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これまでの放送内容

2011年2月6日(日)

エンヤー!親子5代唐津くんち物語

唐津市木綿(きわた)町で、代々自転車屋を営んできた正田諒一郎さん(72)。息子でバイク屋を営む俊輔さん(46)。「生活の全てはくんち」と、自他共に認める親子だ。正田家の祖先は唐津藩の刀鍛冶師。

自転車屋は明治39(1906)年に初代松太郎が創業した100年の歴史ある老舗自転車屋。

木綿町の自慢は元冶元年(1864)に町民の寄付で製作された、唐津くんち九番曳山(やま)・武田信玄の兜。その兜、今年26年ぶりに5回目の塗り替えを行った。しかも唐津で行うのも半世紀ぶり。町民の関心は更に深まった。栄えある塗替実行委員長に推された正田諒一郎さん。親子が中心となり、2月7日(日)の曳山解体から作業はスタートした。

4月。諒一郎さんを突然襲った脳梗塞。夏まで塗り替え作業には顔を出せず、無念がる諒一郎さん。息子がその代わりを務めながら、塗り替えは続いていった。
10月。脅威の回復を成し遂げた諒一郎さんとともに、曳山は見事塗り替え終了。そして兜の裏側には、正田家5代の名前が記された。「兜に名を残す」それはまさに唐津っ子の誉。

11月。いよいよ唐津くんちの3日間が始まった。そこには塗り替えが終わった真新しい曳山を誇らしげに曳く正田一家の姿があった。今年から木綿町の曳山組織に入会した長男・信太郎さん(19)は、唐津っ子の憧れ「曳山の上(やまんうえ)」で初めて采配を振ることに。驚く長男と喜ぶ家族。そして最終日。唐津っ子の心をたぎらせる「エンヤー」の掛け声と共に曳山が展示場に収納される時、曳き子たちは男泣きする。「くんちを引き継ぐこと。それは町を引き継ぐこと」。番組は、先祖代々唐津くんち一筋に生きてきた正田一家を中心に、木綿町町民の武田信玄の兜にかける想いを伝える。

制作局サガテレビ(STS)

次回放送内容

OA:2024.11.24(日)

八代市坂本町の鮎帰(あゆがえり)地区にある日光(にちこう)棚田。標高420メートル、里山に囲まれ階段状に連なる田畑の景色はどこか懐かしく安らぎを覚えます。1999年『日本の棚田百選』にも選ばれました。しかし、今は過疎化と相次ぐ離農で耕作放棄地が目立ち、田んぼは畑に切り替わり棚田の風情は過去のものとなろうとしています。この日光棚田で僅かに残った数枚の田んぼで唯一米作りに取り組んでいるのが、野口修さんです。年齢は87歳、農業の経験も無ければ地主でもありません。 野口さんは、2016年広島から坂本町に単身移住、79歳の時でした。数年後日光棚田に出会います。それは素人目線の安易な発想だったかもしれません。廃れていく棚田に想いを募らせ景観を維持できないかと…、野口さんは2020年元米農家の田んぼを借りて米作りを始めます。春は田起こし、苗ができれば田植え、収穫の秋まで水の管理や田の草取り、厄介なシカの防除に至るまで片時も目が離せません。野口さんは苦労をものともせず、四度目の秋を迎えることができました。 野口さんは収穫の喜びとは別に、新たな目標に向かって歩き出していました。本人曰く“僧侶”になると、坂本町へ移住を世話してくれたお寺の住職の力になければと話します。住職の体調を案じた末の決断でした。僧侶の資格を取るため、野口さんはこれまで通信教育でお寺の宗派に関する作法やお経を学んできました。最終課程は京都、得度(とくど)習礼(しゅらい)と呼ばれる修行に入ります。 80歳を目前に単身移住。棚田の景観を守ろうと挑む米作り。そして、今度は僧侶になろうと一念発起。野口さんは、鮎帰の里に新しい風を起こそうとする革命児なのかも!? 何が自身をそうさせるのか!?世の中を憂い立ち上がった青春期に答えは有るようです。 荊(いばら)の道を怯まず自らを進化させ続ける野口さんは間もなく米寿。人生100年時代を迎え、余生を謳歌する今はまだ旅の途中かも知れません。番組では、自らの信念と向き合う野口さんが何を求め何処へ向かおうとしているのか、終の棲み家に選んだ里の日々を追います。

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