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これまでの放送内容 -テレビ西日本(TNC)-

2015年8月16日(日)

俺だってラガーマン

▼そのあまりの激しさ、荒々しさ故に「殺人ボール」の異名がつけられた「ウィルチェアラグビー」。障害者たちが車いすで行うラグビーだ。その魅力に迫る。

▼「殺人ボール」そのあまりの激しさ、荒々しさ故にそんな異名がつけられた競技がある。競技の名前は「ウィルチェアラグビー」。障害者たちが車いすで行うラグビーだ。重装備の車いすに乗ったプレイヤーたちが激しくぶつかり合う姿はまさに圧巻だ。▼福岡県で働きながらウィルチェアラグビーを続ける堀さん(26)は生まれたときから全身に障害があり、車いす生活を続けてきた。もともと車いすバスケットを行っていたが、ウィルチェアラグビーに転向。始めて1年あまりで、早くも全日本代表候補に選ばれている。堀さんは言う「障害者スポーツだからではなく、純粋に一つのスポーツとして感動を与えられるようになりたい」▼堀さんの目標の一つは福岡にウィルチェアラグビーチームを作ること。今その目標が少しずつ実現しようとしている。堀さんとともにチームの立ち上げに動いた坪田さん(30)。小さいころから福岡でラグビーを続け、高校、大学と順調なキャリアを進み、社会人でもラグビーを続けていたが、靭帯を切り、プレーから遠ざかっていた。しかし、坪田さんと堀さんが出会ったことで、チーム設立へ大きく動き始めている。

制作局テレビ西日本(TNC)

2015年5月3日(日)

未帰還兵を探して

太平洋戦争の激戦地、フィリピン・レイテ島に今も残されている叔父の遺骨を探して70歳になる甥が旅に出る。果たして叔父の遺骨は日本に帰れるのか?

▼北九州市出身で、現在は佐賀県みやき町に住む塩川正隆さん(70)。NPO団体『戦没者を慰霊し平和を守る会』の理事長として沖縄などの戦地で遺骨を収集、慰霊し、遺品(日章旗・ペン・手帳など)を遺族のもとへ戻す活動を続けている。沖縄での遺骨収集の活動は10年に及ぶ。▼塩川さんは昭和19年生まれ。生後一週間の時に父親が召集され、沖縄で戦死。遺骨収集活動は父親の亡骸を故郷に戻したい、という思いからだったが、その思いは未だ叶っていない。父親の2人の弟はそれぞれフィリピン、シベリアで戦死している▼2014年、塩川さんの姿は、フィリピン・レイテ島にあった。父親の弟・塩川清隆さん(伯父)の遺骨と会うためだ。

制作局テレビ西日本(TNC)

2015年3月22日(日)

“かしわ”に惚れた男たち

▼鶏肉を使った郷土料理が多い博多の食文化。今回のドキュメント九州は博多の鶏を全国へ、そして世界へと発信する男たちの姿を追いました。

▼鍋にあう料理。はかた地どりは「福岡県の郷土料理である筑前煮や水炊きをもっと美味しく」という発想が原点となり誕生した福岡県産の地鶏肉。日本在来種(明治時代までに成立、定着したもの)の血液率が50%以上、飼育期間は80日以上など、その規定は厳しい。現在、福岡県では11の農場が「はかた地どり」の生産に取り組み、平成24年度は40万羽、平成30年度には60万羽の生産を目指している。▼福岡県新宮町で養鶏場を営む鍋島さん一家。はかた地どりの生産に取り組み20年が経った。5年前まではブロイラーも生産していたが、現在ははかた地どりのみの生産を行う。年間生産数は約3万羽。飼育の難しさに加え、鳥インフルエンザなどの影響も懸念されるなか「本物の鶏の味を全国に届けたい」と意気込む。そんな鍋島さん一家の日常を追う。▼水炊き料亭「華味鳥」は九州産の銘柄鶏を養鶏から販売まで一貫して行っている。現在国内に22店舗、海外に1店舗(中国・大連)を構え国内外の食通たちを唸らせている。そんな華味鳥、この春、台湾に新規出店。新規オープンまでの道のりを密着取材する。

制作局テレビ西日本(TNC)

2015年3月1日(日)

俺だってラガーマン

▼そのあまりの激しさ、荒々しさ故に「殺人ボール」の異名がつけられた「ウィルチェアラグビー」。障害者たちが車いすで行うラグビーだ。その魅力に迫る。

▼「殺人ボール」そのあまりの激しさ、荒々しさ故にそんな異名がつけられた競技がある。競技の名前は「ウィルチェアラグビー」。障害者たちが車いすで行うラグビーだ。重装備の車いすに乗ったプレイヤーたちが激しくぶつかり合う姿はまさに圧巻だ。▼福岡県で働きながらウィルチェアラグビーを続ける堀さん(26)は生まれたときから全身に障害があり、車いす生活を続けてきた。もともと車いすバスケットを行っていたが、ウィルチェアラグビーに転向。始めて1年あまりで、早くも全日本代表候補に選ばれている。堀さんは言う「障害者スポーツだからではなく、純粋に一つのスポーツとして感動を与えられるようになりたい」▼堀さんの目標の一つは福岡にウィルチェアラグビーチームを作ること。今その目標が少しずつ実現しようとしている。堀さんとともにチームの立ち上げに動いた坪田さん(30)。小さいころから福岡でラグビーを続け、高校、大学と順調なキャリアを進み、社会人でもラグビーを続けていたが、靭帯を切り、プレーから遠ざかっていた。しかし、坪田さんと堀さんが出会ったことで、チーム設立へ大きく動き始めている。

制作局テレビ西日本(TNC)

2015年2月22日(日)

新米親方奮闘記~元大関・魁皇 浅香山部屋設立の1年~

▼大関として活躍した魁皇。引退後は部屋付き親方として指導にあたってきたが、ついに独立、浅香山部屋を設立する。新たな道を歩む決意とその奮闘ぶりに迫る。

▼大関として活躍した魁皇。引退後は部屋付き親方として指導にあたってきたが、2014年2月、ついに独立、浅香山部屋を設立する。いざ独立となると部屋付き時代とは違い、親方自ら、一から十まで準備しなくてはならない。東京での部屋はもちろん、各地方場所での稽古場や宿舎の確保、後援者への挨拶、そして何より弟子を集めることが重要になる。新たな道を歩む決意とその奮闘ぶりに迫る。

制作局テレビ西日本(TNC)

次回放送内容

OA:2024.07.20(土)

長崎県五島市福江島から東南東およそ35キロの海底に「潜水艦の墓場」と呼ばれる場所がある。太平洋戦争終結の翌年、アメリカ軍が世襲した旧日本海軍の潜水艦は佐世保に集められ、五島列島沖合でアメリカ軍によって沈められた。旧日本海軍の潜水艦24艦は、今もその海底に眠っている。この海域を大学教授らが無人潜水機などを使い調査。様々な資料と照合し、全24艦の名前を特定した。その中には広島原爆の運命を変えたかもしれない潜水艦が存在した。それら潜水艦の多くは実戦でも使われた特攻兵器、人間魚雷「回天」を搭載していた。そしてもうひとつ実戦で使われた特攻兵器が存在する。旧日本海軍の水上特攻艇「震洋」。かつて「震洋」の訓練所が長崎県東彼杵郡川棚町にあった。極秘の特攻作戦だったため、資料はほとんど残されていなかった。しかし2021年、新たな写真が発見された。旧日本海軍の潜水艦、そして水上特攻艇「震洋」。それぞれの関係者は今、何を思うのか。戦争遺構が私たちに伝えようとしているものとは。

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