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これまでの放送内容

2022年10月18日(火)

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一蹴懸命

砂の上の格闘技ビーチサッカー。プロ選手中原勇貴さんはある日激しい頭痛に襲われます。告げられた余命は5年~10年。脳腫瘍と闘いながら日本一を目指す若者の物語です。

「砂の上の格闘技」ビーチサッカー。プレーヤーはキーパーを含めた5人で選手交代は自由です。攻守が激しく入れ替わり、得点シーンが多いのが特徴。ブラジルやヨーロッパでは本家サッカーと同じくらいの人気を誇ります。熊本のプロビーチサッカークラブ『アヴェルダージ熊本』でプレーする中原勇貴さん(31)はある日突然、激しい頭痛に見舞われます。受診した病院で突きつけられたのは思いもよらない『脳腫瘍』という診断でした宣告された余命は5年~10年。主治医からは2通りの手術の提案がありました。ひとつは100%腫瘍を取り除く方法。手術後は運動機能や言語機能に何らかの障がいが残る可能性が高く、ビーチサッカーはできなくなります。もう一つは運動機能を残しながら腫瘍を95%切除する方法。現役復帰は可能ですが、再発のリスクが高くなります。彼が選んだ道は後者。再びビーチに立つため約12時間の開頭手術とリハビリを乗り越え、中原さんは帰ってきました。左のこめかみには開頭手術の傷跡。術後の放射線と抗がん剤治療で髪は抜け、体重も10キロ減るなど壮絶な闘病生活を送りました。中原さんの目標は、所属のアヴェルダージを初の全国優勝に導くこと。そして再び日本代表として日の丸を背負って戦うことです。脳腫瘍再発の恐怖と向き合いながら1日1日を大切に生きるアスリートを通して、人生に挑戦する意味を描きます。

出演者:中原勇貴 【語り】 西村勇気(テレビ熊本アナウンサー)

制作局テレビ熊本(TKU)

次回放送内容

OA:2024.11.24(日)

八代市坂本町の鮎帰(あゆがえり)地区にある日光(にちこう)棚田。標高420メートル、里山に囲まれ階段状に連なる田畑の景色はどこか懐かしく安らぎを覚えます。1999年『日本の棚田百選』にも選ばれました。しかし、今は過疎化と相次ぐ離農で耕作放棄地が目立ち、田んぼは畑に切り替わり棚田の風情は過去のものとなろうとしています。この日光棚田で僅かに残った数枚の田んぼで唯一米作りに取り組んでいるのが、野口修さんです。年齢は87歳、農業の経験も無ければ地主でもありません。 野口さんは、2016年広島から坂本町に単身移住、79歳の時でした。数年後日光棚田に出会います。それは素人目線の安易な発想だったかもしれません。廃れていく棚田に想いを募らせ景観を維持できないかと…、野口さんは2020年元米農家の田んぼを借りて米作りを始めます。春は田起こし、苗ができれば田植え、収穫の秋まで水の管理や田の草取り、厄介なシカの防除に至るまで片時も目が離せません。野口さんは苦労をものともせず、四度目の秋を迎えることができました。 野口さんは収穫の喜びとは別に、新たな目標に向かって歩き出していました。本人曰く“僧侶”になると、坂本町へ移住を世話してくれたお寺の住職の力になければと話します。住職の体調を案じた末の決断でした。僧侶の資格を取るため、野口さんはこれまで通信教育でお寺の宗派に関する作法やお経を学んできました。最終課程は京都、得度(とくど)習礼(しゅらい)と呼ばれる修行に入ります。 80歳を目前に単身移住。棚田の景観を守ろうと挑む米作り。そして、今度は僧侶になろうと一念発起。野口さんは、鮎帰の里に新しい風を起こそうとする革命児なのかも!? 何が自身をそうさせるのか!?世の中を憂い立ち上がった青春期に答えは有るようです。 荊(いばら)の道を怯まず自らを進化させ続ける野口さんは間もなく米寿。人生100年時代を迎え、余生を謳歌する今はまだ旅の途中かも知れません。番組では、自らの信念と向き合う野口さんが何を求め何処へ向かおうとしているのか、終の棲み家に選んだ里の日々を追います。

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