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これまでの放送内容 -2016年-

2016年8月6日(土)

19歳のお笑い上京日記

お笑い芸人になるため上京した溝上裕平。親元を離れ東京の養成所に通うが、プロへ向け試練の日々を送る。新しい相方とともに、自分を信じて突き進む19歳の上京日記。

溝上裕平19歳。中学時代に同級生を相方に漫才をはじめ、高校生の時は九州代表として全国大会に出場するなど、高校生漫才の中では全国に名を馳せてきた。
進学か養成所かという選択肢で心は揺れたが、相方とはコンビを解散し、一人上京し自分の道を進む。上京前に新しいことをやりたいと話していた溝上は藤田とコンビを組み、「ヒューマンビートボックス漫才」という今までとはまったく違うものに挑戦し、東京生活を歩み始めた。入学から5カ月が経ち、客の前でも漫才をするようになった溝上。養成所生とは言え、高校時代とは違いお金を払ってもらい芸をする。今までとは違うプレッシャーをはねのけて、最高の芸を演じることができるのか。
一握りの人が立つ、はるかなお笑いの世界に向け、走り続ける若者に密着。

出演者:溝上裕平 【ナレーター】 木戸優雅(サガテレビアナウンサー)

制作局サガテレビ(STS)

2016年7月31日(日)

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追憶の部屋~戦地からの便り~

大刀洗平和記念館の「追憶の部屋」と呼ばれる遺影コーナーに米兵の写真が飾られている。遺族たちは一様に、戦地から送られてきた手紙を大切に保管していた。

のどかな田園が広がる福岡県大刀洗町。かつてこの地には“東洋一”と謳われた旧陸軍大刀洗飛行場があった。ここには航空隊の若い兵士や教官をはじめ、勤労動員の学生や女子挺身隊など、多くの若者たちが勤務し、働いていた。
太平洋戦争末期、この地はB29の爆撃にさらされた。6回におよぶ空襲で、飛行場は壊滅的な被害を受けた。現在、飛行場の跡地にたつ筑前町立大刀洗平和記念館。ここでは、大刀洗飛行場に関わった戦没者たちの記録と記憶を今に伝えている。その館内の一画、「追憶の部屋」と呼ばれる遺影コーナーに米兵の写真が飾られている。
遺影の人物の遺族に会うためアメリカを訪れ、インタビューを敢行。遺族たちは一様に、戦地から送られてきた手紙を大切に保管していた。戦後71年、海の向こうにも家族を失った人たちの悲しみがあった。

制作局テレビ西日本(TNC)

2016年7月23日(土)

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母を越える日~水上のなでしこレーサー物語~

ボートレース界に史上初の母娘対決が実現!大先輩である母親、まだまだ未熟な若手である娘。親子関係とライバル関係の中で揺れ動く、母・娘の思いを描く

最高時速80キロのスピードで競い合う「水上の格闘技」・・・ボートレース。
そのボートレース界に史上初の図式が、昨春誕生した。母はレーサー28年目の大山博美さん、娘はレーサー2年目の大山千広さん。男性レーサーに混じってレースをして勝ってくる母に憧れ、小学校の頃から「ボートレーサーになりたい!」と思い続けた娘・千広さんは親元を離れ、ボートレーサー養成訓練施設「やまと学校」で1年間寮生活をすることに。高校時代陸上のキャプテンとして、自らは七種競技の選手として体力には自身があった千広さんだったが、やまと学校2ヶ月目に壁にぶつかる。「やめたい・・・」電話で娘の弱音を聞いた母・博美は、娘に手紙を書いた。「私と一緒に走ってください」娘・千広は、それから気持ちを切り替え、メキメキと頭角を現し、晴れてボートレーサーに。福岡・ボートレース若松で、二人にとって忘れられないレースがあった。
2016年5月1日、母娘3度目の対決が実現!一番人気の白1号艇の母「大山博美」、青4号艇の娘「大山千広」。過去の2レースは、母が先着、娘は母の背中を必死に追いかける展開。
そして迎えた3度目の対決の結末は・・・?母であり大先輩である博美、娘でありまだまだ未熟な若手である千広。
親子関係とライバル関係の中で揺れ動く、母・娘の思いを描く

出演者:【ナレーター】 橋本真衣(テレビ西日本)

制作局テレビ西日本(TNC)

2016年7月17日(日)

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盲目の噺屋 ザトー

別府を中心に、落語や民話の語りで活躍する29歳の「全盲の噺屋 ザトー」。地元の人々に笑いと勇気をもたらすザトーに密着。障がいに負けず強く生きる姿を追った。

アマチュア落語家のザトー。大分県別府市を中心に、大分弁での落語や民話の語りで活躍する29歳の若者。その彼、実は先天性の緑内障であり幼少時から視力が弱かった。そして6年前に失明した。
それでも自立した生活を目指して、別府に居を移し一人暮らしを始めた。そんな矢先に出会ったのが「落語」だった。「出来ないことが増えたけど、出来ることが何なのかが明確になった」と語る彼は、独学で落語を勉強し、現在は「全盲の噺屋 ザトー」として、多くの落語会に参加。地元の人々に笑いと勇気をもたらしている。
そんなザトーの新たな試みとして、地元の芸人とコラボレーションする企画が持ち上がった。その公演の様子と障がいに負けず力強く生きる姿を追った。

制作局テレビ大分(TOS)

2016年7月10日(日)

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組子を世界へ

時代に忘れかけられた伝統工芸「大川組子」▽JR九州「ななつ星」「或る列車」で注目▽デザイナー水戸岡鋭治と組子職人が挑む!「組子ハウスプロジェクト」とは?

JR九州が運行する豪華列車「ななつ星」や「或る列車」で注目を集めた「大川組子」。書院障子や欄間の装飾に使用され、約300年の歴史を持つ伝統工芸である。日本を代表する工業デザイナー水戸岡鋭治も絶賛する職人技だが、住宅事情の変化によって、一度消滅の危機を迎えた。現代の家には欄間もなければ書院障子もない。組子の居場所が、家の中から消えたのだ。その危機を脱しようと奮闘する男が組子職人の木下正人さん。「待つ伝統から攻める伝統に変わった」と語る木下さん。従来の組子の価値観を一新させ、新たな組子商品を生み出す。さらに水戸岡鋭治とともに挑む組子ハウスプロジェクトとは、いったいどんなものなのか?300年の歴史が変わる瞬間に密着した。

制作局テレビ西日本(TNC)

次回放送内容

OA:2026.09.13(日)

 菊池恵楓園所者自治会の太田明副会長は今年1月、園内にかつて存在した野球チーム『オール恵楓』のユニホームを復刻した。それは園の憧れの的だった若者たちが着ていたものだった。園内で野球が盛んになったのは1930年で、居住区別の3チームと職員チームによる対抗戦が始まった。国による強制隔離が進み、いわゆる「患者狩り」に拍車がかかった結果、比較的症状の軽い高校生やノンプロ選手が入所したからといわれている。園内選抜チーム『オール恵楓』は1952(昭和27)年9月、トラックで初の県外遠征試合に出発。無断外出は厳しく処分されるおそれがあったが、患者たちは「園外で試合がしたい」と秘かに鹿児島県鹿屋市にある国立療養所星塚敬愛園の自治会と手紙をやり取りして、試合をする段取りをつけていた。トラックの荷台に布団を敷いて揺れに耐え、途中の道で警官に見つかった。運転手が「らい患者を輸送中だ」と偽ったところ、警官は「この道を通ったらいかん。山の中を通って行け」と蔑んだという。一行は約12時間かけて、星塚敬愛園に到着。1週間滞在して4試合を行い、2勝2敗だった。メンバーで一番若く補欠だった田中照幸さんは当時を懐かしく振り返った。一方、入所者自治会の太田明副会長は『オール恵楓』鹿児島初遠征の1952年、小学2年生のときに入所し、大いに野球を楽しんだ。そして、岡山県の国立療養所長島愛生園にかつて存在した『邑久高校 新良田教室』に進学し、野球部に所属。1960(昭和35)年夏、野球部は「俺達には修学旅行がないから、高校時代の思い出をつくろう」と園に「里帰りする」と偽って外出し、東日本5カ所の療養所を列車で巡る遠征試合を敢行した。園からの帰還命令を無視した大冒険に、太田さんは「あんな痛快で、開放感を味わったことはない」と振り返る。太田さんは恵楓園で野球が盛んだったことをを知ってもらおうと、恵楓園の一部施設跡地に2021年に開校した合志市立合志楓の森中学校野球部の部員と『オール恵楓』復刻ユニホームを着て、キャッチボールを楽しんだ。番組では、ハンセン病患者たちがいわれなき差別の中で見出した希望と情熱の日々を見つめる。

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