これまでの放送内容 -テレビ熊本(TKU)-
2024年8月18日(日)
空のおもかげ~特攻隊員と少女たち~
特攻隊員と少女たちが写る1枚の写真。写真の少女たちが78年前の記憶をたどり、特攻隊員の遺族と対面することで、平和について改めて考えるドキュメンタリー。
2022年5月、熊本市在住の丸山順子さんと中野喜重子さんは、熊本県菊池市を訪れていた。理由は、終戦前の記憶を呼び起こすため。
当時、10歳と13歳の彼女たちは、菊池市にあった特攻隊の宿舎へ慰問に行き、踊りを披露したという。丸山さんは、その時の写真をずっと保管していた。陸軍の飛行服を着た若い男性たちと一緒に写った写真で、慰問の記念にと撮影されたものだ。長年、ふと思い出したときに眺めてはいたが、ウクライナ・ロシア情勢が悪化するにつれ、より鮮明に当時の日本の戦況を思い出すようになる。そして、自分が高齢になるなか、写真に写る特攻隊員がどんな人たちなのか知りたいと思うようになり、遺族や関係者を探すことに。
2022年11月、写真に写る特攻隊員の遺族が判明した。遺族は、特攻隊員を見送った少女たちの思いを知り、熊本県の菊池飛行場跡を訪れる。そこで待っていたのは…。
戦争体験者の直接証言を聞ける機会は「あと数年」。当時の写真を通して、戦争の実相と悲惨さを伝え、平和な世界を後世につなげたいと願うかつての少女たちの思いに迫る。
出演者:丸山順子 中野喜重子 村上正一
制作局:テレビ熊本(TKU)
2024年8月4日(日)
希望をつむぐ~川原征一郎 喜びも悲しみも~
希望をつむぐ~川原征一郎 喜びも悲しみも~
コロナ禍で4年ぶりに開催された熊本県原爆死没者慰霊式典。「広島・長崎を最後にせんと行かん」と壇上でそう訴えたのは天草市に住む川原征一郎さん82歳です。自身も長崎原爆の被爆者です。3歳の時の被爆が自身の生き方や価値観に影響を及ぼしたのかも知れません。川原さんは命という言葉に敏感です。その想いを趣味の折り紙(動物)で表現し、地域の人々に命の尊さや平和の大切さを伝えています。折り紙のレパートリーは今や2000を超え、市民講座や小学校などにも講師として招かれ“折り紙先生”とも呼ばれています。折り紙を本格的に始めたのは、勤めていた水族館時代でした。見学に訪れた子ども達に折り紙を使って海の生き物(イルカ)の話をしたところ興味を持ってもらったのがきっかけでした。川原さんは海の生き物から気付かされたものが多く、特にイルカとは触れ合う日常の中で命との向き合い方を学びました。数奇な被爆体験がそうさせたのかも知れません。川原さんは還暦を過ぎた或る時、不思議な夢を見ます。写真の中でしか知らない父親が夢枕に現れたというのです。命の繋がりを実感した不思議な体験だったと述懐します。番組は、被爆した3歳のあの日から82歳になった今も歩み続ける川原さんの命の軌跡と希望の日々を描きます。
出演者:川原征一郎 徳山節子(川原さんの姉)
制作局:テレビ熊本(TKU)
2024年2月20日(火)
希望をつむぐ~川原征一郎 喜びも悲しみも~
希望をつむぐ~川原征一郎 喜びも悲しみも~
コロナ禍で4年ぶりに開催された熊本県原爆死没者慰霊式典。「広島・長崎を最後にせんと行かん」と壇上でそう訴えたのは天草市に住む川原征一郎さん82歳です。自身も長崎原爆の被爆者です。3歳の時の被爆が自身の生き方や価値観に影響を及ぼしたのかも知れません。川原さんは命という言葉に敏感です。その想いを趣味の折り紙(動物)で表現し、地域の人々に命の尊さや平和の大切さを伝えています。折り紙のレパートリーは今や2000を超え、市民講座や小学校などにも講師として招かれ“折り紙先生”とも呼ばれています。折り紙を本格的に始めたのは、勤めていた水族館時代でした。見学に訪れた子ども達に折り紙を使って海の生き物(イルカ)の話をしたところ興味を持ってもらったのがきっかけでした。川原さんは海の生き物から気付かされたものが多く、特にイルカとは触れ合う日常の中で命との向き合い方を学びました。数奇な被爆体験がそうさせたのかも知れません。川原さんは還暦を過ぎた或る時、不思議な夢を見ます。写真の中でしか知らない父親が夢枕に現れたというのです。命の繋がりを実感した不思議な体験だったと述懐します。番組は、被爆した3歳のあの日から82歳になった今も歩み続ける川原さんの命の軌跡と希望の日々を描きます。
出演者:川原征一郎 徳山節子(川原さんの姉)
制作局:テレビ熊本(TKU)
2023年11月14日(火)
“隔離の壁”を越えた白球~菊池恵楓園 野球チーム秘史~
熊本県合志市にある国立療養所菊池恵楓園ではかつて野球が盛んだった。ハンセン病患者たちがいわれなき差別の中で見出した希望と情熱の日々を見つめる。
菊池恵楓園所者自治会の太田明副会長は今年1月、園内にかつて存在した野球チーム『オール恵楓』のユニホームを復刻した。それは園の憧れの的だった若者たちが着ていたものだった。園内で野球が盛んになったのは1930年で、居住区別の3チームと職員チームによる対抗戦が始まった。国による強制隔離が進み、いわゆる「患者狩り」に拍車がかかった結果、比較的症状の軽い高校生やノンプロ選手が入所したからといわれている。園内選抜チーム『オール恵楓』は1952(昭和27)年9月、トラックで初の県外遠征試合に出発。無断外出は厳しく処分されるおそれがあったが、患者たちは「園外で試合がしたい」と秘かに鹿児島県鹿屋市にある国立療養所星塚敬愛園の自治会と手紙をやり取りして、試合をする段取りをつけていた。トラックの荷台に布団を敷いて揺れに耐え、途中の道で警官に見つかった。運転手が「らい患者を輸送中だ」と偽ったところ、警官は「この道を通ったらいかん。山の中を通って行け」と蔑んだという。一行は約12時間かけて、星塚敬愛園に到着。1週間滞在して4試合を行い、2勝2敗だった。メンバーで一番若く補欠だった田中照幸さんは当時を懐かしく振り返った。一方、入所者自治会の太田明副会長は『オール恵楓』鹿児島発遠征の1952年、小学2年生のときに入所し、大いに野球を楽しんだ。そして、岡山県の国立療養所長島愛生園にかつて存在した『邑久高校 新良田教室』に進学し、野球部に所属。1960(昭和35)年夏、野球部は「俺達には修学旅行がないから、高校時代の思い出をつくろう」と園に「里帰りする」と偽って外出し、東日本5カ所の療養所を列車で巡る遠征試合を敢行した。園からの帰還命令を無視した大冒険に、太田さんは「あんな痛快で、開放感を味わったことはない」と振り返る。太田さんは恵楓園で野球が盛んだったことをを知ってもらおうと、恵楓園の一部施設跡地に2021年に開校した合志市立合志楓の森中学校野球部の部員と『オール恵楓』復刻ユニホームを着て、キャッチボールを楽しんだ。番組では、ハンセン病患者たちがいわれなき差別の中で見出した希望と情熱の日々を見つめる。
制作局:テレビ熊本(TKU)
2023年6月27日(火)
空のおもかげ~特攻隊員と少女たち~
特攻隊員と少女たちが写る1枚の写真。写真の少女たちが78年前の記憶をたどり、特攻隊員の遺族と対面することで、平和について改めて考えるドキュメンタリー。
2022年5月、熊本市在住の丸山順子さんと中野喜重子さんは、熊本県菊池市を訪れていた。理由は、終戦前の記憶を呼び起こすため。
当時、10歳と13歳の彼女たちは、菊池市にあった特攻隊の宿舎へ慰問に行き、踊りを披露したという。丸山さんは、その時の写真をずっと保管していた。陸軍の飛行服を着た若い男性たちと一緒に写った写真で、慰問の記念にと撮影されたものだ。長年、ふと思い出したときに眺めてはいたが、ウクライナ・ロシア情勢が悪化するにつれ、より鮮明に当時の日本の戦況を思い出すようになる。そして、自分が高齢になるなか、写真に写る特攻隊員がどんな人たちなのか知りたいと思うようになり、遺族や関係者を探すことに。
2022年11月、写真に写る特攻隊員の遺族が判明した。遺族は、特攻隊員を見送った少女たちの思いを知り、熊本県の菊池飛行場跡を訪れる。そこで待っていたのは…。
戦争体験者の直接証言を聞ける機会は「あと数年」。当時の写真を通して、戦争の実相と悲惨さを伝え、平和な世界を後世につなげたいと願うかつての少女たちの思いに迫る。
出演者:丸山順子 中野喜重子 村上正一
制作局:テレビ熊本(TKU)