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これまでの放送内容

2018年6月26日(火)

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シェフとおかん

宮崎県小林市の地方創生の新たな一手はレストランのオープン。シェフに就任した地井潤さんは元公邸料理人、母親のルーツである小林市でどのような料理を生み出すのか。

今、全国で地方創生を目指す様々な取り組みが行われている。豊かな農畜産物が自慢の宮崎県小林市の新たな取り組みは地元の食材を使ったレストランをオープンすること。
目指すのは三つ星のレストランのようなその料理を食べるために旅行をする価値があるお店。キーマンとなるシェフに選ばれたのがフレンチシェフの地井潤さん(50)。地井さんはヨーロッパ3カ国の日本大使館で腕をふるった元公邸料理人で国から優秀公邸料理長の認定優秀公邸料理長の認定も受けた折り紙付きのシェフだ。地井さんが地元食材で目をつけたのは「鯉」海に面していない小林市で古くから親しまれてきた。都会での反応を見ようと、東京で行われた市のPRイベントで鯉料理を提供。おおむね好反応だったが地井さんは料理の出来に納得していなかった。
小林に戻り自宅でも鯉料理の試作に取り組む。味見をするのは大阪から一緒に引っ越してきた地井さんの93歳の母親房江さんと叔母桂子さん。大阪でお好み焼き屋を営んでいた2人は地井さんが料理人を志すきっかけとなった。試作した鯉のカルパッチョを食べた2人は微妙な反応。すると地井さんはカットしたイチゴをトッピング、2人も驚くほどの味の変化を見せた。大阪に嫁ぐまで小林市で暮らしていた母房江さんにとって実に60年ぶりの小林での生活。地井さんには母親を小林に連れて帰りたいある理由があった。5月、いよいよレストランがオープン。

出演者:地井潤 地井房江

制作局テレビ宮崎(UMK)

次回放送内容

OA:2024.11.24(日)

八代市坂本町の鮎帰(あゆがえり)地区にある日光(にちこう)棚田。標高420メートル、里山に囲まれ階段状に連なる田畑の景色はどこか懐かしく安らぎを覚えます。1999年『日本の棚田百選』にも選ばれました。しかし、今は過疎化と相次ぐ離農で耕作放棄地が目立ち、田んぼは畑に切り替わり棚田の風情は過去のものとなろうとしています。この日光棚田で僅かに残った数枚の田んぼで唯一米作りに取り組んでいるのが、野口修さんです。年齢は87歳、農業の経験も無ければ地主でもありません。 野口さんは、2016年広島から坂本町に単身移住、79歳の時でした。数年後日光棚田に出会います。それは素人目線の安易な発想だったかもしれません。廃れていく棚田に想いを募らせ景観を維持できないかと…、野口さんは2020年元米農家の田んぼを借りて米作りを始めます。春は田起こし、苗ができれば田植え、収穫の秋まで水の管理や田の草取り、厄介なシカの防除に至るまで片時も目が離せません。野口さんは苦労をものともせず、四度目の秋を迎えることができました。 野口さんは収穫の喜びとは別に、新たな目標に向かって歩き出していました。本人曰く“僧侶”になると、坂本町へ移住を世話してくれたお寺の住職の力になければと話します。住職の体調を案じた末の決断でした。僧侶の資格を取るため、野口さんはこれまで通信教育でお寺の宗派に関する作法やお経を学んできました。最終課程は京都、得度(とくど)習礼(しゅらい)と呼ばれる修行に入ります。 80歳を目前に単身移住。棚田の景観を守ろうと挑む米作り。そして、今度は僧侶になろうと一念発起。野口さんは、鮎帰の里に新しい風を起こそうとする革命児なのかも!? 何が自身をそうさせるのか!?世の中を憂い立ち上がった青春期に答えは有るようです。 荊(いばら)の道を怯まず自らを進化させ続ける野口さんは間もなく米寿。人生100年時代を迎え、余生を謳歌する今はまだ旅の途中かも知れません。番組では、自らの信念と向き合う野口さんが何を求め何処へ向かおうとしているのか、終の棲み家に選んだ里の日々を追います。

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