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これまでの放送内容 -2019年-

2019年3月19日(火)

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ゲーマーズ・ハイ~始まる琉球eスポーツ~

話題のeスポーツについて沖縄の現状をお伝えします

賞金総額何十億円と言われる大会が開かれ、プロゲーマーと呼ばれるゲームでお金を稼ぐ人々が存在する話題のeスポーツ。日本でも2019年秋頃に開催される国民体育大会においてゲームが正式種目として採用され都市別対抗戦が行われる予定です。盛り上がりを見せるeスポーツの世界。それは沖縄も例外ではありません。沖縄におけるeスポーツの取り組みを県内唯一のプロゲーマー、KYAMEIとeスポーツを広める活動をするOkinawaOnedotの代表、K太を中心に取り上げました。沖縄を拠点に活躍するサッカーJ2FC琉球と地元企業が連携して立ち上げたeスポーツチーム「FC琉球」と契約を結び沖縄でプロゲーマーとなったKYAMEI。彼は京都出身で大阪で育ちました。一方、K太は沖縄で生まれ育ち本職を持ちながらeスポーツを広めるための活動を続けています。彼らの愛するゲームの原点はどこにあるのでしょうか。それぞれの活動を追い、沖縄のeスポーツの現状をお伝えします。

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

2019年3月12日(火)

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若きジャズマン羽ばたく

大分県で随一のジャズトランぺッターである枝次竜明さん。実はまだ高校生の彼だが大人顔負けの情熱で精力的に演奏活動を行っている。彼の挑戦、葛藤、活動の原動力を追う。

大分県でも随一のジャズトランぺッターである枝次竜明さん。高校生ながら大人顔負けの情熱で県の内外を問わず精力的に演奏活動を行っている。高校生活最後の1年を迎え、彼はいくつかの目標にチャレンジしていた。そのひとつが東京の浅草で行われる伝統あるジャズコンテスト。神戸で活動する「スーパー高校生」と呼ばれる、最強の仲間たちと臨んだ結果は?青春の真っただ中を生きる彼の挑戦や葛藤、先輩ミュージシャンや仲間たちとの関わり合いを通して活動の原動力とは何なのか。そして、彼にとってのトランペットとは、ジャズとは何なのかを追った。

出演者:枝次竜明さん 【ナレーター】 井下育恵

制作局テレビ大分(TOS)

2019年3月5日(火)

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変えるミライ~車椅子からのメッセージ~

車椅子陸上の選手として、実業家を目指す若者として、どうしても変えなきゃいけないミライがある…障がいを強みにひたすら前へ、一人の青年を突き動かす熱き想いに迫る。

脳性麻痺とヒルシュスプルング病を併発して生まれた木下大輔さん(24)。車椅子陸上の選手として厳しいトレーニングに励む傍ら、障がい者を取り巻く社会を変えようとビジネスプランを考案、実業家としての成功も目指している。幼い頃、障がいが理由で悔しい思いをした彼だからこそ、今できることがある。ひたすら前へ進み続ける彼を突き動かすその想いとは…。車椅子からミライを変える、若きランナーの挑戦に密着。

出演者:木下大輔さん

制作局テレビ宮崎(UMK)

2019年2月26日(火)

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一生鍛冶屋

島原市で江戸時代から9代続く鍛冶屋・吉光。包丁や鍬などなんでもつくる。9代目となる若き鍛冶職人と、それを支える平均年齢85歳の鍛冶屋兄弟たちの職人としての生き方

島原市で江戸時代から9代続く鍛冶屋・吉光。切れ味抜群の包丁に、鍬や鋤など農具もなんでもつくる。9代目を継ぐのは吉田将仁さん(55)。師匠である平均年齢85歳の鍛冶屋3兄弟の技術を継承しながら、職人の道を究めようと日々腕を磨いている。後継者不足、機械化による大量生産など鍛冶職人が減っているのが現状。手作りの良さを追求し、伝統を守る姿を描く。

制作局テレビ長崎(KTN)

2019年2月19日(火)

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伝統の街にやってきた猫夫婦

鹿児島県屋久島で20年間、木工細工で生計を立てていた戸川五十生さんとみどりさん夫婦。まるで猫のように自由に生きる夫婦の新たなる挑戦の日々を追いました。

鹿児島県屋久島で20年間、木工細工で生計を立てていた戸川五十生さんとみどりさん夫婦。みどりさんの「焼き物をやりたい」という強い思いで、屋久島の暮らしにピリオドを打ち、佐賀県有田町に移住してきました。屋久島での安定した暮らしをやめ、移り住んで2年、今の2人の生活は?伝統の街「有田」でうまく溶け込めているのか?50を超えてなお、まるで猫のように自由に生きる夫婦の新たなる挑戦の日々を追いました。

出演者:戸川五十生 戸川みどり

制作局サガテレビ(STS)

次回放送内容

OA:2024.11.24(日)

八代市坂本町の鮎帰(あゆがえり)地区にある日光(にちこう)棚田。標高420メートル、里山に囲まれ階段状に連なる田畑の景色はどこか懐かしく安らぎを覚えます。1999年『日本の棚田百選』にも選ばれました。しかし、今は過疎化と相次ぐ離農で耕作放棄地が目立ち、田んぼは畑に切り替わり棚田の風情は過去のものとなろうとしています。この日光棚田で僅かに残った数枚の田んぼで唯一米作りに取り組んでいるのが、野口修さんです。年齢は87歳、農業の経験も無ければ地主でもありません。 野口さんは、2016年広島から坂本町に単身移住、79歳の時でした。数年後日光棚田に出会います。それは素人目線の安易な発想だったかもしれません。廃れていく棚田に想いを募らせ景観を維持できないかと…、野口さんは2020年元米農家の田んぼを借りて米作りを始めます。春は田起こし、苗ができれば田植え、収穫の秋まで水の管理や田の草取り、厄介なシカの防除に至るまで片時も目が離せません。野口さんは苦労をものともせず、四度目の秋を迎えることができました。 野口さんは収穫の喜びとは別に、新たな目標に向かって歩き出していました。本人曰く“僧侶”になると、坂本町へ移住を世話してくれたお寺の住職の力になければと話します。住職の体調を案じた末の決断でした。僧侶の資格を取るため、野口さんはこれまで通信教育でお寺の宗派に関する作法やお経を学んできました。最終課程は京都、得度(とくど)習礼(しゅらい)と呼ばれる修行に入ります。 80歳を目前に単身移住。棚田の景観を守ろうと挑む米作り。そして、今度は僧侶になろうと一念発起。野口さんは、鮎帰の里に新しい風を起こそうとする革命児なのかも!? 何が自身をそうさせるのか!?世の中を憂い立ち上がった青春期に答えは有るようです。 荊(いばら)の道を怯まず自らを進化させ続ける野口さんは間もなく米寿。人生100年時代を迎え、余生を謳歌する今はまだ旅の途中かも知れません。番組では、自らの信念と向き合う野口さんが何を求め何処へ向かおうとしているのか、終の棲み家に選んだ里の日々を追います。

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