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これまでの放送内容

2024年10月13日(日)

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ヤンキー息子 母なる海へ

小さな港町に20年ぶりの漁師が誕生。かつてヤンキーだった男は故郷を背負って海へ向かう。唯一、彼を見捨てなかった母の想い。互いを信じ抜いた母子の新たな挑戦とは。

宮崎県門川町。「門川金鱧」で再起を狙う小さな港町は、長年続く漁師の後継者不足に悩まされていた。2023年2月、一人の若者が帰郷。20年ぶりの新米漁師、中崎瑛斗(ひでと)22歳。
中学時代は学校へも行かず手が付けられないほどのヤンキーだった瑛斗さんだったが、幼い頃から抱いていた海への憧れを思い出し一念発起。漁師の道を選択。唯一信じ背中を押してくれたのは、母・みどりさんだった。息子の手伝いに専念するために仕事を辞めたみどりさんは、鱧の捌き方を勉強中。毎朝、先輩漁師の元へ通っている。その生活の中で芽生えた「鱧を活かして町おこしがしたい」という想い。
互いを信じ抜いた母子の新たな挑戦を追いかけた。

制作局テレビ宮崎(UMK)

2024年10月6日(日)

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つたえる~福島に寄り添う長崎の医師~

東日本大震災直後から被災地の福島に入り、放射線の健康影響つ伝え寄り添ってきた長崎大学の医師。あれか13年経った被災地の状況は?

2011年3月11日東日本大震災。福島第一原子力発電所がある福島県は、放射線災害の被害も重なり広範囲の避難となりました。その福島にすぐに支援に入ったのが、長長崎大学の教授で、医師の高村昇さんです。高村さんは、被ばく医療の専門チームの中心人物で、被爆地・長崎だからこそ培ってきた技術や知識をもって、現地の支援にあたっています。「被爆地・長崎、そしてチョルノービリで学んだ知識を福島の人たちのために生かす―。」
13年に渡り被災住民に寄り添ってきた長崎の医師を取材しました。

出演者:長崎大学教授/医師 高村昇さん

制作局テレビ長崎(KTN)

2024年9月29日(日)

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素のままの卵を!~3年目養鶏農家の挑戦~

伊万里で経験ゼロから養鶏を始めた若者たち。栄養満点の卵を通して、自分たちの表現に挑む農園スタッフたちがいました。

20代の若者たちが始めたベンチャー企業は「養鶏」。佐賀県伊万里市に設立3年目の「素エコ農園」があります。鶏を放し飼いにして、自然由来の餌だけを与える飼育方法を実践し、味の評判が広がっています。
始めたのは松本啓さん、現在27歳。大学卒業後、未経験のまま農家となり、理想とする「環境に優しい農業」養鶏を始めました。そんな彼を「面白い」と同級生が2人、同じく興味をひかれた妻が入社。この主要スタッフ4人で農園を運営しています。誰一人経験者はなし。
青春時代を過ごした伊万里で面白いことを発信したい。願いは「田舎にこんな卵があるのか!」とみんなを驚かせること。毎日泥だらけになりながら、うま味と栄養と夢をたっぷり詰め込んだ卵を採っています。

制作局サガテレビ(STS)

2024年9月22日(日)

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サラリーマン、落語家になる。

37歳の時にサラリーマンを辞めて落語家への道に挑んだ、春風亭柳雀(52)。本名、溝口摂、鹿児島育ち。50歳で真打ちに。そして2023年秋、故郷で舞台に上がった。

「人生100年時代」と言われる現代。その折り返し地点で真打ち昇進を果たす落語家がいた。春風亭柳雀(52)、本名、溝口摂。鹿児島育ち。かつては大手IT企業に勤務するエリートサラリーマンだった。しかし、サラリーマン生活に疑問を持ち、2008年37歳の時に落語家へ転身。コツコツとチカラをつけ二つ目に上り詰めた時、若者や女性から絶大な支持を集める落語家・講談師のユニット「成金」に所属した。神田伯山、桂宮治、柳亭小痴楽、瀧川鯉八、昔昔亭A太郎など11人、今をときめく若手の噺家の中にたった一人中年の落語家。そして50歳、真打ちに…。2023年秋、故郷で舞台に上がった。小学生の時、母に連れられ初めて落語を見た同じ場所だった。いろいろな思いが走馬灯のようによみがえる。“後悔なんてありません”。また、十八番の人情話が始まった。サラリーマンを辞めて挑んだ落語家への道、その物語は今という厳しい時代を生きる人々への応援歌だ。

出演者:落語家、春風亭柳雀

制作局鹿児島テレビ放送(KTS)

2024年9月15日(日)

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じぶんだけの色 画家・太田宏介が描く世界

思いを形にするのは、絵の具を混ぜ合わせてつくる「じぶんだけの色」。心のままに描き、自由に生きる、自閉症の画家のほのぼのとした日常に密着しました。

独自の色彩でキャンバスを彩る、福岡県在住の画家・太田宏介さん。海外でも個展を開く人気画家ですが、重度の自閉症を患っており、もともとは表現することが苦手でした。気持ちを言葉や行動に表すことができず、奇声を上げて暴れる日々。そんなとき、近所の絵画教室に出会い、宏介さんは絵の具を混ぜ合わせてつくる「じぶんだけの色」で、初めて思いを形にできました。その喜びは、宏介さんの生き方を変化させ、周囲の人々にも影響を与えていきます。
心のままに描き、自由に生きる。宏介さんの、ほのぼのとした日常に密着しました。

制作局テレビ西日本(TNC)

次回放送内容

OA:2024.11.24(日)

八代市坂本町の鮎帰(あゆがえり)地区にある日光(にちこう)棚田。標高420メートル、里山に囲まれ階段状に連なる田畑の景色はどこか懐かしく安らぎを覚えます。1999年『日本の棚田百選』にも選ばれました。しかし、今は過疎化と相次ぐ離農で耕作放棄地が目立ち、田んぼは畑に切り替わり棚田の風情は過去のものとなろうとしています。この日光棚田で僅かに残った数枚の田んぼで唯一米作りに取り組んでいるのが、野口修さんです。年齢は87歳、農業の経験も無ければ地主でもありません。 野口さんは、2016年広島から坂本町に単身移住、79歳の時でした。数年後日光棚田に出会います。それは素人目線の安易な発想だったかもしれません。廃れていく棚田に想いを募らせ景観を維持できないかと…、野口さんは2020年元米農家の田んぼを借りて米作りを始めます。春は田起こし、苗ができれば田植え、収穫の秋まで水の管理や田の草取り、厄介なシカの防除に至るまで片時も目が離せません。野口さんは苦労をものともせず、四度目の秋を迎えることができました。 野口さんは収穫の喜びとは別に、新たな目標に向かって歩き出していました。本人曰く“僧侶”になると、坂本町へ移住を世話してくれたお寺の住職の力になければと話します。住職の体調を案じた末の決断でした。僧侶の資格を取るため、野口さんはこれまで通信教育でお寺の宗派に関する作法やお経を学んできました。最終課程は京都、得度(とくど)習礼(しゅらい)と呼ばれる修行に入ります。 80歳を目前に単身移住。棚田の景観を守ろうと挑む米作り。そして、今度は僧侶になろうと一念発起。野口さんは、鮎帰の里に新しい風を起こそうとする革命児なのかも!? 何が自身をそうさせるのか!?世の中を憂い立ち上がった青春期に答えは有るようです。 荊(いばら)の道を怯まず自らを進化させ続ける野口さんは間もなく米寿。人生100年時代を迎え、余生を謳歌する今はまだ旅の途中かも知れません。番組では、自らの信念と向き合う野口さんが何を求め何処へ向かおうとしているのか、終の棲み家に選んだ里の日々を追います。

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