これまでの放送内容
2012年3月11日(日)
走れ!夢に向かって ~車いすバスケットボールでつながる絆~
攻守の際、車イスで激しくぶつかりあうことから「コート上の格闘技」とも言われる「車いすバスケットボール」。
鹿児島にその車いすバスケットボールに真剣に取り組む人々がいる。
チーム名は「薩摩ぼっけもん」「ぼっけもん」とは鹿児島の方言で「やんちゃ坊主」という意味。9年前のチーム創立当初なかなか試合で勝つことができなかった薩摩ぼっけもん。地道に練習を積み重ね、少しずつ勝利をつかんできた。
チームの最終目標は東京で開かれる日本車椅子バスケットボール選手権大会への出場。様々な理由でハンディキャップを負いながらも立ち上がり、車いすバスケと出会った選手たち。夢を追い続けるチーム、彼らの車いすバスケットボールにかける思い、チームの絆、そのまわりで彼らを支える人々の姿を追った。
制作局:鹿児島テレビ放送(KTS)
2012年3月4日(日)
ネバーギブアップ ~孤独なレーサーの復活劇~
鹿児島出身のプロバイクレーサー・上福元学(かみふくもと・まなぶ)。
17歳でプロデビューを果たし、将来が期待されながら練習中の事故で一度引退。
鹿児島に戻りサラリーマン生活を送るも再びサーキットに舞い戻ることを決意し、15年ぶりに現役復帰した。2010年、サウスチャレンジカップ選手権シリーズに参戦し年間チャンピオンを目指す戦いが始まった。
しかし、復帰したものの個人で立ち上げたいわゆるプライベーターとしての参戦。大手メーカーチームと違ってレース資金やパーツは十分とは言えず、レーサーとしてはもちろん、メカニックやスポンサー活動も全てひとりで行うという負担を強いられている。
番組では、年間チャンピオンに挑む彼の軌跡を追いかけ、チャンピオンに輝く瞬間までを記録。夢を諦めない孤独なライダーに迫るとともに、さらに次の目標に向かって邁進し続ける姿を伝える。
制作局:鹿児島テレビ放送(KTS)
2012年2月26日(日)
犬のシアワセ ~捨てられた犬の物語~
長崎市動物管理センターには、飼い主から持ち込まれたり、迷子になった犬が収容されています。
ここに数奇な運命をたどった一匹の犬がいました。長崎市内をさまよっていたところを捕獲された年老いたゴールデンレトリバー。誰かが迎えに来てくれるのをずっと待っていました。収容から1ヵ月半後―、待ちに待った日がやってきました。「家族として迎えたい」という人が現れたのです。
しかし、犬の耳には「ある印」が残されているのが見つかります。出会いと別れを繰り返し、この犬が行き着いた先とは…。
制作局:テレビ長崎(KTN)
2012年2月19日(日)
半径5メートルの広場 福岡ストリートミュージシャン事情
毎週土曜日。福岡市天神。夜8時を過ぎる頃になると西鉄福岡駅横の路上にはどこからともなくギターケースを抱えた若者たちが集まってきます。
やがて路上は、様々なジャンルの音楽で溢れかえります。およそ300メートルの通りは、屋外ライブのステージへと変化するのです。道行く人は、気になる曲が流れて来れば、どこでも立ち止まることができます。いくつもの小さな広場がそこに生れます。半径5メートルの広場です。
「いま何が人にとって本当に豊かなのか?と問いかけたい」福岡出身の俳優でミュージシャンの石橋凌さん。55歳の今、福岡からソロとして音楽活動を再開しました。彼にとっての福岡は?
いったんは断念した音楽の道に、路上から再起をかける一人の若者。そこには14歳で亡くなった後輩との約束がありました。一方、10年前に福岡の路上からプロを目指し東京へ向かった青年はいま?夢をかける真剣勝負の場所としての路上。人とつながるコミュニケーションの空間としての路上。そして自分の居場所としての路上。時代とともに変わる音楽環境のなか、なぜ若者は路上へ向かうのでしょうか?多くのアーティストを産んだ街・福岡のストリートミュージシャンたちを追いかけました。
制作局:テレビ西日本(TNC)
2012年2月12日(日)
家族の絆でアパレル王へ
佐賀市唐人町に本社を置く県トップクラスアパレル企業「GATHER」の経営者、石丸良弘(53)。
アメリカ人の父と、日本人の母の息子として生まれた彼は、今まで父の顔は一度も見たことがない。見た目と名前の違うコンプレックスが、彼の思春期の心につきまとい、中学3年のとき最愛の母を亡くした石丸は、その後ろ盾を亡くし生活は荒れ放題、悪の道に入り込んでしまう。そして20歳の時、些細なことから暴力事件を起こし実刑を求刑され拘置所に勾置されてしまった。
そんな荒れた石丸の人生を大きく変えるきっかけが、将来妻になる和子の母の一言だった。母は刑務所に面会に出向き、「絶対に助けてあげる」との懸命の励ましだった。初めてかけられた他人からの優しい言葉。この言葉で石丸は、「人生を徹底的にやり直す」覚悟を決めた。これをきっかけに地元佐賀への感謝と、恩返しを深く心に誓った石丸は、その年に和子と結婚。ダンプの運転手として一心不乱に働き、一家を支えた。2年後に長女が誕生。同時期、佐賀北高校の通信制課程で学び高校卒業の単位も獲得した。生活は厳しかったが、夢があった。26歳で長男が誕生。5年間で全ての借金を返済した。
28歳になった石丸は、共にアパレル経験のない妻和子とふたりで、佐賀市唐人町にわずか8坪の店舗「GATHER」1号店を設立。当初売り上げゼロの状態から、夫婦ふたりの不眠不休の努力が実り、平成3年には初の本社ビルを建設した。しかし4年前、妻との悲しい別れが待っていた。拡大を続ける「GATHER」の秘訣。それは家族と社員の絆を大切にし、故郷への感謝を忘れない経営姿勢。石丸は今でも妻と二人でオープンさせた、佐賀市唐人町の本社を大切にしている。「GATHER」25周年を迎えた今、石丸がやりたいこと。それは夢を失い目的を見失って少年刑務所などに入所している青年たちに、自分の生き様を語ることだ。「こんな俺でもここまでやれた。」だから「『勇気』、『希望』、『夢』を持って再出発をしてもらいたい!」と。「今からでも遅くない!」と。
石丸のギャザーグループは、今年から世界企業を目指す。
制作局:サガテレビ(STS)