:鹿児島テレビ放送(KTS)

次回放送内容

OA:2026.10.11(日)

100 年前の1926年、現在の熊本県山鹿市鹿本町で、15歳の芹川文彰( せりかわ・ぶんしょう) さんが無声映画『実録 忠臣蔵』(1926 年公開) を鑑賞。その記憶を頼りに3 年をかけて、映画を丸ごと絵で再現したペン画集を作った。迫力あふれるタッチ、フキダシの中のセリフ、スピード感の描写などはまるでマンガのようだ。約500 コマ、160 ページにも及ぶ。しかし、それは家族以外の誰の目にふれることもなく、実家に眠っていた。芹川さんは東京の美術学校に進学し、病気のために中退。熊本に帰り、人付き合いはほとんどせず、実家で絵を描いて暮らした。最後の4年間は入院し、そこで描いた絵を病院のスタッフに全て譲り、73歳で亡くなった。2020年、伯父・文彰の遺品であるペン画集を芹川英治( えいじ) さんに見せてもらった元新聞記者の松尾 正一( まつお・しょういち) さんは驚き、京都の『おもちゃ映画ミュージアム』に見てもらった。偶然にもそこには、元の映画の66分短縮版フィルムが寄贈されていた。文彰さんのペン画集はそれを補完する映画史の資料として、また、マンガ史を語る上で貴重な資料とされている。ペン画集は「キネマ画」と名付けられ、2021年と2024年にそれぞれ京都で活動写真弁士・坂本頼光さんとピアニストの天宮遥さんによって上演され、絶賛された。そして、熊本市でも2025年12月14日、赤穂浪士討ち入りの日に活弁上演会を開催。300 席の会場は満席となり、90分に及ぶ大迫力の活弁と情感あふれるピアノ演奏で大成功を収めた。番組では芹川文彰さんが描いたキネマ画『忠臣蔵』の魅力を伝え、それをよみがえらせるために奔走する人々の思いを見つめる。

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