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これまでの放送内容 -2019年-

2019年9月10日(火)

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ゆれる

大分県竹田市久住町に今年5月、巨大木製ブランコが完成した。無料開放されたブランコの話題はSNSでひろまり人気スポットに。このブランコを造った、夫婦の思いに迫る。

のびやかなみどりの山々と美しい高原が広がる大分県竹田市久住町。ここで民宿を経営する後藤健一さん(72)が今年5月、自宅敷地内に高さ31.5メートルの自称「世界一の巨大木製ブランコ」を完成させた。
無料で開放されているブランコのうわさは、SNSを通じて広まり、現在は週末になると多くの人が訪れる人気スポットとなっている。
「人が真似できないことをするほうが人生は面白い」と自由奔放に生きてきた後藤さん。しかし、そこには後藤さんを支え続けてきた妻、里代子さんの苦労や様々な思いがあった。
まもなく結婚50周年を迎える、ゆれる夫婦の物語を描く。

出演者:後藤健一さん 後藤里代子さん 【ナレーション】 藤村晃輝(TOSアナウンサー) 【制作】 TOSテレビ大分

制作局テレビ大分(TOS)

2019年9月3日(火)

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島を駆ける~8人のサッカー部~

宇久高校サッカー部の8人は、長崎県・宇久島に生まれ育った幼なじみ。3人足りないながらも島に暮らす人の支えを糧に勝利を目指す。8人だけの“汗と涙の戦い”を追った。

部員がたったの8人しかいない「宇久高校サッカー部」の1年を追ったドキュメンタリー。

「父に初めて勝つところを見せたい」
「11人いなくてもできることを見せたい」
「プレーで島の人たちに感謝の気持ちを伝えたい」など、
8人だけで試合に挑む選手たちの思いに迫る。

制作局テレビ長崎(KTN)

2019年8月27日(火)

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青い正義感

柔道延長の為25分繰下げお送りします 「童んちゃーごめんね」、沖縄の子どもたちに謝りたいと語る俳優・津嘉山正種。75歳になる名優がなぜ…。秘めた想いに迫る。

 戦中、戦後を生きてきた県出身の俳優・津嘉山正種。戦後74年となる今、沖縄の子どもたちに謝りたいと力を込める。75歳になる名優がなぜ…。秘めた想いに迫る。番組では、沖縄への差別を照らしたいと津嘉山が10年ぶりに再演したひとり語り「人類館」の舞台裏に密着。また、去年の冬、故郷・沖縄が基地問題で揺れる中、津嘉山は自らが企画製作した舞台に立っていた。観客に配られたパンフレットには「青い正義感」と題して、熱い想いが綴られていた。「75歳になる自分に残された時間は短い、次の世代に何を残すことができるのだろう」と自分に問いかけながら進む津嘉山の沖縄出身の俳優としての道に迫る。

出演者:津嘉山 正種

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

2019年8月20日(火)

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絵筆で語る~つなぐ伝統美~

有田焼400年の歴史を支える職人の使命とは?老舗窯元・深川製磁の伝統工芸士の思いに迫る。

創業400年を超えた有田焼。今でも約100の窯元があるが、その中でも明治、大正、昭和、平成と皇室で使われる食器などを制作してきた窯元に深川製磁がある。その歴史を支える職人たちは令和時代をどう迎えるのか、そして新しい時代の使命は何か。有田焼は伝統的に分業で作られているが、深川製磁には成形から絵付けまですべての工程に専門の職人、総勢100人が置かれている。この中で皇室関係のデザインを一手に担っている、上絵付けの伝統工芸士・小杉優さん67歳。「売るよりも残したい」あくまで商品を作ることが仕事である一方、技術をつないでいくためには自分の作品を後輩が参考にできるように残してほしいと小杉さんは語る。そんな葛藤を抱えながら、小杉さんは毎日淡々と筆を走らせ、自分の最後の使命を問い続けていた。

出演者:小杉優 深川一太 西田明美 多久島智美

制作局サガテレビ(STS)

2019年8月13日(火)

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せっちゃんの卒業式

沖縄県民の胃袋を支えた那覇市第一牧志公設市場。せっちゃんは50年働いた市場を卒業する。卒業の時、せっちゃんは何を思うのか。

開設から70年近く沖縄県民の生活を支えた牧志公設市場。この度、老朽化に伴って建て替えが決定。仮設市場の建設が進む中、卒業を決めたのは市場で50年働いてきた上原節子さん。「せっちゃん」と呼ばれ市場の仲間から愛されています。かつてはかまぼこ屋を営み、一日に1万本近く売り上げた事もあるせっちゃん。しかし腰痛の悪化と跡継ぎがいないことから市場を卒業する事に。市場で共に働いた仲間との別れ、先代から受け継いだ店を畳むことの決意。卒業の時が迫る中でせっちゃんは何を思うのか。

出演者:上原節子さん

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

次回放送内容

OA:2024.11.24(日)

八代市坂本町の鮎帰(あゆがえり)地区にある日光(にちこう)棚田。標高420メートル、里山に囲まれ階段状に連なる田畑の景色はどこか懐かしく安らぎを覚えます。1999年『日本の棚田百選』にも選ばれました。しかし、今は過疎化と相次ぐ離農で耕作放棄地が目立ち、田んぼは畑に切り替わり棚田の風情は過去のものとなろうとしています。この日光棚田で僅かに残った数枚の田んぼで唯一米作りに取り組んでいるのが、野口修さんです。年齢は87歳、農業の経験も無ければ地主でもありません。 野口さんは、2016年広島から坂本町に単身移住、79歳の時でした。数年後日光棚田に出会います。それは素人目線の安易な発想だったかもしれません。廃れていく棚田に想いを募らせ景観を維持できないかと…、野口さんは2020年元米農家の田んぼを借りて米作りを始めます。春は田起こし、苗ができれば田植え、収穫の秋まで水の管理や田の草取り、厄介なシカの防除に至るまで片時も目が離せません。野口さんは苦労をものともせず、四度目の秋を迎えることができました。 野口さんは収穫の喜びとは別に、新たな目標に向かって歩き出していました。本人曰く“僧侶”になると、坂本町へ移住を世話してくれたお寺の住職の力になければと話します。住職の体調を案じた末の決断でした。僧侶の資格を取るため、野口さんはこれまで通信教育でお寺の宗派に関する作法やお経を学んできました。最終課程は京都、得度(とくど)習礼(しゅらい)と呼ばれる修行に入ります。 80歳を目前に単身移住。棚田の景観を守ろうと挑む米作り。そして、今度は僧侶になろうと一念発起。野口さんは、鮎帰の里に新しい風を起こそうとする革命児なのかも!? 何が自身をそうさせるのか!?世の中を憂い立ち上がった青春期に答えは有るようです。 荊(いばら)の道を怯まず自らを進化させ続ける野口さんは間もなく米寿。人生100年時代を迎え、余生を謳歌する今はまだ旅の途中かも知れません。番組では、自らの信念と向き合う野口さんが何を求め何処へ向かおうとしているのか、終の棲み家に選んだ里の日々を追います。

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