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これまでの放送内容 -沖縄テレビ放送(OTV)-

2011年4月10日(日)

オキナワ映画

「沖縄で新たに誕生した映画「ナッシングパーツ71」。監督は、名プロデューサーとして知られる仙頭武則。

彼は日本映画の話題作次々とプロデュースし、カンヌ映画祭で連続受賞をはじめとする12カ国の国際映画祭等で98もの賞を受賞!まさに日本を代表する国際的プロデューサーである。その仙頭武則氏が、3年前に沖縄移住。そして、2010年夏、人生初となる「映画監督」に挑戦したのだ。

完成した映画には、いわゆる「沖縄問題」が満載。軍用地を売る男と、アメリカ人を殺してしまった男が出会い、掘り返した日本兵の頭蓋骨を抱えて、オキナワを彷徨うロードムービー。ディープすぎる「オキナワ」に仙頭監督は切り込んでいったのである。過激なまでに情熱を傾け、「熱病」にうかされるように灼熱の太陽の下、仙頭監督は、2010年の「オキナワ」を撮った!はたして仙頭監督を突き動かしていた「もの」とは、何なのか?

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

2011年1月30日(日)

オキナワ映画

「沖縄で新たに誕生した映画「ナッシングパーツ71」。監督は、名プロデューサーとして知られる仙頭武則。

彼は日本映画の話題作次々とプロデュースし、カンヌ映画祭で連続受賞をはじめとする12カ国の国際映画祭等で98もの賞を受賞!まさに日本を代表する国際的プロデューサーである。その仙頭武則氏が、3年前に沖縄移住。そして、2010年夏、人生初となる「映画監督」に挑戦したのだ。

完成した映画には、いわゆる「沖縄問題」が満載。軍用地を売る男と、アメリカ人を殺してしまった男が出会い、掘り返した日本兵の頭蓋骨を抱えて、オキナワを彷徨うロードムービー。ディープすぎる「オキナワ」に仙頭監督は切り込んでいったのである。過激なまでに情熱を傾け、「熱病」にうかされるように灼熱の太陽の下、仙頭監督は、2010年の「オキナワ」を撮った!はたして仙頭監督を突き動かしていた「もの」とは、何なのか?

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

2010年11月21日(日)

幸せのひみつ ~沖縄とブータンを結ぶ着物の心~

沖縄から染織調査の一行が、ヒマラヤの桃源郷とも呼ばれる国、ブータンを訪れた。

ブータンは、日常着が着物という世界でも珍しい国。沖縄でも、昔は着物が当たり前だった。帯を結ばない“ウシンチー”は、戦後まもない頃まで見られた沖縄独自の装い。

なぜ、その姿は見られなくなったのか…。

ブータンは、2年前に民主化をし、大きな変革の時代を迎えている。街では着物姿と洋服姿が混在していた。“琉装”が失われた歴史とブータンの今がどこか重なってくる。しかし“織り姫の村”といわれる伝説の村では、織りの心がしっかりと息づいていた。見事な布を織っていた12歳の少女との出会い…。沖縄とブータンを結ぶ“着物の心”に迫り、幸せのひみつを発見する物語。

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

2010年10月31日(日)

幸せのひみつ ~沖縄とブータンを結ぶ着物の心~

沖縄から染織調査の一行が、ヒマラヤの桃源郷とも呼ばれる国、ブータンを訪れた。

ブータンは、日常着が着物という世界でも珍しい国。沖縄でも、昔は着物が当たり前だった。帯を結ばない“ウシンチー”は、戦後まもない頃まで見られた沖縄独自の装い。

なぜ、その姿は見られなくなったのか…。

ブータンは、2年前に民主化をし、大きな変革の時代を迎えている。街では着物姿と洋服姿が混在していた。“琉装”が失われた歴史とブータンの今がどこか重なってくる。しかし“織り姫の村”といわれる伝説の村では、織りの心がしっかりと息づいていた。見事な布を織っていた12歳の少女との出会い…。沖縄とブータンを結ぶ“着物の心”に迫り、幸せのひみつを発見する物語。

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

2010年10月3日(日)

シマの芽吹き

沖縄を代表する版画家、名嘉睦稔。

彼のデザインする巨大建造物「AKARA」は、沖縄の伝統的な「赤瓦」や、季節の到来を告げる「風」をイメージしたデザインが盛り込まれている。

風を走らせる通りに、大きくうねる巨大な瓦屋根など「AKARA」建設は、設計の段階から困難が予想された。プロジェクトのプランニングを担当するのは、デザイナーである名嘉睦稔の息子、名嘉太一。「AKARA」完成を目指す親子の物語。

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

次回放送内容

OA:2024.07.20(土)

長崎県五島市福江島から東南東およそ35キロの海底に「潜水艦の墓場」と呼ばれる場所がある。太平洋戦争終結の翌年、アメリカ軍が世襲した旧日本海軍の潜水艦は佐世保に集められ、五島列島沖合でアメリカ軍によって沈められた。旧日本海軍の潜水艦24艦は、今もその海底に眠っている。この海域を大学教授らが無人潜水機などを使い調査。様々な資料と照合し、全24艦の名前を特定した。その中には広島原爆の運命を変えたかもしれない潜水艦が存在した。それら潜水艦の多くは実戦でも使われた特攻兵器、人間魚雷「回天」を搭載していた。そしてもうひとつ実戦で使われた特攻兵器が存在する。旧日本海軍の水上特攻艇「震洋」。かつて「震洋」の訓練所が長崎県東彼杵郡川棚町にあった。極秘の特攻作戦だったため、資料はほとんど残されていなかった。しかし2021年、新たな写真が発見された。旧日本海軍の潜水艦、そして水上特攻艇「震洋」。それぞれの関係者は今、何を思うのか。戦争遺構が私たちに伝えようとしているものとは。

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