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2015年10月25日(日)

終戦のチンチン電車

映画監督・川島透が追う『終戦のチンチン電車』。福岡市を走った路面電車の知られざる戦争の時代の出来事。運転台に立ったのは13歳の少年だった。

太平洋戦争末期。空襲で焼け野原になった福岡の街を、市民の唯一の足であった市内電車(西鉄福岡市内線)は奇跡的に走り続けた。チンチン電車と呼ばれ親しまれてきた市内電車。運転手も車掌もその多くが召集され、運転継続は不可能かと思われたチンチン電車だったが、窮余ともいえる策で動き続けた。何とその運転台に立ったのは、勤労動員された旧制中学、修猷館の生徒たちだったのだ。当時、国民総動員態勢に例外はなく、中学生たちも各軍需工場や飛行場建設や男手が足りなくなった農村に狩り出された。そんななか、修猷館の生徒たちの一団に下った命令は、市内電車の運転手。不安を訴える者、子供の頃の夢が叶ったと喜ぶ者、一報を聞いた生徒たちは大騒ぎだった。なにしろ彼等は中学の二年生、戦時の自覚があったとは言えまだ13~14才の少年たちだった。この話を福岡出身の映画監督、川島透が知ったのは福岡天神の古本屋。2014年のことだった。川島の心を揺さぶったのは福岡の大動脈を守ったのが僅か13~14歳の中学生であったこと。「この実話をドラマにしたい」川島の映像作家の心に火が付いた。

出演者:川島透(映画監督)

制作局テレビ西日本(TNC)

次回放送内容

OA:2025.08.10(日)

「被爆体験者」とは、原爆投下時に爆心地から12キロ圏内にいながらも、国が定めた「被爆地域」の外だったとして、被爆者ではないとされている人たちのことです。 広島では、国が定めた「援護区域」の外で黒い雨を浴びた人たちが被爆者と認められましたが、長崎は救済の対象外となっています。 「被爆者と認めてほしい」。被爆体験者はなぜ20年近くも訴え続けているのか。その思いに迫ります。

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