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これまでの放送内容 -2011年-

2011年2月13日(日)

海と生きる ~博多湾漁師の一年~

福岡市の姪浜漁港。博多湾でも町の中心部に位置するこの漁港はすぐ後ろに大きな観覧車、少し先には福岡ドームなどが見える都会の港。 そこで25年のキャリアを誇る中堅漁師が野上千尋さん(40)。 博多湾の内海、外海両方にでて活きのいい魚をとる彼の1年を追う。

正月の玉せせり神事で1年が始まる姪浜漁港。
威勢のいい掛け声が響いた後は博多湾での漁が始まる。
サワラやスズキをとり、5月からは解禁になった鯛をメインで狙う。
夏には地引網や魚すくいなどのイベントを漁師仲間たちと企画、さらには漁港の朝市で獲れたての魚を家族で販売するなど精力的に活動する野口さん。そして一年も終わりに近づいたころ、彼は自分が漁師になった15歳になった長男を漁に連れていくことにする。

そこで語られた親子二人の漁、そして地元姪浜に対する想いとは?

年明けにおこなわれた玉せせり神事までの丸1年、姪浜漁師・野上千尋さんの姿を追いかけます。

制作局テレビ西日本(TNC)

2011年2月6日(日)

エンヤー!親子5代唐津くんち物語

唐津市木綿(きわた)町で、代々自転車屋を営んできた正田諒一郎さん(72)。息子でバイク屋を営む俊輔さん(46)。「生活の全てはくんち」と、自他共に認める親子だ。正田家の祖先は唐津藩の刀鍛冶師。

自転車屋は明治39(1906)年に初代松太郎が創業した100年の歴史ある老舗自転車屋。

木綿町の自慢は元冶元年(1864)に町民の寄付で製作された、唐津くんち九番曳山(やま)・武田信玄の兜。その兜、今年26年ぶりに5回目の塗り替えを行った。しかも唐津で行うのも半世紀ぶり。町民の関心は更に深まった。栄えある塗替実行委員長に推された正田諒一郎さん。親子が中心となり、2月7日(日)の曳山解体から作業はスタートした。

4月。諒一郎さんを突然襲った脳梗塞。夏まで塗り替え作業には顔を出せず、無念がる諒一郎さん。息子がその代わりを務めながら、塗り替えは続いていった。
10月。脅威の回復を成し遂げた諒一郎さんとともに、曳山は見事塗り替え終了。そして兜の裏側には、正田家5代の名前が記された。「兜に名を残す」それはまさに唐津っ子の誉。

11月。いよいよ唐津くんちの3日間が始まった。そこには塗り替えが終わった真新しい曳山を誇らしげに曳く正田一家の姿があった。今年から木綿町の曳山組織に入会した長男・信太郎さん(19)は、唐津っ子の憧れ「曳山の上(やまんうえ)」で初めて采配を振ることに。驚く長男と喜ぶ家族。そして最終日。唐津っ子の心をたぎらせる「エンヤー」の掛け声と共に曳山が展示場に収納される時、曳き子たちは男泣きする。「くんちを引き継ぐこと。それは町を引き継ぐこと」。番組は、先祖代々唐津くんち一筋に生きてきた正田一家を中心に、木綿町町民の武田信玄の兜にかける想いを伝える。

制作局サガテレビ(STS)

2011年1月30日(日)

オキナワ映画

「沖縄で新たに誕生した映画「ナッシングパーツ71」。監督は、名プロデューサーとして知られる仙頭武則。

彼は日本映画の話題作次々とプロデュースし、カンヌ映画祭で連続受賞をはじめとする12カ国の国際映画祭等で98もの賞を受賞!まさに日本を代表する国際的プロデューサーである。その仙頭武則氏が、3年前に沖縄移住。そして、2010年夏、人生初となる「映画監督」に挑戦したのだ。

完成した映画には、いわゆる「沖縄問題」が満載。軍用地を売る男と、アメリカ人を殺してしまった男が出会い、掘り返した日本兵の頭蓋骨を抱えて、オキナワを彷徨うロードムービー。ディープすぎる「オキナワ」に仙頭監督は切り込んでいったのである。過激なまでに情熱を傾け、「熱病」にうかされるように灼熱の太陽の下、仙頭監督は、2010年の「オキナワ」を撮った!はたして仙頭監督を突き動かしていた「もの」とは、何なのか?

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

2011年1月23日(日)

ご当地グルメの作り方 ~青春の味“直方焼きスパ”~

明治時代から昭和30年代にかけて石炭産業で栄えた福岡県直方市。 ここ数年は、郊外への大型商業施設の進出などが相次ぎ、駅前周辺の商店街は元気をなくしていました。

90年代まで、駅前商店街にあった喫茶店「夕やけ」。
学校帰りの学生たちが、「夢を語り」、「恋を語り」…青春を過ごした場所。
そこには、直方に当時住んでいた人、青春を過ごした人なら1度は食べたことがあるかもしれない看板メニューがありました。

それが「焼きスパ」。タマネギ、キャベツ、豚肉といった焼きそばの具に、パスタとトマトケチャップベースのソースを絡め、炒めたものです。
マスターが部活帰りの腹ペコの学生のためにと、作り始めたのがきっかけです。新たに材料をそろえる必要もなく、簡単に作れて、またお腹いっぱいになることから、多いときには一日に100食も出ていました。直方で生まれ育ち、学生時代に「夕やけ」に通っていた舟越理恵さん。
彼女が中心となり、ご当地グルメで町おこしをするプロジェクトが立ち上がりました。

今や一大ブームとなり、町おこしの起爆剤と期待される「B級ご当地グルメ」。
番組では、思い出の味の再現、イベントへの出店、直方市内での「直方焼きスパ」のデビューまで、舟越理恵さんと市民ボランティアによる取り組みを追います。

制作局テレビ西日本(TNC)

2011年1月16日(日)

母の横顔

長崎県佐世保市で有名なものの1つに佐世保バーガーがあります。

そんな佐世保バーガーのお店をはじめて37年になる人気店の1つが「ロン」です。今は2代目の久保山幸一さんが後を継いで店を営んでいます。

ここで中学3年生になる女の子が働いています。久保山桃果さんは、父の手伝いをしています。それはお母さんのためです。母・美弥さんは6人目となる子供を出産しようとしています。桃果さんは、5人兄弟の一番上です。長女として、これまで家族のために家事や子育て、いろんなことをしなければなりませんでした。やりたいことも我慢してきました。そんな彼女にもうすぐ新しい兄弟が増えます。

番組では、母の出産を期に、夢を描き、家族の大切さを感じていく桃果さんの成長を見つめます。母の横顔が語る子供へのメッセージを伝えます。

制作局テレビ長崎(KTN)

次回放送内容

OA:2024.11.24(日)

八代市坂本町の鮎帰(あゆがえり)地区にある日光(にちこう)棚田。標高420メートル、里山に囲まれ階段状に連なる田畑の景色はどこか懐かしく安らぎを覚えます。1999年『日本の棚田百選』にも選ばれました。しかし、今は過疎化と相次ぐ離農で耕作放棄地が目立ち、田んぼは畑に切り替わり棚田の風情は過去のものとなろうとしています。この日光棚田で僅かに残った数枚の田んぼで唯一米作りに取り組んでいるのが、野口修さんです。年齢は87歳、農業の経験も無ければ地主でもありません。 野口さんは、2016年広島から坂本町に単身移住、79歳の時でした。数年後日光棚田に出会います。それは素人目線の安易な発想だったかもしれません。廃れていく棚田に想いを募らせ景観を維持できないかと…、野口さんは2020年元米農家の田んぼを借りて米作りを始めます。春は田起こし、苗ができれば田植え、収穫の秋まで水の管理や田の草取り、厄介なシカの防除に至るまで片時も目が離せません。野口さんは苦労をものともせず、四度目の秋を迎えることができました。 野口さんは収穫の喜びとは別に、新たな目標に向かって歩き出していました。本人曰く“僧侶”になると、坂本町へ移住を世話してくれたお寺の住職の力になければと話します。住職の体調を案じた末の決断でした。僧侶の資格を取るため、野口さんはこれまで通信教育でお寺の宗派に関する作法やお経を学んできました。最終課程は京都、得度(とくど)習礼(しゅらい)と呼ばれる修行に入ります。 80歳を目前に単身移住。棚田の景観を守ろうと挑む米作り。そして、今度は僧侶になろうと一念発起。野口さんは、鮎帰の里に新しい風を起こそうとする革命児なのかも!? 何が自身をそうさせるのか!?世の中を憂い立ち上がった青春期に答えは有るようです。 荊(いばら)の道を怯まず自らを進化させ続ける野口さんは間もなく米寿。人生100年時代を迎え、余生を謳歌する今はまだ旅の途中かも知れません。番組では、自らの信念と向き合う野口さんが何を求め何処へ向かおうとしているのか、終の棲み家に選んだ里の日々を追います。

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