これまでの放送内容
2009年5月31日(日)
オレは街角の宣伝屋 ~ちんどん屋に人生を捧げる37歳~
賑やかな音楽を奏でながら、街中で宣伝を行うちんどん屋。戦後の日本では、よく見かけた光景だったが、最近はめったにお目にかからなくなった。
その仕事を今に受け継いでいる「かわち家」の河内隆太郎さん(37歳)。
長崎でちんどん屋「かわち家」を開業して10年を迎える今年、河内さんは日本全国のちんどん屋を招いてそのパフォーマンスを披露する、大きなイベントを企画した。果たして成功するのか?ちんどん屋を一生の仕事と言い切る河内さんの思いを伝える。
ナレーション 川波美幸(KTNアナウンサー)
ディレクター 荒木陽子
制作局:テレビ長崎(KTN)
2009年5月24日(日)
日々是勉強! 86歳青春一直線!!
宮崎県新富町在住の清トシ子さん(86)は80歳の頃当時日本最高齢の女子高生として通信制高校を卒業した。
その後同世代の心の悩みを癒すため心理カウンセラーの資格を取得。現在も勉学に励む学生顔負けのおばあちゃん。六十の手習いならぬ八十の手習いで書道・三味線・俳句などの趣味を始めている。
ある日老人ホームにいるおばを訪ねたトシ子おばあちゃん。おばの元気がなかったことをきっかけに、自ら慰問を計画。今まで習ってきた書道・三味線等を披露する。
【出演者】清トシ子
【ナレーター】小西麻衣子(テレビ宮崎アナウンサー)
制作局:テレビ宮崎(UMK)
2009年5月17日(日)
チームで救え! ~桟橋落下事故と大分DMAT~
1月23日に発生した造船所事故では、桟橋が落下して2人が死亡、24人が重軽傷を負った。現場に投入されたDMAT隊員たちは、現地に医療活動が出来る救護所などを急ごしらえして負傷者の救命活動を行った。
一度に多数の患者に対してドクターやナース・点滴液などの医療資源には、おのずと限界がある。限られた資源を効率的に救命につなげるために行われるのが、負傷程度により患者を区分けするトリアージだ。
トリアージについては、国内のほかの事例で当該遺族からドクターに対して訴訟が起こされるなど、災害現場での医療手段としての国民的コンセンサスの醸成が待たれている。
現場に投入された大分DMATは、去年春に発足したばかりの新組織である。最小単位をドクター1人、ナース1人と小規模にしたり出動基準を緩和するなどユニークな組織と活動はローカル県での活動としては、すでに数多くの成果をもたらしている。番組では、大分DMATの組織づくりに奔走する若い外科医の救急医療への強い思いやDMATに携わるドクター・ナース・救急隊員たちの生の声を拾いながら災害医療のあり方を考えるとともに、医師不足など地域医療の抱える課題にも果敢に挑戦する大分DMATの試みも紹介する。
制作局:テレビ大分(TOS)
2009年5月10日(日)
「空気」の向こう側 福岡から世界へ 映像クリエイター・江口カン
福岡市の住宅街の一角に、歯科医院を改造したビルが建っている。 此処に今、全国に、そして世界に注目される映像制作会社がある。
その制作会社は「空気」「空気」は、CMディレクター、CGクリエイターなど、社員数は15人。それぞれが、選りすぐりのクリエイター集団なのだ。「空気」を率いているのは、福岡市在住の映像クリエイター「江口カン」41歳。彼は、「JR九州」「日清食品」「森永製菓」といったスポンサーの誰もが一度は目にしたことがあるCMを制作している。この他にも、去年は、スポーツメーカーのWEB上での映像でカンヌ国際広告祭で銅賞を獲得。国内では、ACC CMフェスティバルで金賞を獲得するなど、地方発の映像クリエイターとしては異例の評価を得ている。彼の仕事の多くは、東京でのCM制作だが、最近は、CM以外にも短編映画や長尺のWEB映像など活動の場所が広がっている。彼は、今、真剣に地元・福岡を中心に活動しようと思っている。「東京ばかりが、日本じゃない。福岡にいても、東京のクリエイターと充分戦える」と常々力強く語っている。彼の夢は…福岡から全国へ、世界へ情報を発信したい。現在、福岡のスタッフで制作し、福岡のキャスティングで撮影し、福岡のメディアから福岡にむけた情報を発信するには、どうしたらいいか模索中だ。東京でのCM撮影風景を追いかけながら、福岡では、「新しい情報発信の道」を見つけようと奮闘する姿を追いかけたい。
江口カンの代表作
NIKE「Escort」カンヌ国際広告賞2008ブロンズ
N.Y.フェスティバル2008シルバー
第12回文化庁メディア芸術祭審査員推薦作品
JR九州「黒豚横丁」 第47回福岡広告協会賞 金賞
日清食品「どん兵衛」
コカコーラ「ジョージア・女スパイ」
JR九州「TSUBAME」
HAWKS「ベースボール・スパーリング」
他多数…
制作局:テレビ西日本(TNC)
2009年5月3日(日)
なぜ息子が… ~健太さんの死が訴えるもの~
2007年9月25日午後6時頃。いつものように自転車で帰宅途中の青年が、自宅まであと少しの場所で、5人の警察官に“取り抑え”られ、直後に死亡した。青年の名は安永健太さん(25)。知的障害者だ。
障害者のスポーツの祭典、スペシャルオリンピックスに佐賀県から初めて日本代表に選ばれ、リレーで銀メダルを獲得した。警察は当初、安永さんが「車と車の間を縫うように自転車で車道を蛇行運転、パトカーの停止命令に従わず、信号待ちしていた原付バイクにぶつかり暴れたため“保護”した」と説明。安永さんを「精神錯乱状態と判断し、知的障害者とは分からなかった」と。安永さんは後ろ手に手錠をかけられていた。「死んで“保護”はないでしょう」と警察に不信感を募らせる父。「警察が、知的障害者と分かっていたら…」その言葉が重くのしかかる。
障害者が地域で安心して暮らせる社会を目指すとした『障害者自立支援法』。この問題は、その受け皿が整っていないことも示した。二度と起こさないために…。障害者と見分けがつくように『ラベリング』を…。いや、逆に犯罪に巻き込まれてしまう…。苦悩を続ける施設関係者。知的障害者への理解を深めてもらう活動は、今も続く。
安永さんが亡くなって1年が過ぎた頃、一通の封書が届く。遠く離れた東京・町田市の知的障害者の母からだった。そこには、安永さんの死を二度と繰り返さないために作った『SOSボード』が。「安永さんの死は無駄になっていない…」と。
制作局:サガテレビ(STS)