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これまでの放送内容

2017年2月26日(日)

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ペンが織り成すSTORY 画家 池田学

ドキュメント九州 ペンが織り成すSTORY 画家・池田学▽佐賀県多久市出身の画家池田学が、アメリカで3年の歳月をかけ完成させた新作「誕生」に込めた想いに迫る。

2017年1月、日本初公開された1枚の絵。縦3メートル、横4メートルの巨大なキャンパスに描きこまれた緻密な線と壮大な構図に、観覧者から驚嘆の声が上がった。制作者は佐賀県多久市出身の画家池田学さん、アメリカで3年の歳月をかけて描かれた大作です。
池田さんは2008年に「予兆」という作品を描き、2010年にカナダへ渡りますが、その1年後に日本が未曾有の大災害に襲われるとは「夢にも思っていなかった」と言います。ニュースで東日本大震災による甚大な被害を知った池田さんは、一旦は「日本に戻ろうと」考えますが、「アーティストとしてできることがある」と説得され、2013年「メルトダウンという作品を発表します。この作品は、自然と文明の共存というテーマに、池田さんが取り組み続けることを方向づけた作品です。
池田さんの絵の特徴は、ペンを使った緻密なモチーフが幾つも組み合わされ、やがて壮大な構図へと進化すること。1日に描けるのは10センチ四方程度といいます。
2013年、拠点をアメリカウィスコンシン州マディソンに移した池田さんは、現地の美術館で「自然災害を乗り越え、復興、再生していく人々の営みを描きたい」と、新作の創作活動に入ります。そして、生まれた新作「誕生」。この絵に込めた池田さんの想いと、画家・池田学を育んだ故郷・佐賀に住む関係者の言葉から、アートの力と1本のペンにかけた画家の情熱に迫ります。

出演者:池田学(画家) 【ナレーション】 田邉有沙

制作局サガテレビ(STS)

次回放送内容

OA:2024.11.24(日)

八代市坂本町の鮎帰(あゆがえり)地区にある日光(にちこう)棚田。標高420メートル、里山に囲まれ階段状に連なる田畑の景色はどこか懐かしく安らぎを覚えます。1999年『日本の棚田百選』にも選ばれました。しかし、今は過疎化と相次ぐ離農で耕作放棄地が目立ち、田んぼは畑に切り替わり棚田の風情は過去のものとなろうとしています。この日光棚田で僅かに残った数枚の田んぼで唯一米作りに取り組んでいるのが、野口修さんです。年齢は87歳、農業の経験も無ければ地主でもありません。 野口さんは、2016年広島から坂本町に単身移住、79歳の時でした。数年後日光棚田に出会います。それは素人目線の安易な発想だったかもしれません。廃れていく棚田に想いを募らせ景観を維持できないかと…、野口さんは2020年元米農家の田んぼを借りて米作りを始めます。春は田起こし、苗ができれば田植え、収穫の秋まで水の管理や田の草取り、厄介なシカの防除に至るまで片時も目が離せません。野口さんは苦労をものともせず、四度目の秋を迎えることができました。 野口さんは収穫の喜びとは別に、新たな目標に向かって歩き出していました。本人曰く“僧侶”になると、坂本町へ移住を世話してくれたお寺の住職の力になければと話します。住職の体調を案じた末の決断でした。僧侶の資格を取るため、野口さんはこれまで通信教育でお寺の宗派に関する作法やお経を学んできました。最終課程は京都、得度(とくど)習礼(しゅらい)と呼ばれる修行に入ります。 80歳を目前に単身移住。棚田の景観を守ろうと挑む米作り。そして、今度は僧侶になろうと一念発起。野口さんは、鮎帰の里に新しい風を起こそうとする革命児なのかも!? 何が自身をそうさせるのか!?世の中を憂い立ち上がった青春期に答えは有るようです。 荊(いばら)の道を怯まず自らを進化させ続ける野口さんは間もなく米寿。人生100年時代を迎え、余生を謳歌する今はまだ旅の途中かも知れません。番組では、自らの信念と向き合う野口さんが何を求め何処へ向かおうとしているのか、終の棲み家に選んだ里の日々を追います。

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