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これまでの放送内容

2017年7月2日(日)

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旅立ち 島の美よう室

9年前、渡名喜島を訪れた一人の男が、島に美容室をつくり、毎月10日間だけ島に来て島民の髪を切るようになった…。おとぎ話のような、ある美容師と島人の交流を描く。

沖縄本島から北西に60キロ。人口400人足らずの小さな島、渡名喜島。9年前、一人の男が島を訪れた。男は美容師だった…。渡名喜島に髪を切る場所が無い事を知った彼は、島に美容室をつくり、毎月10日間だけ島に来て島民の髪を切るようになった。毎月パーマをかけるのを楽しみにしているおばあちゃん。まっ黒に日焼けした漁師のおじい。高校に進学するために島を離れていく中学生…。美容室には様々な島人たちがやってきて、髪を切ってもらう代わりに、何かを置いていく…。まるでおとぎ話のような、でも、ホントはごく当たり前の物語。しかし、9年間続いた「島の美よう室」に、最後の時がやってきた…。茨城県から、はるばる渡名喜島に通ってくる美容師の姿を通し、沖縄の縮図にも見える離島の暮らしを描く。

出演者:【ナレーション】 阿佐慶涼子(沖縄テレビアナウンサー)

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

2017年6月25日(日)

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うみたまごのたまご ~新人トレーナー奮闘記~

全国でも屈指の人気水族館「うみたまご」に2016年4月に入社した水族館スタッフのたまごたち。新人トレーナーの奮闘と成長そしてイルカショーまでの半年間を追いました

大分県大分市にある、全国でも屈指の人気水族館「大分マリーンパレス水族館うみたまご」。
うみたまごにも2016年、6人の水族館スタッフの卵たちが入社しました。
その中の一人、佐藤すみれさんは大分から遠く離れた宮城県出身。イルカトレーナーを志し、専門学校を卒業後、うみたまごへと入社しました。佐藤さんは中学3年生のときに東日本大震災を経験し、それをきっかけに「イルカトレーナー」に憧れを抱くようになります。“多くの人を笑顔にしたい”という思いを胸にうみたまごに入社。イルカショーへのデビューを目指します。
そんな新人トレーナーの奮闘と成長、そしてイルカショーデビューまでの半年間を追いました。

制作局テレビ大分(TOS)

2017年6月18日(日)

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かつお節 フランスへ~挑む若手職人~

国内消費が中心のかつお節。少子高齢化が進む中、日本一のかつお節の産地、鹿児島県枕崎市の生産組合がフランスにかつお節工場を建てるという大胆な計画を進めることに。

 フランスが加盟するEUには基準があって、煙に含まれる成分の一部を抑える必要がある。国内では、その基準に合わせるのが難しく、フランスにある機械を使いかつお節生産を進める。
 番組では、若手職人を代表してフランスに住み指導する27歳の男性に密着。サラリーマンだったが、妻の実家の家業を継ぐためにかつお節職人に転身。まさか自分がフランスに行くとはと迷う暇なく、フランス語を学び準備を進める。異国の地での工場開設は、予想できない事案が数々発生し稼働開始時期も遅れることに。
 ふるさとの期待を背負いつつ、ヨーロッパにかつお節の文化を広めるきっかけを作ろうと奮闘する職人の思いに迫る。

出演者:【ナレーター】 上枝一樹(KTS)

制作局鹿児島テレビ放送(KTS)

2017年6月11日(日)

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失われゆく若人のうた

沖縄本島南部の南城市大城区では伝統行事・エイサーを担う青年会が会員の減少で存続の危機に陥っている。地元出身のディレクターが地域の抱える課題、若者達の今を見つめた

沖縄県南城市大里の大城区は綱曳きや旗頭、エイサーなどといった伝統行事が盛んな地域。こうした行事を支え、担ってきた18歳から25歳の若者で構成する青年会は近年、加入するメンバーが激減し存続の危機に陥っている。単に若者の数が減ったのか、地域活動に対する倦怠感なのか。青年会の晴れ舞台である旧盆エイサーに向けた取り組みを通して地元出身のディレクターが地域の抱える課題、後輩たちの現状を見つめた。

出演者:普天間歩(ディレクター・語り) 大城青年会・城間大周会長ほか

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

2017年6月3日(土)

命のリレー~地域医療 ある医師の挑戦~

いち早く診断、救命措置を始められることで、救命率の向上が期待されるDMATというシステムを活用して救命活動に取り組む大分県竹田市の石井医師を紹介。

大分県竹田市で市内唯一の二次救急病院の指定を受けていた竹田医師会病院は、平成19年、医師の退職などで深刻な医師不足となり、医療崩壊の危機に直面しました。
前年まで800人以上受け入れていた救急患者も、専門外診療やマンパワー不足を理由に徐々に対応出来なくなり、受け入れ人数はおよそ半分の400人台にまで減少しました。
 そんな竹田市が、救急医療の地域格差是正の鍵として挙げたのは地元の消防機関、医療機関、大学病院による広域救急医療体制、医療圏連携でした。
 ドクターヘリの活動を手伝っていた石井一誠(いっせい)医師(現竹田医師会病院院長)は、竹田医師会病院の依頼を受け、大学病院の高度救命救急センターの医師派遣システムを有効活用することによる地域救急医療体制の再構築を進めていました。こうした緊急医療活動を通して石井医師は地域の医療従事者がドクターヘリよりも先に現場に到着し、初期治療すれば救命率が高まると痛感していました。
そこで考えたのは、地上からドクターヘリを支援し、場合によっては地の利を生かしてドクターヘリよりも先に現場に駆けつけることができるDMATというシステムを活用した救助活動です。この活動は地域救急医療体制の新しい取り組みとして全国で注目され始めています。
番組では、救命・救急に尽力する石井一誠医師と行政(竹田市)の取り組みを紹介します。

制作局テレビ大分(TOS)

次回放送内容

OA:2024.08.04(日)

 コロナ禍で4年ぶりに開催された熊本県原爆死没者慰霊式典。「広島・長崎を最後にせんと行かん」と壇上でそう訴えたのは天草市に住む川原征一郎さん82歳です。自身も長崎原爆の被爆者です。3歳の時の被爆が自身の生き方や価値観に影響を及ぼしたのかも知れません。川原さんは命という言葉に敏感です。その想いを趣味の折り紙(動物)で表現し、地域の人々に命の尊さや平和の大切さを伝えています。折り紙のレパートリーは今や2000を超え、市民講座や小学校などにも講師として招かれ“折り紙先生”とも呼ばれています。折り紙を本格的に始めたのは、勤めていた水族館時代でした。見学に訪れた子ども達に折り紙を使って海の生き物(イルカ)の話をしたところ興味を持ってもらったのがきっかけでした。川原さんは海の生き物から気付かされたものが多く、特にイルカとは触れ合う日常の中で命との向き合い方を学びました。数奇な被爆体験がそうさせたのかも知れません。川原さんは還暦を過ぎた或る時、不思議な夢を見ます。写真の中でしか知らない父親が夢枕に現れたというのです。命の繋がりを実感した不思議な体験だったと述懐します。番組は、被爆した3歳のあの日から82歳になった今も歩み続ける川原さんの命の軌跡と希望の日々を描きます。

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