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これまでの放送内容

2013年3月31日(日)

泰緬鉄道 ある戦犯の証言

枕木1本に死者1人と云われた泰緬鉄道。かつて鉄道建設に携わった鉄道連隊小隊長の証言で明らかにされる真実。70年前、そこで一体何があったのか?

▽泰緬鉄道。1943年から日本軍により建設着工された、当時のタイとビルマに跨る鉄道。シンガポール陥落で捕虜となった多くの英・蘭・豪兵、並びに東南アジア一帯から集めた農民などの現地人を総動員して建設された。過酷な労働条件のもと、400キロに及ぶ鉄道は突貫工事により僅か1年半足らずの時間で完成した。しかしマラリアやコレラなどで数万人もの犠牲を出し「死の鉄道」とも呼ばれた。『ある戦犯の手記~泰緬鉄道建設と戦犯裁判~』を記した樽本重治氏は今年96歳。太平洋戦争当時、鉄道第9連隊に所属、泰緬鉄道建設に従事した。戦後、BC級戦犯として「捕虜虐待」などの戦争犯罪に問われ、収容された。出身は兵庫県(現在も兵庫県在住)だが、1964年(昭和39年)に閉鎖された、当時国鉄が経営していた志免炭鉱の門を最後に閉めた人物でもある。結果的には戦争という惨禍を招き、世界、取り分けアジアに多大なる不幸を齎した日本の在り方だったが、それでも“日本人として如何に生きるか”を真摯に捉えた結果でもあった。96歳の樽本氏は言う。「私はかつて戦争のためにアジアの大地に鉄道を建設した。しかしこれからの日本人は平和のための鉄道をアジアの大地に建設してほしい」と。

制作局テレビ西日本(TNC)

次回放送内容

OA:2024.07.20(土)

長崎県五島市福江島から東南東およそ35キロの海底に「潜水艦の墓場」と呼ばれる場所がある。太平洋戦争終結の翌年、アメリカ軍が世襲した旧日本海軍の潜水艦は佐世保に集められ、五島列島沖合でアメリカ軍によって沈められた。旧日本海軍の潜水艦24艦は、今もその海底に眠っている。この海域を大学教授らが無人潜水機などを使い調査。様々な資料と照合し、全24艦の名前を特定した。その中には広島原爆の運命を変えたかもしれない潜水艦が存在した。それら潜水艦の多くは実戦でも使われた特攻兵器、人間魚雷「回天」を搭載していた。そしてもうひとつ実戦で使われた特攻兵器が存在する。旧日本海軍の水上特攻艇「震洋」。かつて「震洋」の訓練所が長崎県東彼杵郡川棚町にあった。極秘の特攻作戦だったため、資料はほとんど残されていなかった。しかし2021年、新たな写真が発見された。旧日本海軍の潜水艦、そして水上特攻艇「震洋」。それぞれの関係者は今、何を思うのか。戦争遺構が私たちに伝えようとしているものとは。

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