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これまでの放送内容 -2020年-

2020年8月4日(火)

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青い正義感

「童んちゃーごめんね」、沖縄の子どもたちに謝りたいと語る俳優・津嘉山正種。75歳になる名優がなぜ…。秘めた想いに迫る。

 戦中、戦後を生きてきた県出身の俳優・津嘉山正種。戦後74年となる今、沖縄の子どもたちに謝りたいと力を込める。75歳になる名優がなぜ…。秘めた想いに迫る。番組では、沖縄への差別を照らしたいと津嘉山が10年ぶりに再演したひとり語り「人類館」の舞台裏に密着。また、去年の冬、故郷・沖縄が基地問題で揺れる中、津嘉山は自らが企画製作した舞台に立っていた。観客に配られたパンフレットには「青い正義感」と題して、熱い想いが綴られていた。「75歳になる自分に残された時間は短い、次の世代に何を残すことができるのだろう」と自分に問いかけながら進む津嘉山の沖縄出身の俳優としての道に迫る。

出演者:津嘉山 正種

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

2020年7月28日(火)

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お母さんと子どもの幸せ願う えかきやさん

妊婦さんのお腹に絵を描くベリーペイント。絵筆をふるうのは「えかきやさん」と名乗る女性。お母さんたちの愛情と喜びに触れながらも、彼女はある不安を抱えていた・・・。

キャンバスは妊婦さんの丸~いお腹!出産間近の女性のお腹に絵を描くベリーペイントは、欧米から伝わる安産のおまじない。いま日本でも徐々に人気が高まっている。
絵筆をふるうのは、自らを「えかきやさん」と名乗る永梨さん。これまでにおよそ1000人の赤ちゃんを祝福してきた。しかし始めた当初は複雑な気持ちだった。「この子は本当に幸せになれるのかな」。えかきやさんは、どんな不安を抱いているのだろう。

出演者:本橋永梨 本橋健志・涼・凛々愛・健 神谷美鈴

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

2020年7月21日(火)

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筋肉は笑顔を生む!

「筋肉があれば何でもできる!」 伊万里市を中心に、筋肉を活かしたまちづくり活動をしているPEAK SMILE。

「筋肉があれば何でもできる!」
伊万里市を中心に、筋肉を活かしたまちづくり活動をしているPEAK SMILE。
筋肉が自慢のメンバーは本業の仕事をしながら、夏は「筋肉かき氷」、冬は「筋肉餅つき」を行い、各地で幅広い世代に笑顔を作り出している。地域を盛り上げる彼らのひと夏を追いました。

出演者:PEAK SMILE(大久保徳之、ほか) 【ナレーション】 尾鍋斐沙奈

制作局サガテレビ(STS)

2020年7月14日(火)

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老舗映画館の挑戦~創業80年 小倉昭和館~

シネコン全盛の時代に、昔ながらの営業を続ける映画館。80年の歴史を刻んだ映画館への3代目館主の思いとは。

 福岡県北九州市にある、創業80周年を迎える「小倉昭和館」。映画業界斜陽の時代も生き残り、今も昔ながらの営業を続けています。「小倉昭和館」は主に封切り館で公開が終わった作品や昔の映画を上映する「名画座」スタイル。2本立て上映が基本で、シネコン全盛の時代には珍しい入れ替え無し制。そのため、1日中いても同一料金です。 そんな映画館を切り盛りするのは3代目の館主、樋口智巳さん。リクエストに応じた作品の上映、イベント開催など様々なアイデアでお客さんを楽しませることを常に考えています。そんな母の奮闘ぶりを見て帰ってきた息子、経験50年以上のベテラン映写技師、通い続ける常連客など映画館を取り巻く人々。 それぞれの思いを受け止めて、樋口智巳さんは次の時代へ歩み始めます。

制作局テレビ西日本(TNC)

2020年7月7日(火)

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ゆれる

大分県竹田市久住町に2019年5月、巨大木製ブランコが完成した。無料開放されたブランコの話題はSNSでひろまり人気スポットに。ブランコを造った夫婦の思いに迫る。

のびやかなみどりの山々と美しい高原が広がる大分県竹田市久住町。ここで民宿を経営する後藤健一さんが2019年5月、自宅敷地内に高さ31.5メートルの自称「世界一の巨大木製ブランコ」を完成させた。無料で開放されているブランコのうわさは、SNSを通じて広まり、現在は週末になると多くの人が訪れる人気スポットとなっている。「人が真似できない事をするほうが人生は面白い」と自由奔放に生きてきた後藤さん。しかし、そこには後藤さんを支え続けてきた妻、里代子さんの苦労や様々な思いがあった。
まもなく結婚50周年を迎える、ゆれる夫婦の物語を描く。

出演者:後藤健一さん 後藤里代子さん 【ナレーション】 藤村晃輝(TOSアナウンサー) 【制作】 TOSテレビ大分

制作局テレビ大分(TOS)

次回放送内容

OA:2024.11.24(日)

八代市坂本町の鮎帰(あゆがえり)地区にある日光(にちこう)棚田。標高420メートル、里山に囲まれ階段状に連なる田畑の景色はどこか懐かしく安らぎを覚えます。1999年『日本の棚田百選』にも選ばれました。しかし、今は過疎化と相次ぐ離農で耕作放棄地が目立ち、田んぼは畑に切り替わり棚田の風情は過去のものとなろうとしています。この日光棚田で僅かに残った数枚の田んぼで唯一米作りに取り組んでいるのが、野口修さんです。年齢は87歳、農業の経験も無ければ地主でもありません。 野口さんは、2016年広島から坂本町に単身移住、79歳の時でした。数年後日光棚田に出会います。それは素人目線の安易な発想だったかもしれません。廃れていく棚田に想いを募らせ景観を維持できないかと…、野口さんは2020年元米農家の田んぼを借りて米作りを始めます。春は田起こし、苗ができれば田植え、収穫の秋まで水の管理や田の草取り、厄介なシカの防除に至るまで片時も目が離せません。野口さんは苦労をものともせず、四度目の秋を迎えることができました。 野口さんは収穫の喜びとは別に、新たな目標に向かって歩き出していました。本人曰く“僧侶”になると、坂本町へ移住を世話してくれたお寺の住職の力になければと話します。住職の体調を案じた末の決断でした。僧侶の資格を取るため、野口さんはこれまで通信教育でお寺の宗派に関する作法やお経を学んできました。最終課程は京都、得度(とくど)習礼(しゅらい)と呼ばれる修行に入ります。 80歳を目前に単身移住。棚田の景観を守ろうと挑む米作り。そして、今度は僧侶になろうと一念発起。野口さんは、鮎帰の里に新しい風を起こそうとする革命児なのかも!? 何が自身をそうさせるのか!?世の中を憂い立ち上がった青春期に答えは有るようです。 荊(いばら)の道を怯まず自らを進化させ続ける野口さんは間もなく米寿。人生100年時代を迎え、余生を謳歌する今はまだ旅の途中かも知れません。番組では、自らの信念と向き合う野口さんが何を求め何処へ向かおうとしているのか、終の棲み家に選んだ里の日々を追います。

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