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これまでの放送内容 -サガテレビ(STS)-

2018年8月21日(火)

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干潟人(ガタビト) 小宮春平

宝の海「有明海」。生息している生き物たちの側面から環境保全・再生の必要性を発信しているひとりの青年を追った。

有明海に広がる干潟で黙々と何かを探す青年。弱冠20歳の小宮春平さん。現在大学1年生で、福岡県柳川市にある「やながわ有明海水族館」の館長を務めています。ある時は1人で干潟へ。またある時は仲間たちと一緒に干潟へ。そしてまたある時は小学校の特別講師として有明海の魅力を伝えていく。“人間が認識しないと生き物もいない扱いになる”有明海のどこにどんな生き物がいるのかを見つけて、それが絶滅しないように次の世代まで残していくことが、自分が調査をやる義務であり、使命であると。有明海に魅せられ、宝の海と呼ばれた有明海を夢見る、若き水族館館長の活動を追いました。

出演者:やながわ有明海水族館 小宮春平館長 【ナレーション】 川浪沙貴

制作局サガテレビ(STS)

2018年4月17日(火)

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ボンドアートの世界

黒色のボンドを使った独自の技法の画家・冨永ボンドが佐賀から世界をめざす!単身乗りこんだフランスでの評価は…?黒いボンドで縁どられた「ボンドアート」の世界に迫る!

佐賀県多久市在住の画家・冨永ボンドさん34歳は、2017年2月に宮崎市で初めての個展を開く。「生の絵を見た瞬間、これだと思った」と話す主催者は「是非、宮崎の人に見せたいと、瞬間的に思った」とその出会いを振り返る。彼の画は、色と色の間を黒い木工用ボンドで縁どるようにつなぐ。その作品群を彼は「ボンドアート」と呼んでいる。アトリエのある佐賀県多久市を拠点に各地で頻繁にワークショップを開き、地域の人たちに「ボンドアート」の描き方を教えている。「地域に根差しながら、世界をめざす」のが、冨永さん流の生き方だ。初めての個展から遡ること半年、冨永さんの姿はフランス・パリにあった。「芸術の都パリで認められたい」との野望を持つ若い芸術家達の作品展に参加するためだ。得意のライブペインティングが目に留まり、運よくギャラリー経営者に声をかけられ、1年後にパリで個展を開く約束を取りつけた。帰国後「アートセラピーという分野を開拓したい」と、障害者向けのワークショップなどを精力的にこなしながら、創作に励む。それから1年後、再びパリに渡った冨永さん…。セーヌ川やルーブル美術館などでライブペインティングをしながら、個展の開幕日を待つ。果たして彼の「ボンドアート」は、フランス人に受け入れられたのか?その作風、メッセージは、どう理解されたのか?独自の技法で、佐賀から世界に羽ばたこうとする若き画家の1年を追った。

出演者:冨永ボンド 【ナレーション】 田邉有沙

制作局サガテレビ(STS)

2018年2月27日(火)

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海をつなぐ

豊かな海『有明海』を守りたい。海苔漁師として半世紀、ベテラン漁師が後世に伝えたいものは。残したいものは。

佐賀市の杉町省次郎さん(69)はノリ漁師だ。有明海ではノリ漁師のことを敬意を表して「海苔師」と呼ぶ。省次郎さんは海苔師となって51年、今季から一線を退き息子に託した。有明海でノリ養殖が始まったのは1953年(昭和28年)のこと。このノリ養殖が軌道にのり始めた1966年(昭和41年)、省次郎さんも父の後を継いで海苔師となった。近年有明海の環境の悪化がさけばれ、またノリ養殖従事者の高齢化と後継者不足が深刻な問題となっている。課題が山積している。そんな中、省次郎さんは17年前から植林活動を始めた。そして6年前からは、昔ながらの伝統技法「手すき」による天日干し乾ノリを若手後継者へ伝授している。半世紀にわたって有明海とともに人生を送ってきた省次郎さんが今何を思うのか?ノリ養殖の現場に密着し、有明海に生きる男の姿を追います。

出演者:海苔漁師:杉町省次郎 【ナレーション】 田邉有沙

制作局サガテレビ(STS)

2017年11月28日(火)

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農業×モデル Asakoの挑戦

農業をしながら小さいころからの夢だったモデルを目指す。異色の組み合わせで2足のわらじを履く、女性の姿を追いました。

吉冨亜沙子さん(31)は佐賀市富士町にある実家の花農家を手伝いながら、佐賀を中心にモデル活動を行っています。朝早くからハウスに出かけて花の手入れや出荷作業に汗を流し、モデルの仕事が入れば県内外を駆け回ります。「農業もモデルも両立したい」と笑顔が輝く吉冨さん。小さい頃からのあこがれだった夢に挑戦するたくましくも美しい女性の姿を追いました。

出演者:吉冨亜沙子 田邉有沙(ナレーション)

制作局サガテレビ(STS)

2017年11月14日(火)

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小さな島のリストランテ~27歳のおもてなし~

人口55人!佐賀・唐津の離島松島に開店した小さなイタリアンレストランの極上のおもてなし!!

佐賀県唐津市にある周囲4Kmに満たない小さな島・松島。この島に小さなイタリアンレストランがある。シェフの宗勇人(27歳)さんは「少しでも島のためになれば」と開店したと言う。人口55人が暮らす松島では、素潜りで魚介類を獲る「海士漁」を行う。島には信号もなければコンビニもないが、勇人さんは「不便と感じたことはない。何もないのが当たり前だから」と笑う。松島生まれの勇人さんは「料理人になったら、父が獲った魚を使って仕事ができる」と、調理科のある高校に進学。その後、佐賀と福岡で修業し、料理人としての腕を磨いた。島のイベント「1日限定レストラン」が好評だったことから、島での起業を決意した。松島へは呼子港から15分、1日3往復しかない定期船で渡るしかない。「こんな小さな何もない島に、お客さんが来るわけがない」と父は、開店に反対。しかし多くの客が訪れ、今は「思い切りやってもらいたい」とエールを送る。順調だったレストランは、冬場になると客足が落ちる。冬の玄界灘は時化の日が多いからだ。落ち込む勇人さんに父は「春になれば、お客さんは来てくれる」と励まし、勇人さんは海士の修業を始めた。父の指導を受け、今ではサザエやアワビなどの食材を自ら調達する。「魚がいっぱい獲れたから、食べる?」と気さくに声をかけてくれる島の人たちとの間合いが「大好き」という勇人さん。今日も厨房に立ち、自分流の「おもてなし」を続ける。

制作局サガテレビ(STS)

次回放送内容

OA:2024.07.20(土)

長崎県五島市福江島から東南東およそ35キロの海底に「潜水艦の墓場」と呼ばれる場所がある。太平洋戦争終結の翌年、アメリカ軍が世襲した旧日本海軍の潜水艦は佐世保に集められ、五島列島沖合でアメリカ軍によって沈められた。旧日本海軍の潜水艦24艦は、今もその海底に眠っている。この海域を大学教授らが無人潜水機などを使い調査。様々な資料と照合し、全24艦の名前を特定した。その中には広島原爆の運命を変えたかもしれない潜水艦が存在した。それら潜水艦の多くは実戦でも使われた特攻兵器、人間魚雷「回天」を搭載していた。そしてもうひとつ実戦で使われた特攻兵器が存在する。旧日本海軍の水上特攻艇「震洋」。かつて「震洋」の訓練所が長崎県東彼杵郡川棚町にあった。極秘の特攻作戦だったため、資料はほとんど残されていなかった。しかし2021年、新たな写真が発見された。旧日本海軍の潜水艦、そして水上特攻艇「震洋」。それぞれの関係者は今、何を思うのか。戦争遺構が私たちに伝えようとしているものとは。

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