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これまでの放送内容 -テレビ熊本(TKU)-

2011年9月11日(日)

故郷… 天草の海で ~生命を撮る水中写真家~

中野誠志さん32歳。日本のスキューバダイビングの本場、静岡県で修業を積み、9年ぶりに地元・熊本に戻ってきた彼は、今年4月から水中写真家とダイビングショップのオーナーの活動を始めた。

自然のありのままの姿を切り取る水中写真、そのテーマは『生命(いのち)』。ショップの経営を軌道にのせるため、奮闘する中野さんの目に入ったのは、熊本を離れていた間に温暖化の影響で変わってしまった海。様々な人たちとの出会いを通じて、どうしようもない自然の流れを知り、葛藤に悩む中野さん。しかし、彼はありのままの生命の姿を撮り続ける。故郷天草の海を愛する若き水中写真家の新たな歩みを追う。

制作局テレビ熊本(TKU)

2011年8月14日(日)

中学生たちの戦争 ~追想画が伝える学徒動員~

熊本県の旧制人吉中学の同窓会が今年も開かれた。昭和17年4月の入学。彼らは3年生の時に戦争を背負わされた。学徒動員である。

男たちは戦争にとられ、生産現場は空洞化。中学生や女学生が労働力となった。西峯さんら人吉中の生徒たちは長崎の海軍工場に動員、到着5日目に戦争という現実を目のあたりにする。B29の大空襲だった。同じ熊本から動員されていた御船中の仲間たちに犠牲者が出た。死がすぐそこにあった。

戦争が全てだった時代…深刻な食糧事情が中学生たちを苦しめた。朝から夜まで、今日も明日も「ひもじい」。それは2度と体験したくない日々だった。そんな我が子を思い、親たちは食料を運んでくれた。ただし校則で差し入れは御法度。西峯さんたちは、それぞれの隠れ家で、親たちと会い空腹を満たした。親たちは自分たちの分を削って、我が子へ食料を届けた。西峯さんは、そんな母の愛を防空頭巾に感じていた。「僕の頭巾は他の人より一廻り大きかった」。こうした学徒動員の記憶を、西峯さんは追想画にして画集にした。次の世代に語り継ぐべき戦争。西峯さんの動員学徒追想画は、平和への願いである。

制作局テレビ熊本(TKU)

2011年7月3日(日)

剣の道で人をつくる ~九学学院剣道部監督 米田敏郎の挑戦~

全国でも強豪として名の通った九州学院剣道部。2009年、全日本剣道選手権大会で日本一に輝いた内村良一(警視庁)さんも九州学院出身。

剣道王国・熊本で絶対的な王者として君臨し、選抜やインターハイ、玉竜旗など、全国大会でも数多くのタイトルを獲得してきた九州学院剣道部。その九学剣道部を毎年強豪に仕立て上げるのが米田敏郎監督。自身も九州学院出身で全日本剣道選手権大会の出場経験を持つ監督である。しかし去年9月、3年生が引退しスタートした新チーム。米田監督は新キャプテンを決め切れずにいた。

米田監督いわく『史上最弱のメンバー』。これまでの選手には伝わってきた言葉が、今年は通じない。技術面の教えもなかなか浸透しない。「声を出せ」「勝ちたいという気持ちを出せ」。まるで初心者にかけるような言葉が九学の剣道場に響いていた。これまで、どんなに弱いと言われるチームでも、全国に通用するチームに育ててきた米田監督。そんな名将が一人頭を抱えていた。斉藤新キャプテンのもとスタートを切った『弱小・九学剣道部』。彼らがどのように成長するのか、また米田監督がどんな風に悩み、工夫し、どのようなチームに作り上げるのか。日本一になるために、人格を育て、真の強さを追求する人間・米田敏郎。選手と共に挑むこれまでで最も難しい『日本一』への挑戦を半年間追った。

制作局テレビ熊本(TKU)

2011年3月27日(日)

剣の道で人をつくる ~九学学院剣道部監督 米田敏郎の挑戦~

全国でも強豪として名の通った九州学院剣道部。2009年、全日本剣道選手権大会で日本一に輝いた内村良一(警視庁)さんも九州学院出身。

剣道王国・熊本で絶対的な王者として君臨し、選抜やインターハイ、玉竜旗など、全国大会でも数多くのタイトルを獲得してきた九州学院剣道部。その九学剣道部を毎年強豪に仕立て上げるのが米田敏郎監督。自身も九州学院出身で全日本剣道選手権大会の出場経験を持つ監督である。しかし去年9月、3年生が引退しスタートした新チーム。米田監督は新キャプテンを決め切れずにいた。

米田監督いわく『史上最弱のメンバー』。これまでの選手には伝わってきた言葉が、今年は通じない。技術面の教えもなかなか浸透しない。「声を出せ」「勝ちたいという気持ちを出せ」。まるで初心者にかけるような言葉が九学の剣道場に響いていた。これまで、どんなに弱いと言われるチームでも、全国に通用するチームに育ててきた米田監督。そんな名将が一人頭を抱えていた。斉藤新キャプテンのもとスタートを切った『弱小・九学剣道部』。彼らがどのように成長するのか、また米田監督がどんな風に悩み、工夫し、どのようなチームに作り上げるのか。日本一になるために、人格を育て、真の強さを追求する人間・米田敏郎。選手と共に挑むこれまでで最も難しい『日本一』への挑戦を半年間追った。

制作局テレビ熊本(TKU)

2010年10月24日(日)

八千代の願い ~世代を越えた架け橋・八千代座~

熊本県北部に位置する山鹿市の芝居小屋『八千代座』は1910年に建設され、今年100周年を迎えます。

升席、桟敷などの客席構成や人力で回す廻り舞台、花道、すっぽんと呼ばれるセリなどの舞台機構は日本の伝統的な様式を伝え、古典劇場として日本で3番目に国の重要文化財に指定されました。

現在も観光地としてだけではなく、実際に舞台やコンサートなどで使用されている劇場です。その八千代座は大正から昭和初期にかけ隆盛の時代を築きましたが、大衆娯楽の変化により衰退、一時閉鎖した時代もありました。しかし復興を願う市民の活動により、かつての姿を取り戻しました。それぞれの時代で多くの人々が関わってきた八千代座。番組では、幼少の頃から八千代座と親しんできた男性に密着。八千代座と向き合ってきた姿を通して脈々と受け継がれる八千代座が生んだ市民の想いを紹介します。

制作局テレビ熊本(TKU)

次回放送内容

OA:2024.07.20(土)

長崎県五島市福江島から東南東およそ35キロの海底に「潜水艦の墓場」と呼ばれる場所がある。太平洋戦争終結の翌年、アメリカ軍が世襲した旧日本海軍の潜水艦は佐世保に集められ、五島列島沖合でアメリカ軍によって沈められた。旧日本海軍の潜水艦24艦は、今もその海底に眠っている。この海域を大学教授らが無人潜水機などを使い調査。様々な資料と照合し、全24艦の名前を特定した。その中には広島原爆の運命を変えたかもしれない潜水艦が存在した。それら潜水艦の多くは実戦でも使われた特攻兵器、人間魚雷「回天」を搭載していた。そしてもうひとつ実戦で使われた特攻兵器が存在する。旧日本海軍の水上特攻艇「震洋」。かつて「震洋」の訓練所が長崎県東彼杵郡川棚町にあった。極秘の特攻作戦だったため、資料はほとんど残されていなかった。しかし2021年、新たな写真が発見された。旧日本海軍の潜水艦、そして水上特攻艇「震洋」。それぞれの関係者は今、何を思うのか。戦争遺構が私たちに伝えようとしているものとは。

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