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これまでの放送内容

2013年8月18日(日)

戦争画の背景 藤田嗣治が描いた玉砕

先の戦争では、人もモノも全て動員され、あらゆるものが利用され、そのひとつに美術までも含まれていました。ある日本人画家が描いた戦争。その背景には何が?

▼東京国立近代美術館には終戦後、GHQによって押収され、1970年になって無期限貸与という他に類の無いかたちで日本に戻された絵画作品があります。153点の戦争画です。戦争画とは国威高揚と戦争プロパガンダのために、軍の要請によって書かれた「作戦記録画」のこと。中でも作品数が多いのが藤田嗣治が描いた戦争画で14点にのぼります。ヨーロッパで最も有名な日本人といわれた画家、藤田嗣治。藤田は西洋の伝統的な技法に日本の繊細な表現を融合させ、乳白色を基調とした美しい裸婦像は世界を魅了しました。1920年~30年代、日本だけでなく世界を代表する超一流の画家でした。そんな藤田も軍の要請で、戦場に赴き、戦争画を描くことになります。藤田の戦争画作品の画面は暗く、敵味方が入り乱れた凄惨な戦場に、かつて描いた美しい乳白色の世界はありません。真珠湾攻撃1周年を記念して行われた戦争美術展では380万人もの入場者数だったといいます。戦争画によるプロパガンダは確かに成功していたようです。藤田の描いた「アッツ島玉砕」が各地を巡回すると、手を合わせて拝んだり、賽銭を投げたりする客までいたといいます。先の戦争では、人もモノも全て動員され、あらゆるものが利用され、その1つに美術までも含まれていました。

制作局テレビ西日本(TNC)

次回放送内容

OA:2025.11.09(日)

「自分の障害を受け入れて、もう1つの陸上競技に挑戦」パラ陸上・十川裕次選手が走る理由とは?。 大分市出身の十川裕次選手はパラ陸上1500mで活躍するアスリート。パラリンピックには東京・パリと2大会連続で日の丸を背負い、世界の舞台を駆けぬけた。小学校のときから野球を続けていたが、あることをきっかけに陸上の道へ。強豪駅伝部として知られる大分東明高校時代には全国高校駅伝で花の一区も任された経歴を持つ。ただ、これまでの道のりは決して平たんなものでなかった。3歳のときに軽度の知的障害が判明。周りと比べると物事を理解することが困難な場合や、そのスピードが遅いこともある。「どうしてぼくを障害に生んだの?」やり場のない怒りを両親にぶつけることもあった。そんな失意の中で出会ったパラ陸上が十川選手に「走る理由」を与えてくれた。世界への舞台へと挑戦を続ける十川選手の日々を追った。

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