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これまでの放送内容

2022年9月26日(月)

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監督の教え

奄美大島の鹿児島県立大島高等学校野球部。2022年3月の選抜甲子園の出場権を勝ち取った。様々な壁にぶつかりながら、夢へと向かう大島高校野球部の9カ月に密着した。

鹿児島市から南へ380キロ、世界自然遺産の島、奄美大島。島の公立高校の野球部が注目を集めていた。鹿児島県立大島高等学校野球部。2021年秋、離島勢として初の鹿児島県大会優勝。続く九州大会でも準優勝。2022年3月の選抜甲子園の出場権を勝ち取った。
注目を集めたのは、その戦いぶり。先発選手はもちろんのこと、ベンチ組もそしてベンチ外の選手達も心一つに進む“全員野球”。秋の県大会では6試合中4試合がサヨナラ勝ちだった。劇的な試合運びで選手たちが躍動する大島高校野球部には、一体どんな「教え」があるのかー。
「野球も人生も大切なことは同じ」だと語る赴任9年目の塗木哲哉監督(54)。様々な壁にぶつかりながら、夢へと向かう大島高校野球部の9カ月に密着した。

出演者:【語り】川崎宗則(鹿児島県出身)

制作局鹿児島テレビ放送(KTS)

2022年9月19日(月)

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長崎だけ救われない~被爆者ではない“被爆体験者”と呼ばれて~

原爆に遭いながらも被爆者と認められていない「被爆体験者」。約20年被爆者認定を求め続けてきた背景には、ウクライナ侵攻や核問題など“今” につながる理由があった。

「被爆体験者」とは、原爆投下時に爆心地から12キロ圏内にいながらも、国が定めた「被爆地域」の外だったとして、被爆者ではないとされている人たちのことです。

広島では、国が定めた「援護区域」の外で黒い雨を浴びた人たちが被爆者と認められましたが、長崎は救済の対象外となっています。
「被爆者と認めてほしい」。被爆体験者はなぜ20年近くも訴え続けているのか。その思いに迫ります。(「ドキュメント九州」KTN制作番組)

制作局テレビ長崎(KTN)

2022年9月12日(月)

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ゴージャス理枝が行く

沖縄県・那覇市でエステサロンを経営するゴージャス理枝(本名: 赤嶺理枝)が取り組むのは困窮世帯への食料支援。孤立する母親たちの自立に向け奔走する彼女の原点に迫る。

南国の島・沖縄で今なお根深く残る「貧困問題」。親から子へとその連鎖が続く現状に真っ向から立ち向かう女性が沖縄県・那覇市にいる。彼女は自らのことを「ゴージャス理枝」と名乗る。
ゴージャス理枝はエステサロンを経営する傍ら、ボランティアで困窮世帯に食料を届ける活動を行う。どんな時もおしゃれに手を抜かず、明るくパワフルに。孤立する母親たちのもとに駆け付ける。自身の時間と労力を惜しまず、なぜここまで食料支援に奔走するのか。ゴージャス理枝の活動の日々とその原点を追った。

出演者:ゴージャス理枝(女性を元気にする会) マツ毛美紀(女性を元気にする会) 【ナレーター】 小林美沙希(沖縄テレビアナウンサー)

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

2022年9月5日(月)

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続 復興へんろ道 82歳 スーパーボランティアと呼ばれて・・・

尾畠春夫さんは2014年、震災復興を願い本州一周を歩いた。その後、スーパーボランティアとして広く知られる尾畠さんだが、今も変わらない寄り添う気持ちに迫る。

大分県日出町に住む尾畠春夫さん(82)は2018年に行方不明の男の子を無事救助し、一躍「スーパーボランティア」として有名になった。ドキュメント九州では脚光を浴びる前の2014年、当時74歳の尾畠さんが取り組んだ本州一周の徒歩の旅について放送した。東日本大震災に衝撃を受け、被災地では災害ボランティアに汗を流した尾畠さん。復興を願うがあまり、お遍路さんの格好をして本州一周およそ4000キロの「復興へんろ道」を歩き通した。それから8年…尾畠さんは82歳となり、いつしか世間からはスーパーボランティアと呼ばれ、多くの人に知られる存在となった。自身を取り巻く状況は変化したものの、誰よりも被災地の復興を願う気持ちに変わりはなかった。番組では「復興へんろ道」に挑んでからの尾畠さんのその後を伝える。

出演者:尾畠春夫さん 【ナレーション】 御手洗慶子(テレビ大分アナウンサー)

制作局テレビ大分(TOS)

2022年8月29日(月)

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わたしを伝える~坂本玲子 平和への眼差し~

わたしを伝える~坂本玲子 平和への眼差し~

熊本県菊池市に暮らす坂本玲子さん(79歳)の生まれは、戦時中中国東北部にあった満州国です。当時父親は南満州鉄道の機関士として働いていました。
しかし、日本の敗戦で満州国は崩壊、同時に坂本さん達日本人の生活も一変し大きな試練に立たされます。
日本を目指しての引き揚げでした。
幼かった坂本さんの記憶は断片的でしたが、2歳2ヶ月から鮮烈に残っているといいます。略奪に押し入ったソ連兵に人形を踏み潰され大泣きしたこと、必死に両親と港を目指し逃避行を続けたこと、収容所で乗船を待たされたこと、さらに引き揚げ船からの水葬を目にしたことなどが小さな心に焼き込まれました。
ロシアによるウクライナ侵攻で戦争がリアルタイムで伝えられる今、誰もが平和を再認識し、当たり前の日常がいかに尊いものか痛感したのではないでしょうか。終戦から77年、坂本さんは自らの数奇な引き揚げ体験を漸く語り始めました。中学生の若い世代にはどう響くのでしょうか。

出演者:坂本玲子(熊本県菊池市在住) 坂本敏正(坂本さんの夫) 村上隆紀(菊池市 戦没者遺族) 中原堅悟(菊池市 戦没者遺族)

制作局テレビ熊本(TKU)

次回放送内容

OA:2024.08.04(日)

 コロナ禍で4年ぶりに開催された熊本県原爆死没者慰霊式典。「広島・長崎を最後にせんと行かん」と壇上でそう訴えたのは天草市に住む川原征一郎さん82歳です。自身も長崎原爆の被爆者です。3歳の時の被爆が自身の生き方や価値観に影響を及ぼしたのかも知れません。川原さんは命という言葉に敏感です。その想いを趣味の折り紙(動物)で表現し、地域の人々に命の尊さや平和の大切さを伝えています。折り紙のレパートリーは今や2000を超え、市民講座や小学校などにも講師として招かれ“折り紙先生”とも呼ばれています。折り紙を本格的に始めたのは、勤めていた水族館時代でした。見学に訪れた子ども達に折り紙を使って海の生き物(イルカ)の話をしたところ興味を持ってもらったのがきっかけでした。川原さんは海の生き物から気付かされたものが多く、特にイルカとは触れ合う日常の中で命との向き合い方を学びました。数奇な被爆体験がそうさせたのかも知れません。川原さんは還暦を過ぎた或る時、不思議な夢を見ます。写真の中でしか知らない父親が夢枕に現れたというのです。命の繋がりを実感した不思議な体験だったと述懐します。番組は、被爆した3歳のあの日から82歳になった今も歩み続ける川原さんの命の軌跡と希望の日々を描きます。

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