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これまでの放送内容

2010年8月8日(日)

多国籍合宿 ~鹿児島発・国際交流への挑戦~

毎年鹿児島でユニークな国際交流イベントが開かれている。 その名は「多国籍合宿」。 文字通り、様々な国の人々が一つ屋根の下で一泊二日の合宿を行い、勉強会や討論会を繰り広げる。

10回目の開催となった今年は、過去最多の480名が参加し、充実した内容で行われた。
番組では、実行委員長の小川裕也君をはじめスタッフに密着。
準備から本番までの3ヶ月を追った。

制作局鹿児島テレビ放送(KTS)

2010年8月1日(日)

再び桜の咲く頃に ~農業研修生たちが学んだ1年間~

農業の担い手不足対策が急務な中、熊本独自のJA農業インターン事業で今年は約40人が新規就農を目指し研修を受けています。

しかし研修生は不況の影響でリストラにあった派遣従業員はじめ、年齢も経歴も様々、そんな研修生を見守るのが指導員の内田敬助さん61歳です。

全くの素人が就農を目指す難しさ、途中4人の辞退者も出る中、春からの就農を目指し奔走する指導員内田さんと、研修生たち、そして、研修生を受け入れている農家の1年間を追いました。

制作局テレビ熊本(TKU)

2010年7月25日(日)

ながさき市場物語

長崎県長崎市。長崎市内には多くの市場があります。昔ながらの対面販売で、どことなくホッとする場所です。

そんな市場の風景も大型店舗やコンビニの進出で変わりつつあります。お客さんと店主が笑い合う場所、そこには新たな息吹も生まれようとしています。

野菜から鮮魚まで揃う店、元気村。

店長を務める古賀桃歌さん(28)は、3年前に実家の青果店を継ぎました。対面販売による商売、そこに桃歌さんは魅せられ、昔気質の父親とぶつかりながらも、新しい提案を出し続けています。一方で、数年の間に姿を消そうとしている大黒市場。昔ながらのお客さんへの配達で、地域に根付いている館内市場。番組では、そうした市場の風景を眺めながら、市場の良さを見つめ直します。

時代とともに姿を変えながらも買い物客の社交場・市場には、温かな時間が流れています。

制作局テレビ長崎(KTN)

2010年7月18日(日)

ロックンロールの真っ最中 伝説のロックバンド「サンハウス」復活の物語

1970年代、福岡から日本の音楽を変革しようと奮闘した若者たちがいた。 バンドの名前は「サンハウス」 彼らの音楽は革新性に満ち、当時の最新のブルースやロックを貪欲に取り入れ日本語のロックとして成立させていった。

折りしも、寺山修司、唐十郎、美輪明宏…アングラな芸術表現が花盛りだったが…
同様に彼らの日本語による独特の歌詞は、巧みな比喩で、聴く者たちに巧妙な罠を仕掛けることにより、ロックらしい猥雑で胡散臭さを撒き散らしていた。

しかし、順風満帆に見えたバンドも…活動時間は短く、残したアルバムは2枚のみ。
伝説のバンドとして人々の記憶の中に深く刻み込まれることとなり、今でも、サンハウスを尊敬するミュージシャンが数多くいるという。メンバーたちは、それぞれの人生を歩んでいく中で、ほとんどが還暦を過ぎた今、2010年に再結集することとなった。
彼らは、決して、昔を懐かしむわけでもなく、長く遠回りをしながらもかつていただいた夢に向かって一歩を踏みだしたのだ。

番組では、ドラマーの坂田紳一さんとリズムギターの篠山哲雄さんを中心にそれぞれの日常と、再結成のリハーサルから全国ツアーまでを密着し、メンバーたちのバンドに対する思いやこれからを切り取っていく。

制作局テレビ西日本(TNC)

2010年7月11日(日)

ラブレター ~残された手紙とともに~

宮崎市在住の貴島テル子さん。休日には赤い外車を乗りこなす、とても元気なおばあちゃん。94歳となった今でも、現役の小児科医として診療を続けている。

「子供を育てたい」との思いから、母子保健一筋に歩んできた彼女。

しかし、彼女に子供はいない。戦争が始まって1941年に結婚した夫との結婚生活はわずか75日間。出征先のソロモンで戦死した。

以来一人で生きてきた、戦地から頻繁に送られてきた手紙と思い出とともに…「貴島との思い出があるうちは、再婚なんて考えられなかった」

制作局テレビ宮崎(UMK)

次回放送内容

OA:2024.11.24(日)

八代市坂本町の鮎帰(あゆがえり)地区にある日光(にちこう)棚田。標高420メートル、里山に囲まれ階段状に連なる田畑の景色はどこか懐かしく安らぎを覚えます。1999年『日本の棚田百選』にも選ばれました。しかし、今は過疎化と相次ぐ離農で耕作放棄地が目立ち、田んぼは畑に切り替わり棚田の風情は過去のものとなろうとしています。この日光棚田で僅かに残った数枚の田んぼで唯一米作りに取り組んでいるのが、野口修さんです。年齢は87歳、農業の経験も無ければ地主でもありません。 野口さんは、2016年広島から坂本町に単身移住、79歳の時でした。数年後日光棚田に出会います。それは素人目線の安易な発想だったかもしれません。廃れていく棚田に想いを募らせ景観を維持できないかと…、野口さんは2020年元米農家の田んぼを借りて米作りを始めます。春は田起こし、苗ができれば田植え、収穫の秋まで水の管理や田の草取り、厄介なシカの防除に至るまで片時も目が離せません。野口さんは苦労をものともせず、四度目の秋を迎えることができました。 野口さんは収穫の喜びとは別に、新たな目標に向かって歩き出していました。本人曰く“僧侶”になると、坂本町へ移住を世話してくれたお寺の住職の力になければと話します。住職の体調を案じた末の決断でした。僧侶の資格を取るため、野口さんはこれまで通信教育でお寺の宗派に関する作法やお経を学んできました。最終課程は京都、得度(とくど)習礼(しゅらい)と呼ばれる修行に入ります。 80歳を目前に単身移住。棚田の景観を守ろうと挑む米作り。そして、今度は僧侶になろうと一念発起。野口さんは、鮎帰の里に新しい風を起こそうとする革命児なのかも!? 何が自身をそうさせるのか!?世の中を憂い立ち上がった青春期に答えは有るようです。 荊(いばら)の道を怯まず自らを進化させ続ける野口さんは間もなく米寿。人生100年時代を迎え、余生を謳歌する今はまだ旅の途中かも知れません。番組では、自らの信念と向き合う野口さんが何を求め何処へ向かおうとしているのか、終の棲み家に選んだ里の日々を追います。

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