ページトップ
TNCメニュー

これまでの放送内容

2010年7月4日(日)

ブラジル番長 ~アマゾン取材日記~

福岡市内にちょっと変わった新聞記者がいる。しかも、ブラジルの新聞社の記者なのだ。

彼の名は、吉永拓哉。中学時代はいわゆるヤンキー。福岡市内を二分する暴走族の副総長だった。イケイケの彼を待っていたのは…バイクでの暴走、シンナー、覚せい剤乱用の果ての少年院送りだった。そんな彼は、ある日を境にヤンキーの世界から足抜けせざるを得なくなるのだ。
なぜなら…少年院を退所する条件が…一人、南米に送られることだったからだ。

体ひとつで、エクアドル、ペルー、アルゼンチン、ブラジル…南米を放浪。その自由でおおらかな気風に触れ、体ひとつで南米で生活をしていくうちに、吉永さんは次第に自分と同じように 南米に根付いて暮らす日系移民に関心が向かうようになった。

その後、ブラジルの新聞社「サンパウロ新聞社」にもぐり込み、持ち前のヤンキー根性で厚かましく、そして雑草魂で、自分の居場所を見つけていったのだ。そして、少年が大人の男になっていった。

彼の目標は…今、出来るだけ多くの日系移民の貴重な証言を拾い集めに行くこと。アマゾンの奥地に…自分たちの新聞を心待ちにしてくれている人たちがいる。そんな人達から多くの証言を集め、今の日本人が忘れ去ろうとしている「礼節」「助け合い」「気概」などの精神を開拓者たちの生き様を通して訴えようとしている。企画では…日本で「サンパウロ新聞社」の記者としての活動ぶりやボランティアとして少年院などでの講演活動、そして、ブラジルのサンパウロ新聞社での記者としての活動ぶりを追いかけて生きたい。

なぜ…日系移民そして、ブラジルにこだわるのか?日系移民から何を学ぼうとしているのか?密着取材で掘り下げていきたい。

制作局テレビ西日本(TNC)

次回放送内容

OA:2024.11.24(日)

八代市坂本町の鮎帰(あゆがえり)地区にある日光(にちこう)棚田。標高420メートル、里山に囲まれ階段状に連なる田畑の景色はどこか懐かしく安らぎを覚えます。1999年『日本の棚田百選』にも選ばれました。しかし、今は過疎化と相次ぐ離農で耕作放棄地が目立ち、田んぼは畑に切り替わり棚田の風情は過去のものとなろうとしています。この日光棚田で僅かに残った数枚の田んぼで唯一米作りに取り組んでいるのが、野口修さんです。年齢は87歳、農業の経験も無ければ地主でもありません。 野口さんは、2016年広島から坂本町に単身移住、79歳の時でした。数年後日光棚田に出会います。それは素人目線の安易な発想だったかもしれません。廃れていく棚田に想いを募らせ景観を維持できないかと…、野口さんは2020年元米農家の田んぼを借りて米作りを始めます。春は田起こし、苗ができれば田植え、収穫の秋まで水の管理や田の草取り、厄介なシカの防除に至るまで片時も目が離せません。野口さんは苦労をものともせず、四度目の秋を迎えることができました。 野口さんは収穫の喜びとは別に、新たな目標に向かって歩き出していました。本人曰く“僧侶”になると、坂本町へ移住を世話してくれたお寺の住職の力になければと話します。住職の体調を案じた末の決断でした。僧侶の資格を取るため、野口さんはこれまで通信教育でお寺の宗派に関する作法やお経を学んできました。最終課程は京都、得度(とくど)習礼(しゅらい)と呼ばれる修行に入ります。 80歳を目前に単身移住。棚田の景観を守ろうと挑む米作り。そして、今度は僧侶になろうと一念発起。野口さんは、鮎帰の里に新しい風を起こそうとする革命児なのかも!? 何が自身をそうさせるのか!?世の中を憂い立ち上がった青春期に答えは有るようです。 荊(いばら)の道を怯まず自らを進化させ続ける野口さんは間もなく米寿。人生100年時代を迎え、余生を謳歌する今はまだ旅の途中かも知れません。番組では、自らの信念と向き合う野口さんが何を求め何処へ向かおうとしているのか、終の棲み家に選んだ里の日々を追います。

年別アーカイブ

制作局

  • LINEで送る
ページの先頭へ