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これまでの放送内容 -2009年-

2009年6月28日(日)

チームで救え! ~桟橋落下事故と大分DMAT~

1月23日に発生した造船所事故では、桟橋が落下して2人が死亡、24人が重軽傷を負った。現場に投入されたDMAT隊員たちは、現地に医療活動が出来る救護所などを急ごしらえして負傷者の救命活動を行った。

一度に多数の患者に対してドクターやナース・点滴液などの医療資源には、おのずと限界がある。限られた資源を効率的に救命につなげるために行われるのが、負傷程度により患者を区分けするトリアージだ。

トリアージについては、国内のほかの事例で当該遺族からドクターに対して訴訟が起こされるなど、災害現場での医療手段としての国民的コンセンサスの醸成が待たれている。
現場に投入された大分DMATは、去年春に発足したばかりの新組織である。最小単位をドクター1人、ナース1人と小規模にしたり出動基準を緩和するなどユニークな組織と活動はローカル県での活動としては、すでに数多くの成果をもたらしている。番組では、大分DMATの組織づくりに奔走する若い外科医の救急医療への強い思いやDMATに携わるドクター・ナース・救急隊員たちの生の声を拾いながら災害医療のあり方を考えるとともに、医師不足など地域医療の抱える課題にも果敢に挑戦する大分DMATの試みも紹介する。

制作局テレビ大分(TOS)

2009年6月21日(日)

なぜ息子が… ~健太さんの死が訴えるもの~

2007年9月25日午後6時頃。いつものように自転車で帰宅途中の青年が、自宅まであと少しの場所で、5人の警察官に“取り抑え”られ、直後に死亡した。青年の名は安永健太さん(25)。知的障害者だ。

障害者のスポーツの祭典、スペシャルオリンピックスに佐賀県から初めて日本代表に選ばれ、リレーで銀メダルを獲得した。警察は当初、安永さんが「車と車の間を縫うように自転車で車道を蛇行運転、パトカーの停止命令に従わず、信号待ちしていた原付バイクにぶつかり暴れたため“保護”した」と説明。安永さんを「精神錯乱状態と判断し、知的障害者とは分からなかった」と。安永さんは後ろ手に手錠をかけられていた。「死んで“保護”はないでしょう」と警察に不信感を募らせる父。「警察が、知的障害者と分かっていたら…」その言葉が重くのしかかる。 障害者が地域で安心して暮らせる社会を目指すとした『障害者自立支援法』。この問題は、その受け皿が整っていないことも示した。二度と起こさないために…。障害者と見分けがつくように『ラベリング』を…。いや、逆に犯罪に巻き込まれてしまう…。苦悩を続ける施設関係者。知的障害者への理解を深めてもらう活動は、今も続く。 安永さんが亡くなって1年が過ぎた頃、一通の封書が届く。遠く離れた東京・町田市の知的障害者の母からだった。そこには、安永さんの死を二度と繰り返さないために作った『SOSボード』が。「安永さんの死は無駄になっていない…」と。

制作局サガテレビ(STS)

2009年6月14日(日)

紅茶に挑む ~3代目の決断~

鹿児島県大隅半島の南部、錦江町。周囲を照葉樹林に囲まれた田代花瀬地区は、お茶の産地として知られている。この地でお茶を作る3代目・川前康博さん(44)は、去年初めて紅茶を作り、今年は本格的に一番茶から紅茶を作ることを決めた。

川前さんのお茶畑には、おじいさんが大正14年に種子島から持ち帰った種から育った84年目の茶木がある。色々な品種が混ざったこの茶木は、かつてお荷物となっていたが、川前さんはこの茶木の価値を見つめ直し、最もその味と香りを引き出す方法として、紅茶作りを選んだのだ。

鹿児島県は全国2位の茶生産地となり、増産に励んできた。しかし、最も大事なリーフ茶の消費量は減り続けており、去年、今年と一番茶の取引価格は暴落し、茶農家の経営は厳しい状況となっている。

川前さんは、量を追求する方針に疑問を感じてきた。そして10年悩み続けた結果、消費者と直接向き合うお茶農家になることを決意し、今年、84年の茶木の一番茶を、消費者を招いて茶摘みを体験してもらい、そのお茶で紅茶を作ったのだ。

制作局鹿児島テレビ放送(KTS)

2009年6月7日(日)

その月が割れるまで ~福岡事件・再審請求の行方~

1947年5月、福岡市で軍服の取引にからみ、日本人と中国人の商人2人が殺害された。警察は計画的強盗殺人事件として捜査し、取引の手付金を手にしていた西武雄さん(当時32)を主犯、2人を撃った石井健治郎さん(当時30)を実行犯、5人の男を共犯として逮捕した。

西さんは関与を否定し、石井さんは「自分が撃たれると思ったから撃った」と正当防衛または誤殺を主張した。しかし、1956年に2人は強盗殺人罪で死刑が確定。1975年に西さんの死刑が執行され、同じ日に石井さんは無期懲役に減刑された。

そして、石井さんは1989年に恩赦で仮釈放され、刑務所で教誨師をしていた古川泰龍さんの生命山シュバイツァー寺(熊本県玉名市)に身を寄せた。石井さんは西さんを含め冤罪を主張し、2005年5月に福岡高等裁判所に6度目の再審請求をした。日本の裁判史上初めての死刑執行後の再審請求である。しかし、石井さんは去年11月に死亡。

この西さんと石井さんの名誉回復のため、『叫びたし寒満月の割れるほど』という西さんが獄中で詠んだ句を合い言葉に、古川さんの長男・龍樹さんや福岡の大学生たちが再審の支援活動を続けている。3月31日、福岡高裁は再審請求棄却の決定を出した。失意の底に沈む古川さん一家だったが、学生たちはあきらめず、全国の大学の法学部の教授たちに支援を呼びかける手紙を出した。その姿を見て、古川さんは活動の継続を誓うのだった。

制作局テレビ熊本(TKU)

2009年5月31日(日)

オレは街角の宣伝屋 ~ちんどん屋に人生を捧げる37歳~

賑やかな音楽を奏でながら、街中で宣伝を行うちんどん屋。戦後の日本では、よく見かけた光景だったが、最近はめったにお目にかからなくなった。

その仕事を今に受け継いでいる「かわち家」の河内隆太郎さん(37歳)。
長崎でちんどん屋「かわち家」を開業して10年を迎える今年、河内さんは日本全国のちんどん屋を招いてそのパフォーマンスを披露する、大きなイベントを企画した。果たして成功するのか?ちんどん屋を一生の仕事と言い切る河内さんの思いを伝える。


ナレーション 川波美幸(KTNアナウンサー)
ディレクター 荒木陽子

制作局テレビ長崎(KTN)

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