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これまでの放送内容 -2010年-

2010年9月5日(日)

心のかけはし ~心の病を持つ人たちの就労への道~

長年、心の病を持つ方や家族にとって就労の場の確保、支援は大きな夢であり、社会活動に参加することで、様々なトレーニングが可能となった。

「トレーニングしてから働く」という考え方から「働くことでトレーニングする」というプロセスを重要視した支援モデルを立ち上げ、「誰でも、意欲さえあれば、一般就労することが出来る」という信念に基づき、全国で初めて岡山県と大分県でIPS=個別就労支援(individual placement and support)が始まった。大分県のLLC(合同会社)ハートブリッジではこのような背景を元に別府大学の三城大介准教授の指導を受けながら、心の病を持つ人々の就労支援に本格的に乗り出した。

「行政の制度の隙間を埋めるサービス」として、様々な生活環境の中で小さな苦しみや悩みのある人々の支援を目的に始め、その担い手として社会活動に参加意欲のある人を積極的に支援している。

そのような中、岡山県の施設はIPSを止める事になり、ハートブリッジが全国で唯一の支援事業所になった。番組では、このような全国でも先進的な取り組みとなる、ハートブリッジのスタッフの健闘ぶりや心の病を持つ人と関係者の取り組みにスポットを当てて紹介していく。

制作局テレビ大分(TOS)

2010年8月29日(日)

ラブレター ~残された手紙とともに~

宮崎市在住の貴島テル子さん。休日には赤い外車を乗りこなす、とても元気なおばあちゃん。94歳となった今でも、現役の小児科医として診療を続けている。

「子供を育てたい」との思いから、母子保健一筋に歩んできた彼女。

しかし、彼女に子供はいない。戦争が始まって1941年に結婚した夫との結婚生活はわずか75日間。出征先のソロモンで戦死した。

以来一人で生きてきた、戦地から頻繁に送られてきた手紙と思い出とともに…「貴島との思い出があるうちは、再婚なんて考えられなかった」

制作局テレビ宮崎(UMK)

2010年8月22日(日)

湯の町別府のプリンセス

日本を代表する湯の町、別府。観光地、別府が低迷する傾向にある中、夜な夜な光り輝く場所がある。

別府温泉の象徴竹瓦(たけがわら)温泉のすぐそばにあって、アメリカのオールディーズやGSなどの生演奏ステージが毎夜繰り広げられる店、ヒットパレードクラブだ。22年前に、若者や女性が安心して楽しめる場所を、とオープンさせた故オーナーの心を全員で受け継ぎ、いまや別府に無くてはならないものとなった「ヒッパレ」。スタッフ、バンドのメンバーらのパワーとアイデアでファン層を拡大し、県内外から多くのファンが訪れている。

ここでステージに立つバンド「ヒットパレーダース」の唯一の女性ヴォーカル、相良安有美(さがら あゆみ)さん(24)。明るく楽しくステージを務める彼女の思いはただひとつ、別府を訪れる人々に楽しい思い出を作ってもらいたい、温泉とは別の思い出も持って帰ってもらいたいということ。こうして今夜もまた湯の町別府のプリンセスは60年代のドレスをまとってステージに立つ。

制作局テレビ大分(TOS)

2010年8月15日(日)

シマの芽吹き

沖縄を代表する版画家、名嘉睦稔。

彼のデザインする巨大建造物「AKARA」は、沖縄の伝統的な「赤瓦」や、季節の到来を告げる「風」をイメージしたデザインが盛り込まれている。

風を走らせる通りに、大きくうねる巨大な瓦屋根など「AKARA」建設は、設計の段階から困難が予想された。プロジェクトのプランニングを担当するのは、デザイナーである名嘉睦稔の息子、名嘉太一。「AKARA」完成を目指す親子の物語。

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

2010年8月8日(日)

多国籍合宿 ~鹿児島発・国際交流への挑戦~

毎年鹿児島でユニークな国際交流イベントが開かれている。 その名は「多国籍合宿」。 文字通り、様々な国の人々が一つ屋根の下で一泊二日の合宿を行い、勉強会や討論会を繰り広げる。

10回目の開催となった今年は、過去最多の480名が参加し、充実した内容で行われた。
番組では、実行委員長の小川裕也君をはじめスタッフに密着。
準備から本番までの3ヶ月を追った。

制作局鹿児島テレビ放送(KTS)

次回放送内容

OA:2026.09.13(日)

 菊池恵楓園所者自治会の太田明副会長は今年1月、園内にかつて存在した野球チーム『オール恵楓』のユニホームを復刻した。それは園の憧れの的だった若者たちが着ていたものだった。園内で野球が盛んになったのは1930年で、居住区別の3チームと職員チームによる対抗戦が始まった。国による強制隔離が進み、いわゆる「患者狩り」に拍車がかかった結果、比較的症状の軽い高校生やノンプロ選手が入所したからといわれている。園内選抜チーム『オール恵楓』は1952(昭和27)年9月、トラックで初の県外遠征試合に出発。無断外出は厳しく処分されるおそれがあったが、患者たちは「園外で試合がしたい」と秘かに鹿児島県鹿屋市にある国立療養所星塚敬愛園の自治会と手紙をやり取りして、試合をする段取りをつけていた。トラックの荷台に布団を敷いて揺れに耐え、途中の道で警官に見つかった。運転手が「らい患者を輸送中だ」と偽ったところ、警官は「この道を通ったらいかん。山の中を通って行け」と蔑んだという。一行は約12時間かけて、星塚敬愛園に到着。1週間滞在して4試合を行い、2勝2敗だった。メンバーで一番若く補欠だった田中照幸さんは当時を懐かしく振り返った。一方、入所者自治会の太田明副会長は『オール恵楓』鹿児島初遠征の1952年、小学2年生のときに入所し、大いに野球を楽しんだ。そして、岡山県の国立療養所長島愛生園にかつて存在した『邑久高校 新良田教室』に進学し、野球部に所属。1960(昭和35)年夏、野球部は「俺達には修学旅行がないから、高校時代の思い出をつくろう」と園に「里帰りする」と偽って外出し、東日本5カ所の療養所を列車で巡る遠征試合を敢行した。園からの帰還命令を無視した大冒険に、太田さんは「あんな痛快で、開放感を味わったことはない」と振り返る。太田さんは恵楓園で野球が盛んだったことをを知ってもらおうと、恵楓園の一部施設跡地に2021年に開校した合志市立合志楓の森中学校野球部の部員と『オール恵楓』復刻ユニホームを着て、キャッチボールを楽しんだ。番組では、ハンセン病患者たちがいわれなき差別の中で見出した希望と情熱の日々を見つめる。

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