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これまでの放送内容

2014年1月19日(日)

戦争画の背景 藤田嗣治が描いた玉砕

先の戦争では、人もモノも全て動員され、あらゆるものが利用され、そのひとつに美術までも含まれていました。ある日本人画家が描いた戦争。その背景には何が?

▼東京国立近代美術館には終戦後、GHQによって押収され、1970年になって無期限貸与という他に類の無いかたちで日本に戻された絵画作品があります。153点の戦争画です。戦争画とは国威高揚と戦争プロパガンダのために、軍の要請によって書かれた「作戦記録画」のこと。中でも作品数が多いのが藤田嗣治が描いた戦争画で14点にのぼります。ヨーロッパで最も有名な日本人といわれた画家、藤田嗣治。藤田は西洋の伝統的な技法に日本の繊細な表現を融合させ、乳白色を基調とした美しい裸婦像は世界を魅了しました。1920年~30年代、日本だけでなく世界を代表する超一流の画家でした。そんな藤田も軍の要請で、戦場に赴き、戦争画を描くことになります。藤田の戦争画作品の画面は暗く、敵味方が入り乱れた凄惨な戦場に、かつて描いた美しい乳白色の世界はありません。真珠湾攻撃1周年を記念して行われた戦争美術展では380万人もの入場者数だったといいます。戦争画によるプロパガンダは確かに成功していたようです。藤田の描いた「アッツ島玉砕」が各地を巡回すると、手を合わせて拝んだり、賽銭を投げたりする客までいたといいます。先の戦争では、人もモノも全て動員され、あらゆるものが利用され、その1つに美術までも含まれていました。

制作局テレビ西日本(TNC)

次回放送内容

OA:2025.08.17(日)

太平洋戦争末期の1944年、地上戦が迫っていた沖縄。国は、戦闘の足手まといになるとして、沖縄の子どもたちを九州へと移動させる「学童疎開」を推し進めました。親元を離れ、九州各県へと向かった子どもたちを待ち受けていたのは貧しい暮らしでした。当時の記憶を次の世代につないでいくために、去年、沖縄では学童疎開を追体験する研修が企画されました。県内の小学5・6年生が参加したなか、特別な想いを抱いて研修に臨んだのが眞榮城百恵さん(11)です。百恵さんのひいおばあちゃん、糸数裕子さん(享年97)は学童疎開の引率教師として、終戦まで宮崎に身を寄せ苦労の日々を送った体験がありました。ひいおばあちゃんの過去や当時の子どもたちのことを知りたいと、百恵さんは宮崎の地を訪れたのでした。

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