これまでの放送内容 -沖縄テレビ放送(OTV)-
2012年1月15日(日)
オキナワ発! お笑い米軍基地のアツい一日
沖縄の人々が、熱狂している笑いがある。
それが「お笑い米軍基地」だ。沖縄生まれ沖縄育ちのお笑い芸人たちが、深刻な「基地問題」を徹底的にパロディー化して、笑いの舞台に変換!2005年にスタートした「お笑い米軍基地」は、今や沖縄の人々が、年に一度の新作公演を待ちわびる人気舞台へと成長した。
そんな大人気の「お笑い米軍基地」誕生の裏には、沖縄中を震撼させた、米軍ヘリ墜落事故の衝撃があった。笑いの原点に向き合った、沖縄のお笑い芸人たちのアツい1日に密着した。
制作局:沖縄テレビ放送(OTV)
2011年11月6日(日)
大切なことは目に見えない ~沖縄盲学校の母~
主人公は中村文さん。みんなから「文先生」と呼ばれて慕われている女性。
去年、カジマヤー(数え歳97歳を祝う沖縄の風習)を迎えた96歳です。沖縄盲教育の礎を築いてきた彼女は、「沖縄盲学校の母」と慕われ、今でも点字指導では右に出る人がいない第一人者です。『視覚障害者は“百聞は一触にしかず”ですよ』と話す文先生。手で触って物事を捉え、イメージを広げていくという文先生の理念は、今も盲教育の現場に受け継がれています。
全盲のテノール歌手・新垣勉さんも、文先生の教え子の一人。なかなか点字が覚えられなかった勉さんに、文先生は粘り強く教え続け、点字楽譜も読めるように指導しました。全国で活躍する勉さんの音楽生活の土台は、文先生によって築かれたと言っても過言ではありません。「教育はすごい」。中村文先生は、「見えないこと以外は何でもできる」と信じて、盲教育の道を切り開いてきたのです。
制作局:沖縄テレビ放送(OTV)
2011年9月18日(日)
オキナワ発! お笑い米軍基地のアツい一日
沖縄の人々が、熱狂している笑いがある。
それが「お笑い米軍基地」だ。沖縄生まれ沖縄育ちのお笑い芸人たちが、深刻な「基地問題」を徹底的にパロディー化して、笑いの舞台に変換!2005年にスタートした「お笑い米軍基地」は、今や沖縄の人々が、年に一度の新作公演を待ちわびる人気舞台へと成長した。
そんな大人気の「お笑い米軍基地」誕生の裏には、沖縄中を震撼させた、米軍ヘリ墜落事故の衝撃があった。笑いの原点に向き合った、沖縄のお笑い芸人たちのアツい1日に密着した。
制作局:沖縄テレビ放送(OTV)
2011年8月21日(日)
生まれ島に咲きたくて
沖縄を代表する人気シンガー、池田卓。彼の生まれ島は、陸の孤島と呼ばれる西表島船浮。10周年の節目に島に帰ることを決断。生まれ島のために生きていく一人の青年の物語。
沖縄を代表する人気シンガー、池田卓。2000年に『島の人よ』でデビューし、生まれ島への想いを歌い続けて10年。その節目に島へ帰る決断をする。彼の生まれ島は、陸の孤島と呼ばれる西表島船浮。人口は、およそ40人。イリオモテヤマネコが捕獲された場所として知られ、捕獲した人物は、池田卓の父、池田米蔵。父は、息子に教えなければならないことがたくさんあると言う。そして、池田卓自身で企画し、4年前にスタートした『船浮音祭り』。去年、700人もの観客が船浮にやってきたことで、彼は島から歌を届けられる可能性を感じ始める。生まれ島のために生きていく一人の青年の物語。
制作局:沖縄テレビ放送(OTV)
2011年5月22日(日)
生まれ島に咲きたくて
沖縄を代表する人気シンガー、池田卓。彼の生まれ島は、陸の孤島と呼ばれる西表島船浮。10周年の節目に島に帰ることを決断。生まれ島のために生きていく一人の青年の物語。
沖縄を代表する人気シンガー、池田卓。2000年に『島の人よ』でデビューし、生まれ島への想いを歌い続けて10年。その節目に島へ帰る決断をする。彼の生まれ島は、陸の孤島と呼ばれる西表島船浮。人口は、およそ40人。イリオモテヤマネコが捕獲された場所として知られ、捕獲した人物は、池田卓の父、池田米蔵。父は、息子に教えなければならないことがたくさんあると言う。そして、池田卓自身で企画し、4年前にスタートした『船浮音祭り』。去年、700人もの観客が船浮にやってきたことで、彼は島から歌を届けられる可能性を感じ始める。生まれ島のために生きていく一人の青年の物語。
制作局:沖縄テレビ放送(OTV)