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これまでの放送内容 -沖縄テレビ放送(OTV)-

2020年9月22日(火)

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とみ先生と風疹児たち

かつて「風疹児」と呼ばれた子供たちは今では50代。風疹児たちが小さい頃から言葉の教育にあたってきた先生は90代に。先生と教え子の交流は今も続いていた・・・。

沖縄市で開かれたとある同窓会「とみ先生を囲む会」。とみ先生とは、仲本とみさん、93歳。会場には、50代になった教え子とその親たちがいた。ここに集まった人たちは、1964年から65年にかけて沖縄で風疹が流行し、その影響で聴覚障害児として生まれた子供たちとその親。子供たちはかつて「風疹児」と呼ばれた。高校卒業までの風疹児たちに接し、言葉の教育をしてきたとみ先生と教え子たちには今も、信頼の絆が結ばれている。とみ先生の証言と、風疹児親子の横田初枝さん、横田弘正さんの今を伝えながら、風疹児たちが歩んできた人生と、親の思いを辿る。

出演者:仲本とみ 横田初枝 横田弘正・律子 木村まち子 その他教え子たち

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

2020年9月1日(火)

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ロックと不発弾

街を愛し、ロックを愛する男は沖縄に刺さる棘を抜き続けてきた。

沖縄本島中部沖縄市、今も昔もコザと呼ばれ愛される街。この街で育った豊田益市さん(69)。彼は様々な顔を持つ。呼ばれればどんなイベントでもロック演奏をするロックミュージシャンかと思えば沖縄に刺さる棘、不発弾を探査する磁気探査会社「沖縄中央エンジニアリング」の会長、また、街の通り会の会長にロックミュージックバー「Sideways」の経営者。69年間、止まることなく走り続ける彼はどのような想いでロックミュージックを歌い続けるのか?不発弾探査という一歩間違えば爆発事故に巻き込まれてしまう可能性がある仕事にどのような思いで向き合ってきたのか。街を愛し、ロックを愛する69歳、年齢もロックな親父はいったい何者なのか?コザの街とは?沖縄の不発弾の現状とは?彼を追いかけロックと不発弾をお伝えします。

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

2020年8月4日(火)

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青い正義感

「童んちゃーごめんね」、沖縄の子どもたちに謝りたいと語る俳優・津嘉山正種。75歳になる名優がなぜ…。秘めた想いに迫る。

 戦中、戦後を生きてきた県出身の俳優・津嘉山正種。戦後74年となる今、沖縄の子どもたちに謝りたいと力を込める。75歳になる名優がなぜ…。秘めた想いに迫る。番組では、沖縄への差別を照らしたいと津嘉山が10年ぶりに再演したひとり語り「人類館」の舞台裏に密着。また、去年の冬、故郷・沖縄が基地問題で揺れる中、津嘉山は自らが企画製作した舞台に立っていた。観客に配られたパンフレットには「青い正義感」と題して、熱い想いが綴られていた。「75歳になる自分に残された時間は短い、次の世代に何を残すことができるのだろう」と自分に問いかけながら進む津嘉山の沖縄出身の俳優としての道に迫る。

出演者:津嘉山 正種

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

2020年7月28日(火)

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お母さんと子どもの幸せ願う えかきやさん

妊婦さんのお腹に絵を描くベリーペイント。絵筆をふるうのは「えかきやさん」と名乗る女性。お母さんたちの愛情と喜びに触れながらも、彼女はある不安を抱えていた・・・。

キャンバスは妊婦さんの丸~いお腹!出産間近の女性のお腹に絵を描くベリーペイントは、欧米から伝わる安産のおまじない。いま日本でも徐々に人気が高まっている。
絵筆をふるうのは、自らを「えかきやさん」と名乗る永梨さん。これまでにおよそ1000人の赤ちゃんを祝福してきた。しかし始めた当初は複雑な気持ちだった。「この子は本当に幸せになれるのかな」。えかきやさんは、どんな不安を抱いているのだろう。

出演者:本橋永梨 本橋健志・涼・凛々愛・健 神谷美鈴

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

2020年6月9日(火)

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せっちゃんの卒業式

沖縄県民の胃袋を支えた那覇市第一牧志公設市場。せっちゃんは50年働いた市場を卒業する。卒業の時、せっちゃんは何を思うのか。

開設から70年近く沖縄県民の生活を支えた牧志公設市場。この度、老朽化に伴って建て替えが決定。仮設市場の建設が進む中、卒業を決めたのは市場で50年働いてきた上原節子さん。「せっちゃん」と呼ばれ市場の仲間から愛されています。かつてはかまぼこ屋を営み、一日に1万本近く売り上げた事もあるせっちゃん。しかし腰痛の悪化と跡継ぎがいないことから市場を卒業する事に。市場で共に働いた仲間との別れ、先代から受け継いだ店を畳むことの決意。卒業の時が迫る中でせっちゃんは何を思うのか。

出演者:上原節子さん

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

次回放送内容

OA:2024.07.20(土)

長崎県五島市福江島から東南東およそ35キロの海底に「潜水艦の墓場」と呼ばれる場所がある。太平洋戦争終結の翌年、アメリカ軍が世襲した旧日本海軍の潜水艦は佐世保に集められ、五島列島沖合でアメリカ軍によって沈められた。旧日本海軍の潜水艦24艦は、今もその海底に眠っている。この海域を大学教授らが無人潜水機などを使い調査。様々な資料と照合し、全24艦の名前を特定した。その中には広島原爆の運命を変えたかもしれない潜水艦が存在した。それら潜水艦の多くは実戦でも使われた特攻兵器、人間魚雷「回天」を搭載していた。そしてもうひとつ実戦で使われた特攻兵器が存在する。旧日本海軍の水上特攻艇「震洋」。かつて「震洋」の訓練所が長崎県東彼杵郡川棚町にあった。極秘の特攻作戦だったため、資料はほとんど残されていなかった。しかし2021年、新たな写真が発見された。旧日本海軍の潜水艦、そして水上特攻艇「震洋」。それぞれの関係者は今、何を思うのか。戦争遺構が私たちに伝えようとしているものとは。

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