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これまでの放送内容 -2012年-

2012年10月21日(日)

マーメイドになりたい 中学生シンクロ夏日記

▽水上での可憐な演技が、見る人を魅了するシンクロナイズドスイミング。シンクロに魅せられ、練習にひたむきに打ち込むひとりの中学生マーメイドに密着しました。

制作局テレビ西日本(TNC)

2012年10月14日(日)

自宅で死ぬということ~在宅ホスピス医~

▽あなたの“最期”はどこで?9割近くの人が自宅ではなく、病院で亡くなる現在。「病院で死ぬのではなく自宅で生きる」。支える医師とその家族に密着しました。

▽あなたの“最期”はどこで? 1950年代頃まで日本人の8割以上が自宅で人生の最期を迎えていました。ところが現代は9割近くの人が自宅ではなく、病院で亡くなっています。▽福岡市早良区の開業医、二ノ坂保喜さん。数百人の患者を抱え、患者の自宅を訪問する在宅医です。患者の多くがガンなどの重い病にかかっています。二ノ坂医師の心情は「病院で死ぬのではなく自宅で生きる」ということ。二ノ坂医師の活動と「死ぬまで自宅で生きる」人とその家族に密着しました。▽また在宅での医療を支えているのが、訪問看護師。福岡市西区の訪問看護ステーション『はな』には10人のベテラン看護師が24時間体制で患者に対応しています。患者の家族に適切な介護のアドバイスをする訪問看護師も紹介します。二ノ坂医師を中心に、在宅介護の横の繋がりがつくられています。在宅医の一番の問題は、医師と看護師の数が全く不足していること。これを補うため、在宅医の間で一緒に患者を診るなどの新しい試みも始まりました。訪問看護ステーション『はな』では、一般病院の看護師を訪問看護の現場で研修させる活動を続けています。▽在宅医療にかかわる医師、看護師、患者、家族を見つめます。

制作局テレビ西日本(TNC)

2012年10月7日(日)

海をこえて来た日本語~大分日本語サミット~

今年の夏、大分で開催された“日本語サミット”。日本語を学ぶ世界の若者たちが「平和」「絆」について話し合い、絆を深める10日間を見つめた。

今、海外ではアニメやマンガなど日本のポップカルチャーをきっかけに日本語を学ぶ若者が増えている。世界全体の日本語教育は133カ国、学習者の数は約365万人。(国際交流基金調べ2009現在)そんな中、熱心に日本語を学ぶ世界の若者を日本に招き直に日本人とふれあい、その文化や心を体験し、理解してもらおうという取組みがある。「日本語サミット」だ。NPO法人ジャパン・リターン・プログラムが主宰する世界的なイベントで同プログラムを通じて来日した若者は延べ197カ国、221人。参加する若者はパネリストと呼ばれ、日本滞在中は彼らをボランティアで受け入れてくれるホストファミリーの家で生活する。14回目を迎える今年は東京、大分の2会場で開催され、「平和」、「絆」などのテーマで1分30秒のスピーチ、そして公開ディスカッションが行われる。夏、大分に、国も文化も違う12人の若者がやってきた。彼らは日本語サミットに参加する為、各国の選抜試験をクリアした世界の若者たち。大分滞在の10日間、平和と絆をテーマに意見を交わし合い、思いの全てを込めた1分30秒のスピーチ原稿を作り上げる。彼らの心の葛藤、初めて生身で体験する日本文化、仲間やホストファミリーとの絆、そこには、とても小さいけれど暖かな「平和」の姿があった。遠い異国の地で出会い、「今、平和の為に自分ができること」に全力で向き合う彼らの10日間を見つめた。

制作局テレビ大分(TOS)

2012年9月30日(日)

火を画く~黒田征太郎 福島の旅~

▽画家でイラストレーターの黒田征太郎。 福島第一原発から半径20キロの警戒区域地点。生と死、日常と非日常を分けるボーダーで黒田は何を感じ、何を思ったのか?

▽2009年から北九州市・門司港で創作活動をする画家でイラストレーターの黒田征太郎(73)。戦争体験を持つ彼は、これまで野坂昭如氏と組んだ『戦争童話集』をはじめ、戦争や原子爆弾をテーマに多くの作品を創作。一貫して「戦争反対」「核廃絶」を訴えてきた。彼の新作絵本『火の話』もまた、戦争から原子力発電まで、宇宙や神話という永い時間の中で考えてみたい─という思いからできた絵本だ。そこには核を巡る人類の愚かさが描かれている。子どもの頃、空襲の下、火の中を逃げ回った黒田に、見えない火である放射能は、どう映ったのか? 絵本『火の話』には、多くのメッセージが込められている。絵本の出版を機に黒田はその場所へ行くことを決心した。そして・・・。2012年2月、黒田の姿は福島にあった。福島第一原発から20キロ。政府が定める警戒区域地点。警察車両が国道6号線の行く手を阻んでいる。彼は徐にスケッチブックを取出し、クレヨンを手にした。そして無言のままそのクレヨンを画用紙の上に走らせ始めた・・・。

制作局テレビ西日本(TNC)

2012年9月23日(日)

カンボジア ソクサバーイ~九州の元気をカンボジアへ~

▽日本とカンボジア、そして子どもたちの夢。カンボジアで初の興行を行う『九州プロレス』に密着しながら、子どもたちの現状も紹介していく。

▽カンボジア初となる本格的なプロレスの試合が、今年7月にアンコールワットの里、シェムリアップで行われた。試合を行ったのは、福岡市に拠点を置くプロレス団体『NPO法人九州プロレス』。去年、カンボジアを初めて訪れた九州プロレス代表、筑前りょうたさんは、カンボジアの多くの子どもたちが置かれている状況に衝撃を受けた。ポル・ポト政権時代に子どもだった世代の多くが親となっている現在だが、子ども兵士などの特殊な環境で育ったため、子育てや社会への適応がうまくできない大人が多い。幼少時代に、いわゆる「普通の家庭・家族」を経験したことがないため、多くの子どもたちが、親と離れて施設や里親の下で暮らし、親も「自立支援施設」に通っている。今年7月14日、九州プロレスは本格的な試合を多くの子どもたちに見てもらおうと街中にリングを設営し、プロレスの興行を行った。カンボジアでは初となる本格的なプロレスの試合。筑前さんは「カンボジアの子どもの多くは貧しく、働くことは農業や警官くらいしかイメージがない。プロレスを知ることで、身体ひとつで未来が拓くことを知ってほしい」と熱く語る。

制作局テレビ西日本(TNC)

次回放送内容

OA:2024.11.24(日)

八代市坂本町の鮎帰(あゆがえり)地区にある日光(にちこう)棚田。標高420メートル、里山に囲まれ階段状に連なる田畑の景色はどこか懐かしく安らぎを覚えます。1999年『日本の棚田百選』にも選ばれました。しかし、今は過疎化と相次ぐ離農で耕作放棄地が目立ち、田んぼは畑に切り替わり棚田の風情は過去のものとなろうとしています。この日光棚田で僅かに残った数枚の田んぼで唯一米作りに取り組んでいるのが、野口修さんです。年齢は87歳、農業の経験も無ければ地主でもありません。 野口さんは、2016年広島から坂本町に単身移住、79歳の時でした。数年後日光棚田に出会います。それは素人目線の安易な発想だったかもしれません。廃れていく棚田に想いを募らせ景観を維持できないかと…、野口さんは2020年元米農家の田んぼを借りて米作りを始めます。春は田起こし、苗ができれば田植え、収穫の秋まで水の管理や田の草取り、厄介なシカの防除に至るまで片時も目が離せません。野口さんは苦労をものともせず、四度目の秋を迎えることができました。 野口さんは収穫の喜びとは別に、新たな目標に向かって歩き出していました。本人曰く“僧侶”になると、坂本町へ移住を世話してくれたお寺の住職の力になければと話します。住職の体調を案じた末の決断でした。僧侶の資格を取るため、野口さんはこれまで通信教育でお寺の宗派に関する作法やお経を学んできました。最終課程は京都、得度(とくど)習礼(しゅらい)と呼ばれる修行に入ります。 80歳を目前に単身移住。棚田の景観を守ろうと挑む米作り。そして、今度は僧侶になろうと一念発起。野口さんは、鮎帰の里に新しい風を起こそうとする革命児なのかも!? 何が自身をそうさせるのか!?世の中を憂い立ち上がった青春期に答えは有るようです。 荊(いばら)の道を怯まず自らを進化させ続ける野口さんは間もなく米寿。人生100年時代を迎え、余生を謳歌する今はまだ旅の途中かも知れません。番組では、自らの信念と向き合う野口さんが何を求め何処へ向かおうとしているのか、終の棲み家に選んだ里の日々を追います。

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