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これまでの放送内容

2012年5月19日(土)

開店!!居酒屋診療所 店長は町のお医者さん

診療所の2階が居酒屋に!?地域密着医療を志す青年医師が目指すのは・・・

宮崎県の北部、延岡市。人口の約3割が65歳以上と高齢化がすすみ、公立病院で医師の数が足りず休診科が出るなど深刻な医師不足問題も抱えている。そんな街に昨年誕生した「大貫診療所」。院長で唯一の医師、榎本雄介さんは「街を元気に。住む人を幸せに」という目標の元、医療以外の面でも地域活性化のために駆け回る日々。その活動の一つが、診療所の2階で月一回開催する「診療所居酒屋」。院長から店長へと変身し、地域住民との交流の場として一年半続けている。「徹底した地域密着医療」を目指す青年医師の姿を追った。

出演者:【ナレーション】 佐々木六華(テレビ宮崎アナウンサー)

制作局テレビ宮崎(UMK)

2012年5月13日(日)

妹たちの“風”になりたい~家族の絆で走る公務員ランナー~

障害を持つ2人の妹たちのために走ることで希望を与えたいという熊本県球磨村役場に勤める公務員ランナー地下翔太さんと家族の物語です。

熊本県球磨郡球磨村役場に勤める地下翔太さんは、上武大学4年生だった2011年正月、箱根駅伝で復路の10区アンカーを走った経験を持つ公務員ランナー。就職後は、勤め先の球磨村役場のユニフォームで各種大会にエントリー、走ることで生まれ育った球磨村をアピールしている。とにかく走ることが大好きだという地下さんだが、ただ単に好きという理由だけで走っているわけではない。家族、中でも21歳と18歳の2人の妹たちの存在が地下さんの走りの原動力になっている。地下さんの2人の妹は突然歩くことができなくなる難病に幼小の頃かかり、現在は二人とも自宅から遠く離れた熊本市内の障害者施設で車いすでの生活を送っている。歩くこと、走ることができない2人の妹たちに自分の走りを見せることで勇気と希望を与えたいと思っている。そんな兄の気持ちを妹たちも十分理解し、優しいお兄ちゃんの気持ちに応えようと一生懸命生きている。妹たちにとって兄・翔太さんは憧れであり大きな目標になっている。そんな時熊本市の政令市移行記念の第1回熊本城マラソンが開催された。地下さんは、テレビの前で応援する2人の妹たちの前で公約通り、優勝を飾った。この優勝は、車イスの2人の妹たちに大きな刺激を与えた。妹たちは兄 翔太さんにサプラズプレゼントを贈ることにした。家族の絆を走るエネルギーに、熊本の公務員ランナー地下翔太さんと家族の物語です。

出演者:地下翔太さん(球磨村役場総務課) 地下真奈美さん(21) 地下美咲さん(18) 母・地下ナルミさん 【ナレータ―】 中原理菜(テレビ熊本アナウンサー)

制作局テレビ熊本(TKU)

2012年5月6日(日)

俺たちイクメン!~船引ビッグ・ダディーズ~

宮崎市清武町にある船引保育園。自然豊かな環境に恵まれたこの保育園には、子育てのパパさんサークルがある。その名も「船引ビッグ・ダディーズ」

宮崎市清武町にある船引保育園。自然豊かな環境に恵まれたこの保育園には、子育てのパパさんサークルがある。その名も「船引ビッグ・ダディーズ」父親の子育て参加というと仕事との両立など難しく考えがちですが、彼らの子育てはいたってシンプル!ただ子どもと一緒に遊び楽しい思い出をいっぱい作ること。子育てを楽しむことで人生を楽しんでいるオヤジ達の1年を追いました。

出演者:船引ビッグダディーズ

制作局テレビ宮崎(UMK)

2012年4月29日(日)

田んぼに学ぶ~元警察官の生きる道~

長崎市西海町に、合鴨農法に取り組む一人の男がいる。実は、彼、以前は警察官でした。定年を前に退職し、見つけた理想の生き方とは。

長崎市西海町で無農薬にこだわった米づくりに励む男がいます。甲田哲美さん。実は、彼、以前の職業は警察官。定年を前に退職し、農業へ転身しました。美味しい米を作る立役者は、合鴨たち。合鴨農法で、安全・安心な米を作ることにこだわっています。農業を始めて6年目。鍬を持つこともほとんど無かった甲田さんが、どうして農業の道へ進んだのか・・。これまでの生き方に疑問を持つようになったからです。組織に身を置くことへの価値が見出せなくなり、自分を見つめ直す時間を求めた結果の選択でした。地域の人々との交流や、食のありかたなど、甲田さんが見つけた理想の生き方を描きます。

出演者:甲田哲美さん 【ナレーター】 吉井誠(テレビ長崎アナウンサー)

制作局テレビ長崎(KTN)

2012年4月22日(日)

自宅で死ぬということ~在宅ホスピス医~

▽あなたの“最期”はどこで?9割近くの人が自宅ではなく、病院で亡くなる現在。「病院で死ぬのではなく自宅で生きる」。支える医師とその家族に密着しました。

▽あなたの“最期”はどこで? 1950年代頃まで日本人の8割以上が自宅で人生の最期を迎えていました。ところが現代は9割近くの人が自宅ではなく、病院で亡くなっています。▽福岡市早良区の開業医、二ノ坂保喜さん。数百人の患者を抱え、患者の自宅を訪問する在宅医です。患者の多くがガンなどの重い病にかかっています。二ノ坂医師の心情は「病院で死ぬのではなく自宅で生きる」ということ。二ノ坂医師の活動と「死ぬまで自宅で生きる」人とその家族に密着しました。▽また在宅での医療を支えているのが、訪問看護師。福岡市西区の訪問看護ステーション『はな』には10人のベテラン看護師が24時間体制で患者に対応しています。患者の家族に適切な介護のアドバイスをする訪問看護師も紹介します。二ノ坂医師を中心に、在宅介護の横の繋がりがつくられています。在宅医の一番の問題は、医師と看護師の数が全く不足していること。これを補うため、在宅医の間で一緒に患者を診るなどの新しい試みも始まりました。訪問看護ステーション『はな』では、一般病院の看護師を訪問看護の現場で研修させる活動を続けています。▽在宅医療にかかわる医師、看護師、患者、家族を見つめます。

制作局テレビ西日本(TNC)

次回放送内容

OA:2024.11.24(日)

八代市坂本町の鮎帰(あゆがえり)地区にある日光(にちこう)棚田。標高420メートル、里山に囲まれ階段状に連なる田畑の景色はどこか懐かしく安らぎを覚えます。1999年『日本の棚田百選』にも選ばれました。しかし、今は過疎化と相次ぐ離農で耕作放棄地が目立ち、田んぼは畑に切り替わり棚田の風情は過去のものとなろうとしています。この日光棚田で僅かに残った数枚の田んぼで唯一米作りに取り組んでいるのが、野口修さんです。年齢は87歳、農業の経験も無ければ地主でもありません。 野口さんは、2016年広島から坂本町に単身移住、79歳の時でした。数年後日光棚田に出会います。それは素人目線の安易な発想だったかもしれません。廃れていく棚田に想いを募らせ景観を維持できないかと…、野口さんは2020年元米農家の田んぼを借りて米作りを始めます。春は田起こし、苗ができれば田植え、収穫の秋まで水の管理や田の草取り、厄介なシカの防除に至るまで片時も目が離せません。野口さんは苦労をものともせず、四度目の秋を迎えることができました。 野口さんは収穫の喜びとは別に、新たな目標に向かって歩き出していました。本人曰く“僧侶”になると、坂本町へ移住を世話してくれたお寺の住職の力になければと話します。住職の体調を案じた末の決断でした。僧侶の資格を取るため、野口さんはこれまで通信教育でお寺の宗派に関する作法やお経を学んできました。最終課程は京都、得度(とくど)習礼(しゅらい)と呼ばれる修行に入ります。 80歳を目前に単身移住。棚田の景観を守ろうと挑む米作り。そして、今度は僧侶になろうと一念発起。野口さんは、鮎帰の里に新しい風を起こそうとする革命児なのかも!? 何が自身をそうさせるのか!?世の中を憂い立ち上がった青春期に答えは有るようです。 荊(いばら)の道を怯まず自らを進化させ続ける野口さんは間もなく米寿。人生100年時代を迎え、余生を謳歌する今はまだ旅の途中かも知れません。番組では、自らの信念と向き合う野口さんが何を求め何処へ向かおうとしているのか、終の棲み家に選んだ里の日々を追います。

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