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これまでの放送内容

2017年6月3日(土)

命のリレー~地域医療 ある医師の挑戦~

いち早く診断、救命措置を始められることで、救命率の向上が期待されるDMATというシステムを活用して救命活動に取り組む大分県竹田市の石井医師を紹介。

大分県竹田市で市内唯一の二次救急病院の指定を受けていた竹田医師会病院は、平成19年、医師の退職などで深刻な医師不足となり、医療崩壊の危機に直面しました。
前年まで800人以上受け入れていた救急患者も、専門外診療やマンパワー不足を理由に徐々に対応出来なくなり、受け入れ人数はおよそ半分の400人台にまで減少しました。
 そんな竹田市が、救急医療の地域格差是正の鍵として挙げたのは地元の消防機関、医療機関、大学病院による広域救急医療体制、医療圏連携でした。
 ドクターヘリの活動を手伝っていた石井一誠(いっせい)医師(現竹田医師会病院院長)は、竹田医師会病院の依頼を受け、大学病院の高度救命救急センターの医師派遣システムを有効活用することによる地域救急医療体制の再構築を進めていました。こうした緊急医療活動を通して石井医師は地域の医療従事者がドクターヘリよりも先に現場に到着し、初期治療すれば救命率が高まると痛感していました。
そこで考えたのは、地上からドクターヘリを支援し、場合によっては地の利を生かしてドクターヘリよりも先に現場に駆けつけることができるDMATというシステムを活用した救助活動です。この活動は地域救急医療体制の新しい取り組みとして全国で注目され始めています。
番組では、救命・救急に尽力する石井一誠医師と行政(竹田市)の取り組みを紹介します。

制作局テレビ大分(TOS)

次回放送内容

OA:2024.11.24(日)

八代市坂本町の鮎帰(あゆがえり)地区にある日光(にちこう)棚田。標高420メートル、里山に囲まれ階段状に連なる田畑の景色はどこか懐かしく安らぎを覚えます。1999年『日本の棚田百選』にも選ばれました。しかし、今は過疎化と相次ぐ離農で耕作放棄地が目立ち、田んぼは畑に切り替わり棚田の風情は過去のものとなろうとしています。この日光棚田で僅かに残った数枚の田んぼで唯一米作りに取り組んでいるのが、野口修さんです。年齢は87歳、農業の経験も無ければ地主でもありません。 野口さんは、2016年広島から坂本町に単身移住、79歳の時でした。数年後日光棚田に出会います。それは素人目線の安易な発想だったかもしれません。廃れていく棚田に想いを募らせ景観を維持できないかと…、野口さんは2020年元米農家の田んぼを借りて米作りを始めます。春は田起こし、苗ができれば田植え、収穫の秋まで水の管理や田の草取り、厄介なシカの防除に至るまで片時も目が離せません。野口さんは苦労をものともせず、四度目の秋を迎えることができました。 野口さんは収穫の喜びとは別に、新たな目標に向かって歩き出していました。本人曰く“僧侶”になると、坂本町へ移住を世話してくれたお寺の住職の力になければと話します。住職の体調を案じた末の決断でした。僧侶の資格を取るため、野口さんはこれまで通信教育でお寺の宗派に関する作法やお経を学んできました。最終課程は京都、得度(とくど)習礼(しゅらい)と呼ばれる修行に入ります。 80歳を目前に単身移住。棚田の景観を守ろうと挑む米作り。そして、今度は僧侶になろうと一念発起。野口さんは、鮎帰の里に新しい風を起こそうとする革命児なのかも!? 何が自身をそうさせるのか!?世の中を憂い立ち上がった青春期に答えは有るようです。 荊(いばら)の道を怯まず自らを進化させ続ける野口さんは間もなく米寿。人生100年時代を迎え、余生を謳歌する今はまだ旅の途中かも知れません。番組では、自らの信念と向き合う野口さんが何を求め何処へ向かおうとしているのか、終の棲み家に選んだ里の日々を追います。

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