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これまでの放送内容 -テレビ西日本(TNC)-

2016年3月27日(日)

この広い空の下で~大刀洗飛行場の記憶~

当時を知る人たちは、年々その数を減らしていく。わずかに残った「71年前の若者たち」の語る言葉に、今こそ耳を傾けなければならない。

▼そこは長閑な田園の広がる町だった。稲穂越しに家々が臨める豊かな穀倉地帯だった。少なくともそこに大きな飛行場ができるまでは・・・。昭和20年、この地は米軍機の空襲に晒された。火が人々を焦がし、焼いた。▼大刀洗の町に突如襲い掛かった惨事が人々の記憶に特別な思いを残しているのは、若者たちが犠牲になったからだ。当時この地では航空隊の若い兵士、勤労動員の学生、女子挺身隊など、多くの若者たちが働いていた。▼71年前、青春の直中にあった彼らは、どんな思いで生き、そして死んだのか。福岡の一地方で起きた空襲の中には「若者にとっての戦争」が凝縮されている。当時を知る人たちは、年々その数を減らしている。今こそ彼らの「生」の声に耳を傾けなければならない。

制作局テレビ西日本(TNC)

2016年2月14日(日)

エリナの夜明け~ある屋台女将の願い~

▽主人公は博多屋台の若女将27歳のエリナさん▽彼女を襲う廃業の危機▽どうしても続けたい理由は幼いころの悲しい記憶▽大きく揺れ動く心▽悩んだ末に下した決断とは…?

福岡の人気屋台「てるちゃん」の女将、青木エリナさん。3年前、先代から屋台を引き継いだ彼女は今、廃業の危機に迫られている。どうしても屋台を続けたい…。彼女がそう言い続けるのには、ある理由があった。

制作局テレビ西日本(TNC)

2015年12月13日(日)

未帰還兵を探して

太平洋戦争の激戦地、フィリピン・レイテ島に今も残されている叔父の遺骨を探して70歳になる甥が旅に出る。果たして叔父の遺骨は日本に帰れるのか?

▼北九州市出身で、現在は佐賀県みやき町に住む塩川正隆さん(70)。NPO団体『戦没者を慰霊し平和を守る会』の理事長として沖縄などの戦地で遺骨を収集、慰霊し、遺品(日章旗・ペン・手帳など)を遺族のもとへ戻す活動を続けている。沖縄での遺骨収集の活動は10年に及ぶ。▼塩川さんは昭和19年生まれ。生後一週間の時に父親が召集され、沖縄で戦死。遺骨収集活動は父親の亡骸を故郷に戻したい、という思いからだったが、その思いは未だ叶っていない。父親の2人の弟はそれぞれフィリピン、シベリアで戦死している▼2014年、塩川さんの姿は、フィリピン・レイテ島にあった。父親の弟・塩川清隆さん(伯父)の遺骨と会うためだ。

制作局テレビ西日本(TNC)

2015年10月25日(日)

終戦のチンチン電車

映画監督・川島透が追う『終戦のチンチン電車』。福岡市を走った路面電車の知られざる戦争の時代の出来事。運転台に立ったのは13歳の少年だった。

太平洋戦争末期。空襲で焼け野原になった福岡の街を、市民の唯一の足であった市内電車(西鉄福岡市内線)は奇跡的に走り続けた。チンチン電車と呼ばれ親しまれてきた市内電車。運転手も車掌もその多くが召集され、運転継続は不可能かと思われたチンチン電車だったが、窮余ともいえる策で動き続けた。何とその運転台に立ったのは、勤労動員された旧制中学、修猷館の生徒たちだったのだ。当時、国民総動員態勢に例外はなく、中学生たちも各軍需工場や飛行場建設や男手が足りなくなった農村に狩り出された。そんななか、修猷館の生徒たちの一団に下った命令は、市内電車の運転手。不安を訴える者、子供の頃の夢が叶ったと喜ぶ者、一報を聞いた生徒たちは大騒ぎだった。なにしろ彼等は中学の二年生、戦時の自覚があったとは言えまだ13~14才の少年たちだった。この話を福岡出身の映画監督、川島透が知ったのは福岡天神の古本屋。2014年のことだった。川島の心を揺さぶったのは福岡の大動脈を守ったのが僅か13~14歳の中学生であったこと。「この実話をドラマにしたい」川島の映像作家の心に火が付いた。

出演者:川島透(映画監督)

制作局テレビ西日本(TNC)

2015年9月6日(日)

走れ!若武者 ラグビー日本代表・藤田慶和

イングランドで開催されるラグビーW杯で活躍が期待される藤田慶和選手。抜群のスピードでトライを狙う若武者の素顔に迫ります。

2015年秋にイングランドで開催されるワールドカップで活躍が期待されるラグビー界の新星・藤田慶和。非凡なアタックセンスとフィールドを切り裂く抜群のスピードでトライを狙う。東福岡高校時代はエースとして全国大会3連覇に貢献。その活躍から史上最年少の18歳で日本代表入りを果たし、初めての代表戦でいきなり6トライを挙げる圧巻のデビューを飾った。所属する早稲田大学ラグビー部では中心選手として活躍。ワールドカップアジア最終予選。勝てば本大会出場がかかった香港戦で先発メンバーに選ばれた藤田は、3トライを奪う活躍で日本代表の勝利に貢献。ところが、その後の国際試合で右肩を脱臼。手術を受けて戦線離脱した。ワールドカップ出場へ向けて黄色信号が点灯。復活に向けて苦しい闘いの日々を過ごすことになった。実戦復帰の舞台となったのは、大学ラグビー伝統の一戦「早明戦」。藤田は、この一戦で復活を目指した。自らのラグビー人生の原点は福岡という藤田。日本ラグビー界の若きトライゲッターが味わった栄光と挫折の一年を追いかけた。

制作局テレビ西日本(TNC)

次回放送内容

OA:2024.07.20(土)

長崎県五島市福江島から東南東およそ35キロの海底に「潜水艦の墓場」と呼ばれる場所がある。太平洋戦争終結の翌年、アメリカ軍が世襲した旧日本海軍の潜水艦は佐世保に集められ、五島列島沖合でアメリカ軍によって沈められた。旧日本海軍の潜水艦24艦は、今もその海底に眠っている。この海域を大学教授らが無人潜水機などを使い調査。様々な資料と照合し、全24艦の名前を特定した。その中には広島原爆の運命を変えたかもしれない潜水艦が存在した。それら潜水艦の多くは実戦でも使われた特攻兵器、人間魚雷「回天」を搭載していた。そしてもうひとつ実戦で使われた特攻兵器が存在する。旧日本海軍の水上特攻艇「震洋」。かつて「震洋」の訓練所が長崎県東彼杵郡川棚町にあった。極秘の特攻作戦だったため、資料はほとんど残されていなかった。しかし2021年、新たな写真が発見された。旧日本海軍の潜水艦、そして水上特攻艇「震洋」。それぞれの関係者は今、何を思うのか。戦争遺構が私たちに伝えようとしているものとは。

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