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これまでの放送内容 -2010年-

2010年3月14日(日)

職業は三味線奏者 ~23歳の一歩~

三味線奏者・鈴木利枝は、去年の春APU(アジア太平洋立命館大学)を卒業したばかりの23歳。

名古屋出身の鈴木は、小5で始めた三味線に魅せられた。中学は三味線の本場・青森に進学し、ますますのめりこんだ。大学卒業後はアジアを放浪、さまざまな音に出会った。そして、大分・別府を本拠地に、“職業”として三味線奏者を選択した。

希望と挫折を経験をした青森での様子などを通じて、鈴木の社会人としての一歩を伝える。

制作局テレビ大分(TOS)

2010年3月7日(日)

命かがやけ ~その小さき手のぬくもり~

未熟児や病気を持って産まれた赤ちゃんに、高度で専門的な治療を行う新生児集中治療室、NICU。未熟児などの増加によりNICUの需要が高まる一方で医療機関では医師や看護師などスタッフ不足という課題が生じている。

佐賀市にある国立病院機構佐賀病院は、佐賀県の周産期医療の中枢として多くの新生児を受け入れている。ここで働く看護師、陣内枝里子さんは勤務2年目。先輩のアドバイスを受け、日々勉強しながら小さな命を守っている。一方、佐賀病院で2人の息子を422グラム、421グラムで出産した唐津市に住む天野緑さん。6歳になる長男はこの春小学校に入学。3歳の次男は気管切開で24時間酸素吸入しているため、入園可能な保育園が見つからない。緑さんの介護休暇のリミットも迫り苦悩が続く。NICUを退院した子供たちの行き場は?そして年が明けた佐賀病院は新病棟に引越し。これまでより3床多い12床のNICUが整備された。引越し当日に新たな命が誕生した。陣内さんが適切な処置を施す。小さな命を守る現場の「今」に密着した。

制作局サガテレビ(STS)

2010年2月28日(日)

終わらない日々 ~薬物依存女性の挑戦~

鹿児島市の雑居ビルに、去年3月、ある施設が開所した。薬物依存症のリハビリ施設、「鹿児島ダルク」だ。ダルクは全国に40カ所以上あるが、スタッフは全員、薬物使用経験者。鹿児島ダルクの代表を務めるのは、戸山実香さん(27)。

戸山さんは、小学生のときに睡眠薬を乱用し、その後、大麻やシンナーに手を出し、高校生のときに覚せい剤を使い始めた。最初は、気持ち良かったが、覚せい剤をやめたくてもやめられないようになり、やがて食事もとれず、水も飲めない状態なってしまった。ただ水を吸うことしかできなくなった戸山さんは、17歳のとき、宮崎ダルクに入り、薬物をやめ続けている。宮崎ダルクでスタッフになり、社会に恩返しをと考えた戸山さんは、鹿児島にもダルクの必要性を感じ、去年3月に鹿児島ダルクの開所にこぎつけた。一度でも使ったら、再び使いたくなってしまうという薬物。薬物依存症になると、薬物を一生、使わない状態を続けることでしか完治できない。戸山さんも、現在、およそ10年間、薬物を使っていないが、今でも薬物を使いたくなったり、使っているような感覚に襲われたりすることがあるという。
番組では、戸山さん自身が薬物依存症と闘いながら、薬物依存者のために活動する姿を追う。

制作局鹿児島テレビ放送(KTS)

2010年2月21日(日)

カントクは中学生

沖縄で今話題の天才映画少年、その名は「仲村颯悟くん」。なんと颯悟くんは、13歳にしてプロの映画監督としてデビューすることになったのだ!

颯悟くんにとって初めての長編映画は、彼の大好きな「沖縄」が凝縮された「ヤギ」と「少年」の物語。

なんとカンヌ映画祭出品を目指し、颯悟くんの冬休みを利用して超過密スケジュールでロケが行われた。人間に食べられてしまう宿命を背負った「やぎ」。「命」について悩む「少年」。映画の中の少年とシンクロするように、撮影現場で、颯悟くんも大きな成長を遂げた!

一生忘れない、颯悟くん13歳の冬休みに密着します。

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

2010年2月13日(土)

I LOVE JUDO ~デフリンピッ ク・最後の挑戦~

柔道、南栄一さん 最後の挑戦!

南さんは今まで1981年のドイツ大会、1985年のロサンゼルス大会に柔道選手として選ばれていたが、どの大会も残念ながら柔道が正式種目とならず(5カ国集まらないと競技が行われず中止となる)ようやく24年経った今年、悲願のデフリンピック出場が決まった。柔道を始めて32年。「今まで柔道を続けてきたのは、デフリンピックに出場したかったからです。年齢的にもこれが選手としては最後になると思いますが、夢が叶ってとてもうれしい」と南さんは手話で語る。

●南さんの背景
南さんは、先天性の聴覚障害を持ち、生まれた時から耳が聞こえない。両親、兄弟、子供にも障害はなく、家族の中で障害を持つのは自分だけだという。性格はとても明るく、外見ではとても還暦が近い男性には見えないくらい若々しい。
会話は手話が主。妻、良江さん(62)は、自分が教えに行っていた手話サークルで知り合い、自分からアタックして結婚した。子どもは3人。現在は一番末の息子家族と同居。孫もいて3世代で暮らしている。
仕事は2年前までは兼業農家だったが、今は農業のみ。米や野菜を作っている。
台北に行く前にはキャベツの苗を植えなけれねばならない。

朝6時に起きて5キロのマラソンが日課。地元では子供たちに週2日、柔道を教えたり、柔道指導者に教えたりもしている。デフリンピックのトレーニングは自分で行っている。

●デフリンピックとは―
「デフリンピック 」は85年前、夏季大会は1924年にフランスで、冬季大会は1949年にオーストリアにおいて始まった。主催は国際ろう者スポーツ委員会(CISS)。2009年、夏季大会が台湾の台北で、2011年には冬季大会がスロバキアのハイ・タトラスで行われる。今回の夏季大会は19競技、81カ国・地域、3959人の選手が出場する。

*オリンピック、パラリンピックに比べ、認知度が非常に低く、日本から一般のテレビの取材は一切入っていない。他には、女子サッカーチームを追っている記録映画チームがいる。

制作局テレビ西日本(TNC)

次回放送内容

OA:2024.07.20(土)

長崎県五島市福江島から東南東およそ35キロの海底に「潜水艦の墓場」と呼ばれる場所がある。太平洋戦争終結の翌年、アメリカ軍が世襲した旧日本海軍の潜水艦は佐世保に集められ、五島列島沖合でアメリカ軍によって沈められた。旧日本海軍の潜水艦24艦は、今もその海底に眠っている。この海域を大学教授らが無人潜水機などを使い調査。様々な資料と照合し、全24艦の名前を特定した。その中には広島原爆の運命を変えたかもしれない潜水艦が存在した。それら潜水艦の多くは実戦でも使われた特攻兵器、人間魚雷「回天」を搭載していた。そしてもうひとつ実戦で使われた特攻兵器が存在する。旧日本海軍の水上特攻艇「震洋」。かつて「震洋」の訓練所が長崎県東彼杵郡川棚町にあった。極秘の特攻作戦だったため、資料はほとんど残されていなかった。しかし2021年、新たな写真が発見された。旧日本海軍の潜水艦、そして水上特攻艇「震洋」。それぞれの関係者は今、何を思うのか。戦争遺構が私たちに伝えようとしているものとは。

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