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これまでの放送内容 -2024年-

2024年11月17日(日)

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ハビブさんの車いす

小林市で、ハイテク電動車いすを作っているパキスタン人エンジニアのハビブさん。細かいニーズにも対応したオーダーメイドの車いすは、多くの人を笑顔にしている。

宮崎県小林市。人口およそ4万3000人のこの街で、暮らしを豊かにしてくれる、ある乗り物が作られている。それが、多機能型電動車いす。製作するのは、パキスタン出身、ハビブ・ウル・ラハマンさん。ハビブさんの作る電動車いすは、リクライニングや昇降も可能で、足場の悪い場所でも乗ることができるよう設計されている。重度障がい者の明日を変える。仕事熱心で、少しお茶目なハビブさんが作るハイテク車いすは、たくさんの人を笑顔にしている。

出演者:ハビブ・ウル・ラハマンさん

制作局テレビ宮崎(UMK)

2024年11月10日(日)

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チアがある!~青春をかけた2分30秒~

福岡工業大学附属城東高校チアリーディング部。約40人の部員を率いるのは、わずか5人の3年生。競技時間2分30秒に青春をかけた、彼女たちのひと夏を追いかけました。

笑顔のスポーツ、チアリーディング。アクロバティックな技を組み込んだ2分30秒の演技で、いかに観客を魅了できるかが採点される競技です。福岡工業大学附属城東高校チアリーダー部「ブルーエンジェルス」は、部員のほとんどが未経験からチアを始めたチーム。世界大会出場経験を持つ顧問の指導のもと、全国大会決勝の舞台を目指します。総勢約40人のチームを率いるのは、わずか5人の3年生。大怪我を乗り越え、1年ぶりに復帰したキャプテンを中心に、自身の葛藤やチームの問題にぶつかりながらも目標達成に向けて成長していきます。
部活に受験に懸命に取り組む、高校3年生チアリーダーの最後の夏に密着しました。

制作局テレビ西日本(TNC)

2024年11月3日(日)

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ドクターヘリ出動~1秒でも早く 患者のもとへ~

医師が現場に直接駆け付け医療活動を行うドクターヘリ。命を救うため、日々厳しい医療現場で奮闘する若手女性医師2人を追った。

大分大学医学部附属病院高度救命救急センターが運用するドクターヘリ。フライトドクターと呼ばれる医師が迅速に患者のもとに駆け付けることができ、山間部が多く体制が万全とは言えない大分の地域医療で重要な役割を果たしている。導入から12年の出動件数は4900件以上と、これまでに多くの命を救ってきた。ヘリを運用するセンターが抱える問題が救急専門医不足。専門医の資格を取得をしていなければドクターヘリに医師1人で搭乗することはできない。こうした中で、1人前のフライトドクターを目指し奮闘する若手の女性医師2人を追った。

制作局テレビ大分(TOS)

2024年10月27日(日)

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あちこ~こ~な豆富やさん

あちこ~こ~な豆富やさん

できたてで温かい、沖縄ならではの「あちこーこー豆腐」。昔から沖縄で親しまれてきた郷土の食文化が衰退の危機に陥っている。沖縄県西原町で豆腐の製造・販売を行う池田食品代表の瑞慶覧宏至さんは豆腐屋として型破りなスタイルでこの逆境に立ち向かっている。あちこーこー豆腐の販路拡大、新たな製造技術の開発研究など試行錯誤しながら、失われゆく尊い食文化を沖縄の子供たちへ、そして未来へ受け継いでいくための努力を描く。

2024年10月20日(日)

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音なき世界、その隣で

「聞こえる人はみんな嫌い。」ただ普通の生活を望んでいた彼を襲った壮絶ないじめ。 音のない世界を生きるろう者の日常と現実から見えたもの、私たちにできることは。

宮崎県宮崎市。母、祖父と暮らす園田孝生さん、27歳。3人兄弟の末っ子として誕生し、唯一彼だけが音のない世界を生きている。家族の中で手話ができるのは孝生さんだけ。普段は口の動きを読み取り会話している。
「聞こえる人はみんな嫌い。」ただ普通の生活を望んでいた孝生さんが、聞こえる人に壁を作ったのは小学生の時。
毎日繰り返される壮絶ないじめ。人間不信になり、友人でさえ信じることができなくなった。そんな時、彼の心に入ってきたのは「ろう者と話したい」と手話を懸命に勉強していた聴者だった。
みんな同じ人間。未来の聞こえない子どもたちのために私たちにできることは。

制作局テレビ宮崎(UMK)

次回放送内容

OA:2025.11.09(日)

「自分の障害を受け入れて、もう1つの陸上競技に挑戦」パラ陸上・十川裕次選手が走る理由とは?。 大分市出身の十川裕次選手はパラ陸上1500mで活躍するアスリート。パラリンピックには東京・パリと2大会連続で日の丸を背負い、世界の舞台を駆けぬけた。小学校のときから野球を続けていたが、あることをきっかけに陸上の道へ。強豪駅伝部として知られる大分東明高校時代には全国高校駅伝で花の一区も任された経歴を持つ。ただ、これまでの道のりは決して平たんなものでなかった。3歳のときに軽度の知的障害が判明。周りと比べると物事を理解することが困難な場合や、そのスピードが遅いこともある。「どうしてぼくを障害に生んだの?」やり場のない怒りを両親にぶつけることもあった。そんな失意の中で出会ったパラ陸上が十川選手に「走る理由」を与えてくれた。世界への舞台へと挑戦を続ける十川選手の日々を追った。

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