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これまでの放送内容 -テレビ宮崎(UMK)-

2010年12月5日(日)

Full Swing

プロゴルファー大山志保選手は、2006年賞金女王に輝いたが、2009年9月左ひじを負傷。

2009年12月に左ひじの内視鏡手術を受けた大山志保選手は、苦悩を乗り越え日本ツアー復帰を目指しオーストラリアで過酷なトレーニングを開始。そして今年9月、トーナメント復帰を飾った。9歳の時からゴルフを始め、日本を代表するプロゴルファーになった宮崎県出身プロゴルファー大山志保選手の復活を追ったドキュメンタリー。

制作局テレビ宮崎(UMK)

2010年8月29日(日)

ラブレター ~残された手紙とともに~

宮崎市在住の貴島テル子さん。休日には赤い外車を乗りこなす、とても元気なおばあちゃん。94歳となった今でも、現役の小児科医として診療を続けている。

「子供を育てたい」との思いから、母子保健一筋に歩んできた彼女。

しかし、彼女に子供はいない。戦争が始まって1941年に結婚した夫との結婚生活はわずか75日間。出征先のソロモンで戦死した。

以来一人で生きてきた、戦地から頻繁に送られてきた手紙と思い出とともに…「貴島との思い出があるうちは、再婚なんて考えられなかった」

制作局テレビ宮崎(UMK)

2010年7月11日(日)

ラブレター ~残された手紙とともに~

宮崎市在住の貴島テル子さん。休日には赤い外車を乗りこなす、とても元気なおばあちゃん。94歳となった今でも、現役の小児科医として診療を続けている。

「子供を育てたい」との思いから、母子保健一筋に歩んできた彼女。

しかし、彼女に子供はいない。戦争が始まって1941年に結婚した夫との結婚生活はわずか75日間。出征先のソロモンで戦死した。

以来一人で生きてきた、戦地から頻繁に送られてきた手紙と思い出とともに…「貴島との思い出があるうちは、再婚なんて考えられなかった」

制作局テレビ宮崎(UMK)

2010年5月16日(日)

前へ!前へ! ~車いすマラソンがつなぐ親子の絆~

宮崎県日南市出身の池田泰允さん、23歳。高校時代はHIPHOPダンス部に所属し、全国制覇を果たすほど活発な青年だった。

しかし4年前の夏、人生が一変。仲間とキャンプに出かけ川へ飛び込み、頚髄を損傷。首から下が完全に麻痺した。その後大分県別府市でリハビリを続け、自立への道を歩み始めた池田さん。ハンディキャップを持ちながら社会の中で生きていくことは容易いことではない。池田さんは己の限界を知るために、自らに「車いすマラソン完走」という目標を掲げた。

多くの壁にぶち当たりながらも前進し続ける青年と家族との絆を描く。

制作局テレビ宮崎(UMK)

2010年3月21日(日)

前へ!前へ! ~車いすマラソンがつなぐ親子の絆~

宮崎県日南市出身の池田泰允さん、23歳。高校時代はHIPHOPダンス部に所属し、全国制覇を果たすほど活発な青年だった。

しかし4年前の夏、人生が一変。仲間とキャンプに出かけ川へ飛び込み、頚髄を損傷。首から下が完全に麻痺した。その後大分県別府市でリハビリを続け、自立への道を歩み始めた池田さん。ハンディキャップを持ちながら社会の中で生きていくことは容易いことではない。池田さんは己の限界を知るために、自らに「車いすマラソン完走」という目標を掲げた。

多くの壁にぶち当たりながらも前進し続ける青年と家族との絆を描く。

制作局テレビ宮崎(UMK)

次回放送内容

OA:2025.11.09(日)

「自分の障害を受け入れて、もう1つの陸上競技に挑戦」パラ陸上・十川裕次選手が走る理由とは?。 大分市出身の十川裕次選手はパラ陸上1500mで活躍するアスリート。パラリンピックには東京・パリと2大会連続で日の丸を背負い、世界の舞台を駆けぬけた。小学校のときから野球を続けていたが、あることをきっかけに陸上の道へ。強豪駅伝部として知られる大分東明高校時代には全国高校駅伝で花の一区も任された経歴を持つ。ただ、これまでの道のりは決して平たんなものでなかった。3歳のときに軽度の知的障害が判明。周りと比べると物事を理解することが困難な場合や、そのスピードが遅いこともある。「どうしてぼくを障害に生んだの?」やり場のない怒りを両親にぶつけることもあった。そんな失意の中で出会ったパラ陸上が十川選手に「走る理由」を与えてくれた。世界への舞台へと挑戦を続ける十川選手の日々を追った。

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