ページトップ
TNCメニュー

これまでの放送内容

2018年4月3日(火)

サムネイル

生きつづける 前編

末期がんと闘いながら、残された時間を前向きに生きようとする押し花作家と、彼女を全力で支える緩和ケア病棟スタッフの献身…。生きつづけることの意味を考える命の物語。

當間光江さんは、沖縄を代表する押し花作家。2017年2月、糸満市にある友愛会・南部病院の緩和ケア病棟に入りました。乳がんと診断された時には、すでにステージ4…。骨や肺などにも転移しており、抗がん剤などの化学療法はあきらめざるを得ない状態でした。緩和ケア病棟は、治療を目的とするのではなく、苦痛をできる限り緩和しながら残された人生の時間を豊かに生きるための場所。光江さんは医療ケアを受け、押し花の作品をつくることを大切にして、残された時を過ごすことができています。いわゆる「人生最後の時間」。ひとりで歩むにはとても過酷な道のりですが、共に歩む支援者がいることで、夢をあきらめず希望を育んでいくことは可能なのです。死を意識せざるを得ない厳しい道のりだからこそ、命の尊さをより濃密に感じる…。光江さんは、息苦しさと闘いながら、カメラにこう語りました。
『ここは死ぬ場所じゃない。生きつづける場所』。
がんなどの患者の夢や希望を全力で支援する緩和ケア医療の現場を見つめます。

出演者:【ナレーション】 平良いずみ(沖縄テレビアナウンサー)

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

次回放送内容

OA:2024.11.24(日)

八代市坂本町の鮎帰(あゆがえり)地区にある日光(にちこう)棚田。標高420メートル、里山に囲まれ階段状に連なる田畑の景色はどこか懐かしく安らぎを覚えます。1999年『日本の棚田百選』にも選ばれました。しかし、今は過疎化と相次ぐ離農で耕作放棄地が目立ち、田んぼは畑に切り替わり棚田の風情は過去のものとなろうとしています。この日光棚田で僅かに残った数枚の田んぼで唯一米作りに取り組んでいるのが、野口修さんです。年齢は87歳、農業の経験も無ければ地主でもありません。 野口さんは、2016年広島から坂本町に単身移住、79歳の時でした。数年後日光棚田に出会います。それは素人目線の安易な発想だったかもしれません。廃れていく棚田に想いを募らせ景観を維持できないかと…、野口さんは2020年元米農家の田んぼを借りて米作りを始めます。春は田起こし、苗ができれば田植え、収穫の秋まで水の管理や田の草取り、厄介なシカの防除に至るまで片時も目が離せません。野口さんは苦労をものともせず、四度目の秋を迎えることができました。 野口さんは収穫の喜びとは別に、新たな目標に向かって歩き出していました。本人曰く“僧侶”になると、坂本町へ移住を世話してくれたお寺の住職の力になければと話します。住職の体調を案じた末の決断でした。僧侶の資格を取るため、野口さんはこれまで通信教育でお寺の宗派に関する作法やお経を学んできました。最終課程は京都、得度(とくど)習礼(しゅらい)と呼ばれる修行に入ります。 80歳を目前に単身移住。棚田の景観を守ろうと挑む米作り。そして、今度は僧侶になろうと一念発起。野口さんは、鮎帰の里に新しい風を起こそうとする革命児なのかも!? 何が自身をそうさせるのか!?世の中を憂い立ち上がった青春期に答えは有るようです。 荊(いばら)の道を怯まず自らを進化させ続ける野口さんは間もなく米寿。人生100年時代を迎え、余生を謳歌する今はまだ旅の途中かも知れません。番組では、自らの信念と向き合う野口さんが何を求め何処へ向かおうとしているのか、終の棲み家に選んだ里の日々を追います。

年別アーカイブ

制作局

  • LINEで送る
ページの先頭へ