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これまでの放送内容

2017年9月17日(日)

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屋台とともに

屋台店主の公募で揺れる福岡 ▽難病を抱えながら奮闘する女性“大将” ▽人気屋台最後の日 ▽新進気鋭の料理人が屋台の世界へ挑戦 ▽機能とデザインを兼ね備えた渾身の屋台

福岡の名物屋台「かじしか」が、この春惜しまれつつも閉店を迎えた。
経営していたのは下村和代(27)さんとその父・克彦さん(50)。
女性店主ならでは気遣いで人気を博し、予約なしでは入れない程の人気ぶりだった。

そもそも福岡の屋台は、1994年以降、新たに参入することが出来なくなったため、消滅の危機にあった。そんな事態が急転したのは2013年のこと。福岡市が屋台を観光資源として捉え、福岡の街に屋台を残すために条例を制定した。
そして、公募で新規参入を認める一方、本来営業権を持たない“名義貸し屋台”は3年の猶予を与えて廃業を言い渡した。その数28店。同じ数だけ屋台店主の公募も行われ、かじしかも参加したのだが…。

一方、公募で新規参入を果たした久保田鎌介(38)さんは、海外での料理修業を経て、現在多国籍料理のダイニングバーを経営。福岡で、これまでにない屋台を始めようと奮闘していた。機能とデザインを兼ね備えた渾身の屋台は、福岡の街の景色をどう変えるのか。

新しい風を起こそうとする屋台と、「福岡の文化・屋台」を愛しながらも廃業を余儀なくされた屋台。その両者に密着し、それぞれの想いを描く。

出演者:語り:椎木樹人

制作局テレビ西日本(TNC)

次回放送内容

OA:2024.11.24(日)

八代市坂本町の鮎帰(あゆがえり)地区にある日光(にちこう)棚田。標高420メートル、里山に囲まれ階段状に連なる田畑の景色はどこか懐かしく安らぎを覚えます。1999年『日本の棚田百選』にも選ばれました。しかし、今は過疎化と相次ぐ離農で耕作放棄地が目立ち、田んぼは畑に切り替わり棚田の風情は過去のものとなろうとしています。この日光棚田で僅かに残った数枚の田んぼで唯一米作りに取り組んでいるのが、野口修さんです。年齢は87歳、農業の経験も無ければ地主でもありません。 野口さんは、2016年広島から坂本町に単身移住、79歳の時でした。数年後日光棚田に出会います。それは素人目線の安易な発想だったかもしれません。廃れていく棚田に想いを募らせ景観を維持できないかと…、野口さんは2020年元米農家の田んぼを借りて米作りを始めます。春は田起こし、苗ができれば田植え、収穫の秋まで水の管理や田の草取り、厄介なシカの防除に至るまで片時も目が離せません。野口さんは苦労をものともせず、四度目の秋を迎えることができました。 野口さんは収穫の喜びとは別に、新たな目標に向かって歩き出していました。本人曰く“僧侶”になると、坂本町へ移住を世話してくれたお寺の住職の力になければと話します。住職の体調を案じた末の決断でした。僧侶の資格を取るため、野口さんはこれまで通信教育でお寺の宗派に関する作法やお経を学んできました。最終課程は京都、得度(とくど)習礼(しゅらい)と呼ばれる修行に入ります。 80歳を目前に単身移住。棚田の景観を守ろうと挑む米作り。そして、今度は僧侶になろうと一念発起。野口さんは、鮎帰の里に新しい風を起こそうとする革命児なのかも!? 何が自身をそうさせるのか!?世の中を憂い立ち上がった青春期に答えは有るようです。 荊(いばら)の道を怯まず自らを進化させ続ける野口さんは間もなく米寿。人生100年時代を迎え、余生を謳歌する今はまだ旅の途中かも知れません。番組では、自らの信念と向き合う野口さんが何を求め何処へ向かおうとしているのか、終の棲み家に選んだ里の日々を追います。

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