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これまでの放送内容

2019年7月9日(火)

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街の靴屋の恵比寿さん

靴の修理一筋57年の職人飯干畩二さん。病気が原因で足が不自由になり「自分の分まで歩いてもらおう」と靴の道を歩んだ。笑顔で修理するその姿は恵比寿さんのようと人気。

宮崎市にある靴の修理専門店「飯干製靴店」。ご主人の飯干畩二(けさつぐ)さんはこの道一筋57年の靴職人。きっかけは飯干さんが幼いころ、小児麻痺が原因で足が不自由になったことから「自分の分まで皆さんに歩いてもらおう」と思い靴の道に進んだ。飯干さんの手にかかればほとんどの靴が甦るという。その腕を頼って修理が舞い込み多い時は一日30人ほどのお客が足を運ぶ。みな「思い出の詰まった靴が甦って嬉しい」と口を揃える。飯干さんの魅力は優しさ溢れる笑顔、その姿はまるで恵比寿様のよう。そんな中、飯干さんは仕事を辞めようと思っていた。長年負担をかけてきた足、さらに長時間座っての作業からくる腰痛で身体に限界を感じるようになっていた。しかしお客さんの「まだ続けて欲しい」という声に一念発起、仕事を続けさらに狭くなった店舗を新たに移転した。75才からの再出発。飯干さんは「甦った靴に喜ぶお客さんの顔を見ることが何より励みになる」と語る。今日も恵比寿さんのような笑顔でお客に小さな幸福を届ける。

出演者:飯干畩二 飯干久美子

制作局テレビ宮崎(UMK)

次回放送内容

OA:2024.11.24(日)

八代市坂本町の鮎帰(あゆがえり)地区にある日光(にちこう)棚田。標高420メートル、里山に囲まれ階段状に連なる田畑の景色はどこか懐かしく安らぎを覚えます。1999年『日本の棚田百選』にも選ばれました。しかし、今は過疎化と相次ぐ離農で耕作放棄地が目立ち、田んぼは畑に切り替わり棚田の風情は過去のものとなろうとしています。この日光棚田で僅かに残った数枚の田んぼで唯一米作りに取り組んでいるのが、野口修さんです。年齢は87歳、農業の経験も無ければ地主でもありません。 野口さんは、2016年広島から坂本町に単身移住、79歳の時でした。数年後日光棚田に出会います。それは素人目線の安易な発想だったかもしれません。廃れていく棚田に想いを募らせ景観を維持できないかと…、野口さんは2020年元米農家の田んぼを借りて米作りを始めます。春は田起こし、苗ができれば田植え、収穫の秋まで水の管理や田の草取り、厄介なシカの防除に至るまで片時も目が離せません。野口さんは苦労をものともせず、四度目の秋を迎えることができました。 野口さんは収穫の喜びとは別に、新たな目標に向かって歩き出していました。本人曰く“僧侶”になると、坂本町へ移住を世話してくれたお寺の住職の力になければと話します。住職の体調を案じた末の決断でした。僧侶の資格を取るため、野口さんはこれまで通信教育でお寺の宗派に関する作法やお経を学んできました。最終課程は京都、得度(とくど)習礼(しゅらい)と呼ばれる修行に入ります。 80歳を目前に単身移住。棚田の景観を守ろうと挑む米作り。そして、今度は僧侶になろうと一念発起。野口さんは、鮎帰の里に新しい風を起こそうとする革命児なのかも!? 何が自身をそうさせるのか!?世の中を憂い立ち上がった青春期に答えは有るようです。 荊(いばら)の道を怯まず自らを進化させ続ける野口さんは間もなく米寿。人生100年時代を迎え、余生を謳歌する今はまだ旅の途中かも知れません。番組では、自らの信念と向き合う野口さんが何を求め何処へ向かおうとしているのか、終の棲み家に選んだ里の日々を追います。

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