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これまでの放送内容

2020年9月1日(火)

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ロックと不発弾

街を愛し、ロックを愛する男は沖縄に刺さる棘を抜き続けてきた。

沖縄本島中部沖縄市、今も昔もコザと呼ばれ愛される街。この街で育った豊田益市さん(69)。彼は様々な顔を持つ。呼ばれればどんなイベントでもロック演奏をするロックミュージシャンかと思えば沖縄に刺さる棘、不発弾を探査する磁気探査会社「沖縄中央エンジニアリング」の会長、また、街の通り会の会長にロックミュージックバー「Sideways」の経営者。69年間、止まることなく走り続ける彼はどのような想いでロックミュージックを歌い続けるのか?不発弾探査という一歩間違えば爆発事故に巻き込まれてしまう可能性がある仕事にどのような思いで向き合ってきたのか。街を愛し、ロックを愛する69歳、年齢もロックな親父はいったい何者なのか?コザの街とは?沖縄の不発弾の現状とは?彼を追いかけロックと不発弾をお伝えします。

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

2020年8月25日(火)

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泣き虫ファイターズ~弱小ソフトボールチームの挑戦~

 宮崎県延岡市の小学生ソフトボールチーム「延岡ファイターズ」。結成は2015年4月。メンバーは初心者の13人。しかも半分以上が3年生以下の幼いチーム。

 宮崎県延岡市の小学生ソフトボールチーム「延岡ファイターズ」。結成は2015年4月。メンバーは初心者の13人。しかも半分以上が3年生以下の幼いチーム。チームを率いるのは松田 昭生監督。チーム結成1 年目に掲げた目標は「3年で全国制覇」。週5日の練習の日々だが、試合では1勝が遠い。気の抜けた試合では、監督が説教することも。涙する子ども達。一人悔し涙を流す監督。悔しさを知ったチームは、努力を重ね初の1勝を手にする。それから2年後、延岡ファイターズは宮崎県60チームの頂点を決める県大会の決勝の舞台に立っていた。3年前に「ヒットを打ちたい。」と言っていた新入部員は4番に成長、なんと2ランホームランを打つ活躍。宮崎県チャンピオンに輝いた。しかしあくまでも目標は「全国制覇」。子ども達は、丸坊主になることで決意表明。そして迎えた全国大会。ファイターズは初戦、三重県のチームを圧倒し勝利。しかし続く試合を前にキャッチャー松田くんが肩を痛めていた。三回戦は香川県代表と対戦。初回に2点を奪われ肩を痛めていた松田くんの悪送球もあり、0-4と突き放される。が反撃開始。三塁打でチャンスを作ると、相手エラーの間に1点をもぎ取る。しかし反撃もここまで。残念ながら「全国制覇」には届かず全国ベスト16に終わった。涙する子ども達。素晴らしいチームだったと涙ながらに話す監督。全国制覇の夢は今始まった。

出演者:延岡ファイターズ 松田昭生監督 延岡ファイターズメンバー 保護者の皆さん

制作局テレビ宮崎(UMK)

2020年8月18日(火)

戦時下の恋~死を覚悟した父母の8月13日~

太平洋戦争末期、鹿児島県奄美大島の加計呂麻島に木製ボートで敵艦に体当たりする特攻隊が駐屯した。隊長は島尾敏雄。島尾は島の娘・ミホと恋に落ちていた。

昭和20年8月13日夕刻、加計呂麻島特攻作戦出撃準備の信令が入る。250Kg爆弾を積んだ特攻艇「震洋」に乗り込む特攻隊員は52名。信令が下ったことを知ったミホは、特攻隊が出撃した後、基地の出口の岬の海に身を投じて自決する覚悟でいた。しかし、14日になっても発進の連絡はなかった。そして8月15日、終戦を迎える。一度は死を覚悟した二人だったが生き延びた。
 戦後二人は結婚、島尾敏雄は戦争を題材に小説「出発は遂に訪れず」「死の棘」などで戦後文学に金字塔をうち立てた。また、ミホは奄美大島の豊かな自然、暮らしを題材にした「海辺の生と死」で田村俊子賞(優れた女流作家に与えられる)を受賞するなど小説家として生涯を閉じた。
 今年の夏、特攻基地があった呑之浦の荒々しい海岸を130人余りが歩いた。ミホが隊長に逢うために8月13日夜に歩いた同じ道程である。長男・島尾伸三さん(69)家族も同行。伸三さんにとって生前の両親は家族を顧みない父母であった。歳を重ねるにつれ、戦争に翻弄され続けてきた家族のかたちがはっきりみえるようになってきたという。
 2017年、戦後72年を迎え太平洋戦争を知る者がゼロに近づいていく。番組では、戦争末期必死に生きた父母たちの軌跡を伸三さん家族がたどり、戦争を知らない世代の視点から戦争の絶望を描く。

出演者:【ナレーター】 山上真実(KTS)

制作局鹿児島テレビ放送(KTS)

2020年8月11日(火)

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母の特攻~死を覚悟した 島尾ミホの8月13日~

太平洋戦争末期の昭和20年8月13日、奄美・加計呂麻島で特攻戦発動の信令を受けた島尾敏雄についに発進の命令は下らなかった。死を覚悟した父母たちをたどる。

 太平洋戦争末期の昭和20年8月13日、鹿児島県奄美群島にある加計呂麻島で島尾敏雄(当時海軍中尉)は特攻戦発動の信令を受けた。木製ボートの先端に250Kg爆弾を積んだ特攻艇「震洋」。決して生きては帰れない運命を担った隊員は52名。島は緊張に包まれた。美しい海、泣きたくなるほどの赤い夕焼け。南島の濃厚な風景が、その緊張を一層張り詰めたものにした。また島尾隊長は極限の日々を過ごす南島で、島の娘・ミホと恋におちていた。ミホは「震洋」発進の命令が下ったら基地の港の出口・呑之浦に身を投じて自決する覚悟でいた。しかし、14日を過ぎ、15日を迎えても、発進の命令は下らなかった。日本全面降伏により、島尾隊長以下51名は生き残ったのだ。島尾伸三さん(東京在住)、父母に共に小説家の島尾敏雄・ミホさんをもつ写真家である。父のふるさと奄美大島には、今でも年に数回帰省しており父母たちの見た戦争体験の風景はしっかりと刻まれている。今だに世界のどこかで戦争が繰り返され、日本政府は尖閣列島問題で加計呂麻島がある瀬戸内町に自衛隊の防衛隊を配備することを決めた。さらに2015年秋、国会で安保法案が可決されるなど、父母たちの青春時代の1ページが見え隠れし始めている。番組では、戦争末期必死に生きた父母たちの軌跡を伸三さん家族がたどり、戦争を知らない世代の視点から戦争の絶望を描く。

出演者:【ナレーター】 山上真実(KTS)

制作局鹿児島テレビ放送(KTS)

2020年8月4日(火)

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青い正義感

「童んちゃーごめんね」、沖縄の子どもたちに謝りたいと語る俳優・津嘉山正種。75歳になる名優がなぜ…。秘めた想いに迫る。

 戦中、戦後を生きてきた県出身の俳優・津嘉山正種。戦後74年となる今、沖縄の子どもたちに謝りたいと力を込める。75歳になる名優がなぜ…。秘めた想いに迫る。番組では、沖縄への差別を照らしたいと津嘉山が10年ぶりに再演したひとり語り「人類館」の舞台裏に密着。また、去年の冬、故郷・沖縄が基地問題で揺れる中、津嘉山は自らが企画製作した舞台に立っていた。観客に配られたパンフレットには「青い正義感」と題して、熱い想いが綴られていた。「75歳になる自分に残された時間は短い、次の世代に何を残すことができるのだろう」と自分に問いかけながら進む津嘉山の沖縄出身の俳優としての道に迫る。

出演者:津嘉山 正種

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

次回放送内容

OA:2024.08.04(日)

 コロナ禍で4年ぶりに開催された熊本県原爆死没者慰霊式典。「広島・長崎を最後にせんと行かん」と壇上でそう訴えたのは天草市に住む川原征一郎さん82歳です。自身も長崎原爆の被爆者です。3歳の時の被爆が自身の生き方や価値観に影響を及ぼしたのかも知れません。川原さんは命という言葉に敏感です。その想いを趣味の折り紙(動物)で表現し、地域の人々に命の尊さや平和の大切さを伝えています。折り紙のレパートリーは今や2000を超え、市民講座や小学校などにも講師として招かれ“折り紙先生”とも呼ばれています。折り紙を本格的に始めたのは、勤めていた水族館時代でした。見学に訪れた子ども達に折り紙を使って海の生き物(イルカ)の話をしたところ興味を持ってもらったのがきっかけでした。川原さんは海の生き物から気付かされたものが多く、特にイルカとは触れ合う日常の中で命との向き合い方を学びました。数奇な被爆体験がそうさせたのかも知れません。川原さんは還暦を過ぎた或る時、不思議な夢を見ます。写真の中でしか知らない父親が夢枕に現れたというのです。命の繋がりを実感した不思議な体験だったと述懐します。番組は、被爆した3歳のあの日から82歳になった今も歩み続ける川原さんの命の軌跡と希望の日々を描きます。

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