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これまでの放送内容

2015年5月10日(日)

泉の広場で逢いましょう~人情地下街 半世紀の思い出~

46年の歴史に幕を閉じたセンタープラザ。“観音の泉”は熊本県民の定番の待ち合わせ場所になるほど親しまれた。笑いあり涙あり、人情地下街の最後の3日間をみつめた。

1969年、東洋一とも言われた熊本市桜町のバスターミナル、熊本交通センターの地下にオープンした熊本センター名店街、現在のセンタープラザ。洗練された有名店が軒を連ねた“銀座なみ”の店構えに、老若男女が集い、県内初の地下街は大変な賑わいを見せた。そんなセンタープラザに1973年に制作されたのが“観音の泉”。泉の広場は定番の待ち合わせ場所として広く熊本県民に定着し、観音様は幾多の出会いと別れを、そこで見届けてきた。また、この泉の広場を舞台とした男女のストーリーを表現したテレビCMが放送され、そのコマーシャルソングは熊本県民なら誰もが口ずさめるといっても過言ではないほど親しまれた。そんなセンタープラザが周辺地区の再開発事業により、2015年3月末をもって閉店することに…。観音様との記念撮影にやってきたのは、ここでのデートを経て結婚したという夫婦。食堂の懐かしの味、カツカレーを食べ納めに来たサラリーマン。お世話になった魚屋に花を贈りに来た近くのレストランのシェフ。夫の死後、女手一つで時計店をを守ってきた女性社長など、多くの人がセンタープラザの閉店を惜しんだ。番組は46年の歴史に幕を閉じるセンタープラザ、最後の3日間をみつめた。

出演者:【ナレーション】 キンキラ陽子(キンキラ劇団)

制作局テレビ熊本(TKU)

次回放送内容

OA:2025.08.10(日)

「被爆体験者」とは、原爆投下時に爆心地から12キロ圏内にいながらも、国が定めた「被爆地域」の外だったとして、被爆者ではないとされている人たちのことです。 広島では、国が定めた「援護区域」の外で黒い雨を浴びた人たちが被爆者と認められましたが、長崎は救済の対象外となっています。 「被爆者と認めてほしい」。被爆体験者はなぜ20年近くも訴え続けているのか。その思いに迫ります。

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