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これまでの放送内容

2011年5月22日(日)

生まれ島に咲きたくて

沖縄を代表する人気シンガー、池田卓。彼の生まれ島は、陸の孤島と呼ばれる西表島船浮。10周年の節目に島に帰ることを決断。生まれ島のために生きていく一人の青年の物語。

沖縄を代表する人気シンガー、池田卓。2000年に『島の人よ』でデビューし、生まれ島への想いを歌い続けて10年。その節目に島へ帰る決断をする。彼の生まれ島は、陸の孤島と呼ばれる西表島船浮。人口は、およそ40人。イリオモテヤマネコが捕獲された場所として知られ、捕獲した人物は、池田卓の父、池田米蔵。父は、息子に教えなければならないことがたくさんあると言う。そして、池田卓自身で企画し、4年前にスタートした『船浮音祭り』。去年、700人もの観客が船浮にやってきたことで、彼は島から歌を届けられる可能性を感じ始める。生まれ島のために生きていく一人の青年の物語。

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

2011年5月15日(日)

昭和の町のおばちゃんパワー

毎年30万人を超す観光客が訪れる大分県豊後高田市の昭和の町。 わずか400メートルの道の両側に40ものレトロな店が軒を並べ、土蔵造りの旧農業倉庫にはおもちゃ館や絵本美術館などがある。ミゼットやボンネットバスが走り、町を巡るだけで昭和30年代にタイムスリップできる。

以前は国東半島の仏の里として知られていた町に「昭和の町」が誕生してちょうど10年。行政と商工業者、そして住民が協力して、かつての賑わいを取り戻した豊後高田市。その活性化の源を、生き生きと働く女性パワーを通して紹介する。

制作局テレビ大分(TOS)

2011年5月8日(日)

みちしるべ ~口蹄疫 牛と刻む足跡~

約30万頭の家畜が処分されるという未曾有の被害を受けた宮崎県。あの口蹄疫から1年…。番組では、口蹄疫で家畜を処分した畜産農家に密着し、復興・再生へと動きだす夫婦の歩みを追いました。

宮崎県宮崎市佐土原町で酪農を営む夫婦は、口蹄疫で全ての乳牛を失いました。再開か…断念か…心の決心がつかないまま、毎日、牛の姿が消えた牛舎に足を運ぶ2人。過ぎ行く月日の中で牛舎の裏にある子牛の運動場も野菜畑に姿を変えていきました。後継者がおらず年齢という壁がつきつけられる中で描かれる心の葛藤や人間模様。番組では夫婦2人の歩みと決断までの一部始終に迫りました。口蹄疫は去年8月に終息し、宮崎県の街並みは日常に戻りました。しかし、経営を再開した農家は半数にとどまっているのが現状です。口蹄疫の復興はまだ始まったばかりです。

制作局テレビ宮崎(UMK)

2011年5月1日(日)

はるか時を越えたロマン

約1億3000万年前。恐竜が生きていた時代。

1990年、その証拠となる「恐竜の歯の化石」が福岡県の宮若市で見つかりました。その出来ごとに衝撃を受けた黒河さんは、後に恐竜の足跡化石という大発見をしたのです。黒河さんは飯塚市で生まれ育ちました。自宅のすぐ裏にある石垣に使われている石は、全て木の化石です。化石は博物館だけにあるものではなく、本当に身近にあるものなのです。

黒河さんの本業は歯科技工士。平日は忙しい日々が続き帰りが深夜になることもしばしばです。休日になると、各地へ化石の採集に出かけます。自宅に化石収蔵庫まで作ってしまうほどの熱の入れようです。

ある日、ブログを通して知り合った仲間たちと山に化石採集へ向かいました。その土地は、土砂崩れでたくさんの石が山から落ちてきた場所です。2か月前の調査では貴重な化石を確認しています。しかし、探しても探してもその石が見当たりません。土砂崩れで荒れた道を整備する中でその石の重要性に気づかず、持ち出されてしまったようなのです。実は化石が置かれている現状は厳しく、埋蔵文化財とは違い、工事や開拓の現場から貴重な化石が見つかったとしても、それをストップさせることができないのです。日本中で、人の目に触れないまま、たくさんの化石が失われていってるのです。

雪が舞う中、黒河さんは船の上にいました。向かった先は熊本県天草市御所浦。恐竜の化石をはじめ貴重な化石がたくさん出ている「恐竜の島」と呼ばれる地です。
この島の一番の魅力は島中で化石に触れることができること。中には公園に化石を集め展示されていたり、道路工事の途中に見つかったアンモナイトの化石を破壊してしまうことなくその地に保存されていたり、さらに船で渡った島では恐竜の足跡が見つかり、発見当時の様子が再現されています。誰でも化石採集を体験できる場所まで準備されているのです。博物館すらない筑豊地区と比べて、ここは夢のような島でした。御所浦から戻るとすぐに仲間たちで集まりました。夢のような島でのできごとをはやくみんなに伝えたかったのです。

御所浦での体験が、黒河さんの夢をさらに大きくさせました。御所浦に負けないくらい、筑豊地区も御所浦に負けない程の化石産地です。失われていくことをなんとか防いで行かなくてはいけません。そのためにも、まずは多くの人に興味を持ってもらうことが第一歩だと黒河さんは考えています。さらには化石に触れることが、自然を愛する気持ちや郷土を愛する気持ちにつながって欲しいと思っています。将来、筑豊地区に博物館が出来れば、それまで集めた化石を寄贈して沢山の人に見てもらいたい。黒河さんはそう思っています。

制作局テレビ西日本(TNC)

2011年4月24日(日)

九州新幹線×銀河鉄道999 夢の駅弁 開発の奮闘記

今年3月、ついに九州新幹線が全線開業しました。開業にあわせ、40種類以上の駅弁が新登場した駅弁業界はまさに「戦国時代」。そんな熾烈な競争に今回、北九州の駅弁業者が人気マンガ「銀河鉄道999」とのコラボで闘いを挑みました。

作者の松本零士さんも参加したお弁当開発は、松本さんが好きだという「ある食材」をめぐり、会社内を二分する大問題へと発展してしまいます。コストを無視してでも理想のお弁当を目指す経営者と、現場の対立。その結果、一体どんなお弁当が完成したのでしょうか?
夢のコラボ弁当・開発の奮闘記です。

制作局テレビ西日本(TNC)

次回放送内容

OA:2024.08.04(日)

 コロナ禍で4年ぶりに開催された熊本県原爆死没者慰霊式典。「広島・長崎を最後にせんと行かん」と壇上でそう訴えたのは天草市に住む川原征一郎さん82歳です。自身も長崎原爆の被爆者です。3歳の時の被爆が自身の生き方や価値観に影響を及ぼしたのかも知れません。川原さんは命という言葉に敏感です。その想いを趣味の折り紙(動物)で表現し、地域の人々に命の尊さや平和の大切さを伝えています。折り紙のレパートリーは今や2000を超え、市民講座や小学校などにも講師として招かれ“折り紙先生”とも呼ばれています。折り紙を本格的に始めたのは、勤めていた水族館時代でした。見学に訪れた子ども達に折り紙を使って海の生き物(イルカ)の話をしたところ興味を持ってもらったのがきっかけでした。川原さんは海の生き物から気付かされたものが多く、特にイルカとは触れ合う日常の中で命との向き合い方を学びました。数奇な被爆体験がそうさせたのかも知れません。川原さんは還暦を過ぎた或る時、不思議な夢を見ます。写真の中でしか知らない父親が夢枕に現れたというのです。命の繋がりを実感した不思議な体験だったと述懐します。番組は、被爆した3歳のあの日から82歳になった今も歩み続ける川原さんの命の軌跡と希望の日々を描きます。

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