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これまでの放送内容

2011年4月17日(日)

海と生きる ~博多湾漁師の一年~

福岡市の姪浜漁港。博多湾でも町の中心部に位置するこの漁港はすぐ後ろに大きな観覧車、少し先には福岡ドームなどが見える都会の港。 そこで25年のキャリアを誇る中堅漁師が野上千尋さん(40)。 博多湾の内海、外海両方にでて活きのいい魚をとる彼の1年を追う。

正月の玉せせり神事で1年が始まる姪浜漁港。
威勢のいい掛け声が響いた後は博多湾での漁が始まる。
サワラやスズキをとり、5月からは解禁になった鯛をメインで狙う。
夏には地引網や魚すくいなどのイベントを漁師仲間たちと企画、さらには漁港の朝市で獲れたての魚を家族で販売するなど精力的に活動する野口さん。そして一年も終わりに近づいたころ、彼は自分が漁師になった15歳になった長男を漁に連れていくことにする。

そこで語られた親子二人の漁、そして地元姪浜に対する想いとは?

年明けにおこなわれた玉せせり神事までの丸1年、姪浜漁師・野上千尋さんの姿を追いかけます。

制作局テレビ西日本(TNC)

2011年4月10日(日)

オキナワ映画

「沖縄で新たに誕生した映画「ナッシングパーツ71」。監督は、名プロデューサーとして知られる仙頭武則。

彼は日本映画の話題作次々とプロデュースし、カンヌ映画祭で連続受賞をはじめとする12カ国の国際映画祭等で98もの賞を受賞!まさに日本を代表する国際的プロデューサーである。その仙頭武則氏が、3年前に沖縄移住。そして、2010年夏、人生初となる「映画監督」に挑戦したのだ。

完成した映画には、いわゆる「沖縄問題」が満載。軍用地を売る男と、アメリカ人を殺してしまった男が出会い、掘り返した日本兵の頭蓋骨を抱えて、オキナワを彷徨うロードムービー。ディープすぎる「オキナワ」に仙頭監督は切り込んでいったのである。過激なまでに情熱を傾け、「熱病」にうかされるように灼熱の太陽の下、仙頭監督は、2010年の「オキナワ」を撮った!はたして仙頭監督を突き動かしていた「もの」とは、何なのか?

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

2011年4月3日(日)

ご当地グルメの作り方 ~青春の味“直方焼きスパ”~

明治時代から昭和30年代にかけて石炭産業で栄えた福岡県直方市。 ここ数年は、郊外への大型商業施設の進出などが相次ぎ、駅前周辺の商店街は元気をなくしていました。

90年代まで、駅前商店街にあった喫茶店「夕やけ」。
学校帰りの学生たちが、「夢を語り」、「恋を語り」…青春を過ごした場所。
そこには、直方に当時住んでいた人、青春を過ごした人なら1度は食べたことがあるかもしれない看板メニューがありました。

それが「焼きスパ」。タマネギ、キャベツ、豚肉といった焼きそばの具に、パスタとトマトケチャップベースのソースを絡め、炒めたものです。
マスターが部活帰りの腹ペコの学生のためにと、作り始めたのがきっかけです。新たに材料をそろえる必要もなく、簡単に作れて、またお腹いっぱいになることから、多いときには一日に100食も出ていました。直方で生まれ育ち、学生時代に「夕やけ」に通っていた舟越理恵さん。
彼女が中心となり、ご当地グルメで町おこしをするプロジェクトが立ち上がりました。

今や一大ブームとなり、町おこしの起爆剤と期待される「B級ご当地グルメ」。
番組では、思い出の味の再現、イベントへの出店、直方市内での「直方焼きスパ」のデビューまで、舟越理恵さんと市民ボランティアによる取り組みを追います。

制作局テレビ西日本(TNC)

2011年3月27日(日)

剣の道で人をつくる ~九学学院剣道部監督 米田敏郎の挑戦~

全国でも強豪として名の通った九州学院剣道部。2009年、全日本剣道選手権大会で日本一に輝いた内村良一(警視庁)さんも九州学院出身。

剣道王国・熊本で絶対的な王者として君臨し、選抜やインターハイ、玉竜旗など、全国大会でも数多くのタイトルを獲得してきた九州学院剣道部。その九学剣道部を毎年強豪に仕立て上げるのが米田敏郎監督。自身も九州学院出身で全日本剣道選手権大会の出場経験を持つ監督である。しかし去年9月、3年生が引退しスタートした新チーム。米田監督は新キャプテンを決め切れずにいた。

米田監督いわく『史上最弱のメンバー』。これまでの選手には伝わってきた言葉が、今年は通じない。技術面の教えもなかなか浸透しない。「声を出せ」「勝ちたいという気持ちを出せ」。まるで初心者にかけるような言葉が九学の剣道場に響いていた。これまで、どんなに弱いと言われるチームでも、全国に通用するチームに育ててきた米田監督。そんな名将が一人頭を抱えていた。斉藤新キャプテンのもとスタートを切った『弱小・九学剣道部』。彼らがどのように成長するのか、また米田監督がどんな風に悩み、工夫し、どのようなチームに作り上げるのか。日本一になるために、人格を育て、真の強さを追求する人間・米田敏郎。選手と共に挑むこれまでで最も難しい『日本一』への挑戦を半年間追った。

制作局テレビ熊本(TKU)

2011年3月20日(日)

なくすな町の映画館 ~フィルムに魅せられた男~

大分県日田市にわずか63席の小さな映画館「日田シネマテーク・リベルテ」がある。

シネマコンプレックスと呼ばれる複数のスクリーンを持つ大型映画館が主流となっている中、人口10万人以下の市では個人で映画館を経営することは不可能だと言われている。日田市も例外ではなく、この映画館も過去に2度閉館した事があり、今もその存続が危ぶまれている。

2009年6月、この映画館の復活が一人の若者に託された。原茂樹さん33歳。地元日田出身だが映画に関しては全くの素人。彼はいったいどのようにして、ミニシアターを復活させ軌道に乗せようというのか。日田を愛し、市内唯一となったこの映画館を文化発信基地とするべく奔走する原さんの熱い思いを追った。

制作局テレビ宮崎(UMK)

次回放送内容

OA:2024.08.04(日)

 コロナ禍で4年ぶりに開催された熊本県原爆死没者慰霊式典。「広島・長崎を最後にせんと行かん」と壇上でそう訴えたのは天草市に住む川原征一郎さん82歳です。自身も長崎原爆の被爆者です。3歳の時の被爆が自身の生き方や価値観に影響を及ぼしたのかも知れません。川原さんは命という言葉に敏感です。その想いを趣味の折り紙(動物)で表現し、地域の人々に命の尊さや平和の大切さを伝えています。折り紙のレパートリーは今や2000を超え、市民講座や小学校などにも講師として招かれ“折り紙先生”とも呼ばれています。折り紙を本格的に始めたのは、勤めていた水族館時代でした。見学に訪れた子ども達に折り紙を使って海の生き物(イルカ)の話をしたところ興味を持ってもらったのがきっかけでした。川原さんは海の生き物から気付かされたものが多く、特にイルカとは触れ合う日常の中で命との向き合い方を学びました。数奇な被爆体験がそうさせたのかも知れません。川原さんは還暦を過ぎた或る時、不思議な夢を見ます。写真の中でしか知らない父親が夢枕に現れたというのです。命の繋がりを実感した不思議な体験だったと述懐します。番組は、被爆した3歳のあの日から82歳になった今も歩み続ける川原さんの命の軌跡と希望の日々を描きます。

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