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これまでの放送内容

2015年11月29日(日)

電気ガス水道料金ゼロ テンダーの思い

鹿児島の山里で電気ガス水道を契約せずに独自の術で暮らす”テンダー”こと小崎悠太。彼のライフスタイルを通して、今日本が対峙すべきエネルギーや食料問題を考える。

 電気・ガス・水道。我々の生活に欠かせないライフラインを一切契約せずに暮らす男が鹿児島の山里に住んでいる。小崎悠太、32歳。通称テンダー。髪の毛は伸び放題、冬の時期でも裸足にサンダル。木に登って昼寝するのが至福の一時。住まいの家賃は年間1万円。単なる節約生活を送る若者かと思いきや、暮らしの至る所に「環境」に対する思いが詰まっていた。1年半前、テンダーは高齢化率8割を超える鹿児島県南さつま市金峰町長谷集落の空き家に移り住んだ。築44年の住まいで、裏山から引いた水が出るし、薪を燃やして、調理もできる。電源は太陽光だ。テンダーがこの生活を送るようになったのには、父親の存在が大きく影響している。父・徹さんは、国内の大手製造会社に勤務し、福島第一第二原発など原子炉圧力容器の設計に携わってきたエンジニア。テンダーは幼いころから原子力が日本の未来を切り開く鍵になると、父から聞いて育った。そして23歳のとき、知人からの誘いで青森県六ケ所村に1年間滞在。改めて暮らしや電気について考えを巡らせた。そして、辿りついたのが、環境に出来る限り負荷を与えない今の生活だった。テンダーは今の暮らしを自己完結させようとは思っていない。「発信」こそが自分の役割だと考えている。エネルギーや食糧の問題は、今日本が対峙しなければならない重要な課題だ。テンダーの暮らしには課題を解決するヒントが隠れているのかもしれない。

出演者:小崎 悠太【ナレーター】上片平 健(KTSアナウンサー)

制作局鹿児島テレビ放送(KTS)

次回放送内容

OA:2024.11.24(日)

八代市坂本町の鮎帰(あゆがえり)地区にある日光(にちこう)棚田。標高420メートル、里山に囲まれ階段状に連なる田畑の景色はどこか懐かしく安らぎを覚えます。1999年『日本の棚田百選』にも選ばれました。しかし、今は過疎化と相次ぐ離農で耕作放棄地が目立ち、田んぼは畑に切り替わり棚田の風情は過去のものとなろうとしています。この日光棚田で僅かに残った数枚の田んぼで唯一米作りに取り組んでいるのが、野口修さんです。年齢は87歳、農業の経験も無ければ地主でもありません。 野口さんは、2016年広島から坂本町に単身移住、79歳の時でした。数年後日光棚田に出会います。それは素人目線の安易な発想だったかもしれません。廃れていく棚田に想いを募らせ景観を維持できないかと…、野口さんは2020年元米農家の田んぼを借りて米作りを始めます。春は田起こし、苗ができれば田植え、収穫の秋まで水の管理や田の草取り、厄介なシカの防除に至るまで片時も目が離せません。野口さんは苦労をものともせず、四度目の秋を迎えることができました。 野口さんは収穫の喜びとは別に、新たな目標に向かって歩き出していました。本人曰く“僧侶”になると、坂本町へ移住を世話してくれたお寺の住職の力になければと話します。住職の体調を案じた末の決断でした。僧侶の資格を取るため、野口さんはこれまで通信教育でお寺の宗派に関する作法やお経を学んできました。最終課程は京都、得度(とくど)習礼(しゅらい)と呼ばれる修行に入ります。 80歳を目前に単身移住。棚田の景観を守ろうと挑む米作り。そして、今度は僧侶になろうと一念発起。野口さんは、鮎帰の里に新しい風を起こそうとする革命児なのかも!? 何が自身をそうさせるのか!?世の中を憂い立ち上がった青春期に答えは有るようです。 荊(いばら)の道を怯まず自らを進化させ続ける野口さんは間もなく米寿。人生100年時代を迎え、余生を謳歌する今はまだ旅の途中かも知れません。番組では、自らの信念と向き合う野口さんが何を求め何処へ向かおうとしているのか、終の棲み家に選んだ里の日々を追います。

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